「誘ったの、俺でよかったんですか?」
「? どうしてですか……?」
目の前を歩いて施設を案内してくれているマリアさんに、俺は不躾を承知で問いかける。マリアさんは立ち止まり、振り返った。綺麗な金髪がその動きに合わせて揺れる。俺は不思議そうにしているマリアさんに、もっと言葉を具体的にして伝え直した。
「本当はヘンリーがよかったとか、ないかなあと思って」
「そっ、そんなことないですよ!」
顔の前で手をぶんぶんと振って必死に否定するマリアさん。本当にわかりやすい。と同時にやっぱり申し訳ないなあと思った。俺とヘンリーが入れ替わればマリアさんは今頃幸せな時間を過ごせるのに。そして俺もナマエとしゃべれるのに。なんてね。
マリアさんは頬の赤さをそのままに、
「あと案内してないのは、鐘だけですね。鐘を見に行きましょう。海も見れてすごい綺麗なんですよ」
「いってみましょうか」
強引に話を元に戻したので、俺も頷いた。しかし海が見れるというのならば、二人が行った先も海なので、やっぱり気にかかってるのかなと思ったが、勘ぐりすぎるのもよくない。俺は野暮なことはすべて心の中にしまって、マリアさんのあとを黙ってついていった。
階段を登り切ると、鐘のある場所に辿り着いた。そこには当然ながら鐘があって、その周りに少しのスペースがあるくらいの狭い空間だ。そこから海を眺めれば、砂浜で隣り合って座っているヘンリーとナマエの後ろ姿が見えた。
なんだか胸が痛い。
「ヘンリーさんたちいらっしゃいますね」
「何か喋ってるみたいですね」
ふざけている感じではなく、真面目な感じでしゃべっているようだった。今後について、だろうか。二人はラインハットが祖国だが、ヘンリーは誘拐された身で、ナマエは実の父と母がいない。
帰る場所といえるものが、ない。まあそれをいうなら、自分なんて故郷と呼べるものすらない。母がどこにいるかわからないし、父は死んでしまった。故郷に近いといえば、サンタローズだが、サンチョはまだいるだろうか。
とにかくサンタローズは一回寄っておきたい。俺に故郷はないが、母を探す、というこの目的がある限り俺は歩いていける。大丈夫だ。一人でも、大丈夫だ。
「マリアさんは、どうするつもりですか? これから」
「私は……身寄りは兄しかいないものですから、ここに残ろうかと思います」
「そうなんですか……」
ヨシュアさん―――マリアさんのお兄さんはあれからどうなったんだろう。奴隷を逃したことを運よく隠しきれてるだろうか。俺たちを死んだことにすればきっと大丈夫だろうが、うまくいったか確かめるすべがない。
彼には感謝でいっぱいだ、いつか会えたら、しっかりとお礼を言いたい。
マリアさんは海辺で肩を並べている二人を見つめながら、唇を開いた。
「明日、神にお仕えするために洗礼を受けようと思っています」
つまり、この修道院で修道女として生きていくということだ。浮かんできた疑問を俺は、気がつけば本当に不躾ながら彼女に問いかけていた。
「ヘンリーとはどうするんですか?」
「……そんな、ヘンリーさんと別に何があるわけでもありませんし、いいんです。私はここで皆様の幸せを神に祈っているつもりです」
「マリアさんがそれでいいなら、俺は何も言いませんけど」
本心かどうかわからないが、人の恋路の世話を焼いてあげられるほど俺はお人よしではない。マリアさんがヘンリーを好きなら自分でやれるはずだ。それで、俺がナマエを好きなら、自分でなんとかするしかない。そういうことだ。どうにもならないというところまで頑張ってみせる。恋かどうかもわからない、こんな複雑な感情だけど。
すると、ヘンリーとナマエが立ち上がって、お尻についた砂を払っている。そしてくるりと振り返って俺たちを発見した。ヘンリーが大きく手を降った。
「おー5主にマリアさん! そんなところでなにしてんだよー??」
「わあー鐘だ! 鐘!! ヘンリー、鐘鳴らしたいよ!!」
「おういいぜ!」
俺たちの回答を待たずして、二人は楽しそうに駆けだした。じきにここにたどり着くだろう。
「仲がいいですね」
「兄弟同然ですからね」
「私……皆さんのこともっといろいろ知りたいです」
「何でも聞いてください」
奴隷だったとき、ナマエとヘンリーという、仲のいいやつらがいたから、その他で特に仲良かった人たちはできなかった。マリアさんは奴隷ではなかったから一緒にいることなんてなかったので、マリアさんの素性を俺たちは知らないし俺たちの素性も彼女は知らない。
ばたばたと忙しなく階段を駆け上がる音と、にぎやかな話し声が聞こえてくる。
「わーすごい! 鐘だ! おっきいねー!!」
「ほんとだな! 鳴らしてみようぜ!!」
やがて二人が、上り詰めてきて、この場の人口密度は一気に濃くなった。二人は目を輝かせて鐘を見つめている。
「え? いいのかな……いいか! 鳴らそう!!」
「おう!」
二人は一緒に紐を握りしめると、思い切り振って鐘を鳴らした。俺とマリアさんは耳を塞いだが、二人は何も考えずに勢いよく鳴らしたため、轟音が耳を襲ったのが目に見えてわかった。悲鳴を上げながら急いで耳を塞いでいる。ばかだなあ、と心の中で少し笑う。
「鼓膜破れるかと思ったよ……っ!」
「ほんとだぜ!」
本当にこの二人は兄弟のようだなあ、と改めて思う。けれど、どちらかが純粋な家族に対する好きとは違う、好きを抱いていたりしないのかな、とも思う。自分にそんな存在がいないからよくわからない。
俺もナマエとの付き合いもそれなりに長くなったが、現に俺はこうしてナマエに対して恋に似た感情を抱いている。ヘンリーが、ナマエが、相手に対してそんな感情を抱いても不思議ではないと思う。
「なんか、いいね、自由って」
ぐるぐるとナマエについて考えていたとき、ぽそっとナマエが言った。俺は確かに、と思い、しみじみと幸せを感じた。それはほかのみんなも同じらしく、ヘンリーもマリアさんも嬉しそうな、幸せそうな、そんな顔をしていた。
憧れた今日の日に、したいことをたくさん思い描いていた。その想像のすべてにナマエがいるものだから、困ったものだ。
好きなんだろうな、ナマエのこと。
