震える手で執務室の扉をノックすると、中から「どうぞー」と緩い許可の声が聞こえてくる。意を決してノブに手をかけ、そして扉を開ける。
「ししつれいします!! ナマエ・ミョウジです!!」
若干どもりながらも挨拶をし、室内に入れば、ハンジさんはデスクに向かって書き物をしていたらしく、顔を上げて来客ーーつまりわたしーーの存在に気づくと、笑顔を湛えてくれた。
「ああナマエ! どうしたの?」
筆をデスクに置いて立ち上がり、扉の近くで立っているわたしのもとへわざわざ来てくれた。美しいお顔と、お風呂入っていないであろうウェットでボサボサのまとめた髪の毛。ああ、ハンジさんだ。緊張で吐きそうだ。
「ハンジ分隊長、あああの!! ほ、ほほ!!」
不思議そうにわたしを見るハンジさんの視線のせいで顔に熱が集中する。頑張って言うんだわたし。握った拳がじんわりと汗ばむのを感じる。
「ほほ?」
「星を、見たいのですが、今お時間はありますか……」
――夜に女の子が一人でいるのは危ないから、今度からこういう時は私を呼ぶこと。いいね?―― あの日、そういってくれたから、勇気を出してハンジさんをお誘いした次第です。緊張が凄くて、喉が急速に渇きを訴えて、わたしは思わず唾を呑みこむのだが、それすら上手く飲み込めないでいた。
あのときからわたしたちの関係は変わって、わたしはハンジさんの恋人になることができた。だからハンジさんのことを誘うのは、自然なことではある。でも忙しいお方だから、やはりなんだか申し訳ない気持ちになってしまう。今だってきっと、残務を処理しているに違いない。やっぱり誘うの迷惑だったかな、なんて言った傍から後悔を始める。
「でも忙しい―――」
「行こう!! 行こう行こう!!」
わたしが言葉を言い終える前に被せ気味にハンジさんが言う。や、やったオッケーだ! ハンジさんはハンガーにかかっていた外套を手繰り寄せてひっかけると、さあ行こう! とわたしの肩に手を載せてくるりと扉の外へと向けると、そのまま外へと押されて一緒に部屋を出た。
「嬉しいなぁほんとに誘ってもらえるなんて」
歩みを進めながらニコニコとハンジさんが言う。
「お仕事中ではありませんでしたか? ご迷惑ではありませんでしたか?」
心配になって聞くと、まさか! とハンジさんは頭を振った。
「ナマエからのお誘いが迷惑なわけないじゃん。寧ろ大歓迎! ちょうど煮詰まってたところだからいい気分転換になるよ。どうにも事務処理っていうのは好きになれなくてねえ」
「あ、ありがとうございます……!」
安堵と、気を遣わせているのか? と言う不安とが同居しているが、わたしはひとまず礼を述べるのだった。
今日は流れ星が多く見られる日らしい、とニファに聞いたのが始まりだ。これはもう誘うしかあるまいと意気込んだのはすぐだった。そこからハンジさんの部屋を尋ねるまでは時間がかかったが、勇気を出してよかったと思っている。
先日と同じベンチに、今度は二人で腰かけて、夜空を見上げる。星は痛いくらい瞬いていて、じぃっと眺めていると今まで目視できなかった星が視界に浮かび上がってきた。寒さも幾分強くなっていて、冬の気配を感じるなぁなんて思っていたら、星が煌きながら夜空に弧を描いて流れていった。
「わっ!!」
早速流れ星を見れたことに興奮し声を上げる。隣のハンジさんも感嘆の声を上げて、次の瞬間には顔を見合わせていた。ハンジさんは目をキラキラさせていて、さながら子どものようだ。思ったより楽しんでくれているようで、わたしは少しホッとする。
「流れ星をまじまじと見たの久しぶりだよ! 何かの書物で昔、流れ星と言うのは星が燃え尽きる最後の輝きだと書いてあったのを思い出した」
「ハンジさんは本当に物知りですね。素敵です……」
ハンジさんは口をへの字にして面食らったような顔をしたと思ったら、再び夜空を見上げた。
「ほらナマエ、流れ星見るんでしょ?」
「あ、はい!」
好きがあふれ出てしまい、それがハンジさんに伝わってしまったのかもしれない。そう考えたら急激に恥ずかしくなり、体温が上昇するのを感じる。わたしも慌てて夜空を見上げて、天体観測に集中した。
流れ星はそれから幾たびも流れた。天を見上げていると、突然ハンジさんの側にあったわたしの手に何か覆いかぶさる。見やれば、ハンジさんの手が重ねられていたのだ。その様を見て、わたしは心臓が痛いほど締め付けられた。
「寒いでしょ?」
ハンジさんが笑みを浮かべて言い、重ねられた手を優しく握ってくれた。嬉しすぎて、何も言えないわたし。暫し見つめ合うと、ハンジさんの顔がゆっくり、ゆっくり近づいてくる。心臓が爆発するのじゃないかと思うくらい早鐘を打っている。そして、唇と唇が触れ合った。
「……あークッソ可愛い」
顔が離れて、ハンジさんがぽつりと呟いた。
「あ、ハ、ハンジさん……好きです、かっこよすぎです、わたしもう、幸せ過ぎてどうにかなりそうです」
またハンジさんが口をへの字にして、面食らった顔をする。
「どうしてナマエはそんなに可愛いこと言うの? 私の方こそどうにかなりそうだよ」
もしかしたらハンジさんは、照れていらっしゃる? この顔は照れているときの顔……? なんて考えていたら、間髪入れ再びキスが降ってきた。何度も何度も角度を変えて、啄むようなキスをされる。幾度となく降り注ぐキスがまるで流れ星みたいだ、なんて頭の隅でぼんやりと思った。
頭が溶けてしまうくらいの甘い刺激が幾度となくわたしに与えられて、わたしはハンジさんのこと以外考えられなくなってしまった。誰か来るかもとか、見られたらどうしようとか、そんなことはすぐにどこかに行って、ただひたすらハンジさんから与えられる甘美なキスを享受していた。
やがてキスが止み、顔が離れれば、ハンジさんが妖艶な表情をしていて、それがまたドキドキとした。頭の中も、視界も、すべてハンジさんでいっぱいいっぱいだ。
「ナマエのこと見てたらキスしたくなっちゃった。流れ星見に来たのにね」
おどけた様に微笑むハンジさんは、やっぱり最高にかっこいい、ああ好き。好きがあふれ出そう。
「ねえナマエ、今のナマエの顔、私のことが好きで仕方ないって顔してるよ」
「はい、好きで仕方ないです……」
「……はあ」
ハンジさんがため息をついたと思ったら、次の瞬間にはぎゅっと抱きしめられる。
「あーーもうこのままずっと閉じ込めたい。ナマエのバカ。可愛すぎなんだよ。こんな顔誰にも見せちゃダメだからね。私だけに見せてほしい。バーカバーカ」
け、貶されている? 愛情表現されている? と、混乱しつつも、
「星が見れません」
なんて返してみれば、ぱっとハンジさんは離れて、今度は頬に手を添えて、おでこをこつんと当てられた。至近距離にハンジさんの顔があって呼吸するのすら躊躇ってしまう。冷えたハンジさんの鷲鼻がわたしの鼻先に当たって、外の寒さを思い出す。
「星もいいけど、私だけを見ててほしい。なーんてね」
低く囁かれて、ちゅっとまた口づけをされた。
「ナマエ、大好きだよ」
きらきら、わたしの頭で星が流れた気がした。今夜は流れ星の夜。ハンジさんからの愛が降り注ぐ夜。
