相澤先生がお風呂から上がるのを、ソファに座って今か今かと待ちわびる。先日ここでいい雰囲気になったが、腹の虫がそれを台無しにしたことは記憶に新しい。あのときのことを思い出して、色々と恥ずかしい気持ちになるが、同時にあの時の相澤先生の表情や、息遣い、背中に感じたソファの固さ……そんなことを思い出す。
ついに今日、あの日の続きが行われる。はずだ。そう考えたら、身体がムズムズして、ゾクゾクした。こんなことばかり考えているって相澤先生が知ったら引くだろうか、それとも「俺もだ」って言ってくれるだろうか。
でも意識してしまうのも仕方ないと思うの。去年の忘年会で隣になったその時からわたしは相澤先生の放つ引力に導かれて、翻弄され続けているのだ。でも、嫌いじゃない。これから一生、相澤先生のとなりで、相澤先生の一挙手一投足に心臓を忙しなく動かしていきたいと強く願う。それはきっと幸せなことだ。
それから暫くして、ドライヤーで髪を乾かす音が聞こえてきて、相澤先生がお風呂から出たことを知らせる。程なくして脱衣所から黒いTシャツに黒いスウェットのズボンを穿いた寝巻き姿の相澤先生が出てきた。
「お待たせ」
「おかえりなさい」
反射的にソファから立ち上がり、戻ってきた相澤先生を迎える。
寝巻き姿の相澤先生もかっこいい……セクシー……目の保養……半袖も似合う……腕に浮き出た血管はなんでしょうかエッチだなもう……
「視線がうるさい」
ぴしゃり、相澤先生が言った。
「なっ! し、しせ、うる……!? だだだって、相澤先生がいけないんです」
「逆ギレするな」
そう言って相澤先生はソファに座り込んだので、わたしも隣に座りなおす。隣からお風呂上がりのいい匂いがして、触れた箇所から温かい体温が伝わってきた。ちらり、お風呂上がりの相澤先生のご尊顔を盗み見……もとい拝見すると、お肌がむき卵のようにツルンとしていて肌艶の良さがうかがえる。正直羨ましい。ゼリー飲料とサプリメントだけでこんなに肌綺麗なのおかしくないですか。
と、相澤先生がゆっくりとこちらを向いて、充血した瞳がじろりとわたしを捉えた。
「だから、視線がうるさいっつうの」
「……はあい」
こんな短期間に二度も視線がうるさいと言われるとは思わなんだ。大人しく前へ向き直った。
相澤先生は時計をちらりと見て時間を確認する。金曜ロードショーはあと十分ほどで始まる。
「飲むか」
「ですね」
それから床に座り込んでソファに背中を預けると、二人で並び座ってリビングテーブルで晩酌を始める。缶ビールのプルトップを開けて、二人で乾杯をし、風呂上がりの乾いた喉を潤す。
「はー美味しい。一週間お疲れ様でした」
「ん。お疲れ」
他愛ない話をしている間に、相澤先生は一本開け、二本開け、三本開け……と、いいペースで飲んでいく。その間に金曜ロードショーが始まり、飲みながら映画を鑑賞する。段々と頭の芯がふやけてきているのを感じながらも、このまま酔ってしまえば勢いのまま相澤先生に近づけるのでは? という下心もムクムクと芽生えて、お酒を飲み続ける。
CMに入ったタイミングで一本開けたので、すっと立ち上がる。
「新しいの持ってきます。冷蔵庫勝手に見ても大丈夫ですか?」
「どうぞ。ついでに俺の分も持ってきてもらっていいか?」
「もちろんです。ビールでいいですか?」
「それで」
お言葉に甘えて冷蔵庫へと向かい、開ける。中には今日買った酒と、ミネラルウォーターと、ゼリー飲料と、申し訳程度の調味料くらいしか入っていない。
わたしは適当なカクテルと、ビールを持って戻ると、
「おいで」
相澤先生が両手を広げて言った。たったの三文字の言葉だが、その放った言葉が、わたしの耳を通り鼓膜をくすぐって、そのまま心臓まで沁みて、キュンと疼く。無意識にごくりと生唾を飲んでいた。
相澤先生は酔っているのだろうか。その顔は白いままで、いつも通り無表情で、酔いの具合はよく分からない。でもまだそんな飲んでいないし、相澤先生のキャパならばまだ酔ってはないはずだ。寧ろ酔い始めているのは自分の方で。
わたしは缶をテーブルに置くと、相澤先生の言葉に、導かれるように、操られるように、吸い寄せられていく。蜂が蜜を求めて花に近づくのと一緒だ。本能の赴くまま、それが定められているかのようにごく自然な流れだった。
相澤先生は膝を立てて座っているので、その間に入り込んだ。
「お邪魔します」
「はい、いらっしゃい」
背中を相澤先生に預けて足を伸ばせば、相澤先生の腕がわたしの肋骨あたりに回されて、ぎゅっと抱きしめられた。
「なんか……すごい恥ずかしいです」
「そうか?」
相澤先生の呼吸に合わせて肺が膨らんで、萎んで、それに合わせて相澤先生の胸が上下するのが背中から伝わってくる。ここまでくるとご褒美を通り越して罰ゲームだ。捕虜だ。心臓が激しく動いていて、ますますわたしの酔いを加速させる。
わたしの五感が、神経が、すべて相澤先生を感じたいと願っている。
しかも肋骨の上に、ささやかながらわたしの胸があるので、相澤先生が回した腕にはわたしの胸が当たっている。ささやかすぎて気づいてないのかもしれないけれど、わたしを意識させるには十分なわけで。そこからわたしの心音の早さが伝わっているかもしれない、と思うといよいよ爆発するのではないかというくらい、心臓が忙しなく動く。
相澤先生がわたしから手を離し、テーブルの上に置かれた缶ビールを持ち上げて飲む。嚥下する音がすぐ間近で聞こえてきて距離の近さを改めて思い知る。
―――ああ、もう無理! 映画なんて集中して見れない! 何かして気を紛らわせないと……!
そこでわたしも缶を持ち上げるとお酒を勢いよく飲んでひと息つく。そんなわたしに相澤先生は、
「いい飲みっぷりだな」
と囁くように言った。
くっ……! 相澤先生の低音セクシーヴォイスが耳元で……! なんと心臓に悪いことか! 思わずぴくりと肩が跳ねてしまった。溢さないように慌てて缶を置く。
すると再び相澤先生の腕がわたしの身体に回されて、隙間なく抱きしめられる。
なんだかとても、すごく、相澤先生とキスがしたい。
そんな欲に突き動かされて、わたしは顔だけ振り返り相澤先生を見れば、そうするのが当たり前かのように相澤先生の顔が近寄ってきて、そして唇が重なった。二度、三度とキスをされて、四度目に舌が侵入してきた。わたしの舌も迎え入れるように相澤先生のそれに絡める。その熱さを、その味をもっと知りたくて、夢中で舌を絡め合う。
そして、キスの傍らで、それまで肋骨に回されていた相澤先生の手がわたしの胸に触れて、優しく、まるでほぐすように揉む。初めて相澤先生に触れられて、泣きたいくらいドキドキして、苦しくて、幸せで、頭がぼうっとするくらい気持ちが良くて、
「っん……」
自らの意思とは関係なく、吐息混じりの声が漏れ出る。
「相澤せんせ……」
「俺はお前の先生じゃないって言ったろ」
唇が離されると、相澤先生は囁いて、再び口づけを落とされる。もう映画を見ていることなんて頭から抜け落ちて、わたしのすべてはもう相澤先生だけしか感じられなくなってしまった。
ずっとこの時を待っていた気がした。
