10.星が集う

 マイクから衝撃の事実を知ったその日もいつも通り相澤先生と帰った。けれど昼間に聞いたマイクからの話が気がつけば頭の中にちらついて、殆ど上の空みたいな返答をしていたと思う。そんな日が何日か続いて、ついに相澤先生に怪しまれてしまった。

「なんかあったか」

 たった一言ではあるが、核心をついたその一言に、わたしはわかりやすく動揺する。「なにもありません」と、言いたかったのだけど、薄く開いた口からは何の言葉も出てこなかった。そんなわたしに追い打ちをかけるように、見かねた相澤先生が言う。

「あったんだな」

 無言は肯定とはよく言ったものだ。でもわたしはいい加減相澤先生に聞きたかったのかもしれない。そのきっかけを待っていたのかもしれない。わたしは観念した。

「あの、相澤先生、一つ聞いてもいいですか」
「なんだ」

 もう、聞くしかない。覚悟を決めたわたしの心臓は、ドキドキを通り越して、ドッドッドッドと、まるでバイクのエンジン音みたいに動いている。

「相澤先生の家って、反対方面です……よね?」

 相澤先生の足がぴたりと止まった。思わずわたしも立ち止まって、相澤先生を見上げた。相澤先生は苦々しい顔をしていた。
 わたしたちは自然と向かい合うと、相澤先生は絞り出すように言う。

「……マイクか」
「マイクです」

 さすが相澤先生、勘が鋭い。わたしの言葉に相澤先生は浅く息を吐くと頭をかいた。

「そうだ。俺の家は反対方面だ。嘘ついて悪かったな」
「いえ。むしろ、気を遣わせてしまって申し訳ないです」

 わたしは頭を下げる。相澤先生が謝ることなんて、ひとつもない。思い返せば、何も疑わなかったわたしもわたしだ。気を遣わせていることを感じさせないほど、相澤先生の気の遣い方は自然で丁寧なのだ。夜空にいつの間にか星が瞬いているみたく、ずっと見てたって気が付かないくらい、自然なんだ。

「別に気を遣ったわけじゃない。俺がその方がやりやすかったからそうしたんだ。ともあれ、嘘をついたことには変わりない。軽蔑したか」
「するわけないです寧ろ……!!」

 寧ろ……なんて、わたしは勢いのまま何を言おうとしたのだろう。慌てて口を噤む。言いたいことはある。心が張り裂けそうなほど、『好き』の言葉でいっぱいだ。けれど、今言って全てが壊れてしまうのも嫌だ。今じゃない、なんとか踏みとどまれ、自分。相澤先生はこの言葉の先を待つようにわたしのことを見ている。なんとか頭を捻って言葉を絞り出す。

「……寧ろ……嬉しいです、ありがとうございます。でも本当に無理なさらないでくださいね。相澤先生、髭も剃れないほど忙しいんですよね」
「これはいつもだ。知ってんだろうが」

 相澤先生はジト目でわたしを見つつ、顎の髭を撫でた。

「そうでしたね」
「んじゃほら、帰るぞ。今日は殊更寒いからな」
「本当に今日寒いですよね。こんな日も寝袋一つで寝てるんですか?」
「そうだ。冬用だから温かいんだ」
「寝袋って夏用とか冬用とかあるんですか」
「あるさそりゃ」

 当たり前みたいにわざわざ遠回りをして一緒に帰ってくれる……そんな優しい相澤先生の隣にいつまでもいたいと願うことは、許されるだろうか。叶うかどうかは別として。

+++

「……っていう感じなんですが、どう思いますか、マイク」

 目の前に座っているマイクは、目元を手で覆って、くっくっく。と声を押し殺して笑っている。

「いやぁもう、イケるだろ。寧ろなんで付き合ってねぇんだよ」
「だって相澤先生は、彼女なんて非合理的な存在いらないって言ってましたし……そもそもわたしのことそういう風には思ってないと思うんです」

 ーーー本日は土曜日。仕事は休み。わたしはマイクとサシ飲みにきている。お誘いをしたのはわたしだ。駅の近くの小洒落た居酒屋で、ばっちり個室を抑えた。
 相澤先生への想いを抑えきれなくなったわたしは、わたしのことも、相澤先生のこともよく知っているマイクに、わたしの気持ちとこれまでの経緯を洗いざらい話したのだ。不審者に襲われたことも勿論、話した。相澤先生はマイクにも話さないでいてくれくれたようで、その話を聞くと大層驚いて、心配してくれた。そのあと、手を繋いだ話をすると、それを上回る勢いで驚愕していた。
 マイクはビールを喉に流し込み、「でもよぉ」と言い、空になったジョッキを置いた。

「なんとも思ってねぇ相手にそこまでするかねぇ」

 マイクの言葉を受けて、わたしもビールを流し込む。冷たいビールが喉を通り、身体に染み込んでいくのを感じる。ジョッキを置くと、深く息をついた。

「きっとするんですよ、だって相澤先生めちゃくちゃ優しいですもん」
「まあ優しいけどよォ。とにかく、なんとも思ってないってことは確かだと思うぜ。しかし羨ましいなぁイレイザー。名前ちゃんにこんなに好かれるなんて。おれだったら即OKだぜ?」
「わーいやったー」
「棒読み! シビィー」

 付き合いの長いマイクが思う通り、なんとも思っていないのだとしたら、嬉しいけれど。「それに」とマイクは続ける。

「イレイザーの浮いた話なんて聞いたことねぇからおれも心配してたんだ。ジョークあたりが、とは思ったが、思わぬダークホースの登場でおれは嬉しいぜ」

 ジョークというのは、プロヒーローの、スマイルヒーローMs.ジョークのことだろう。個性は爆笑で、周りの人を強制的に笑わせるというなんともハッピーな個性だ。しかし、わたしの頭に一つの可能性がよぎる。

「でも、実は彼女がいるとかはありませんか……? 秘密にしているだけで、ずっと付き合ってる彼女がいるとか」
「いやいねぇな。いたとしたら、彼女がいないなんて非合理的な嘘つかねぇだろうぜ。それにアイツの部屋、女っ気どころか生活感すら皆無だからなぁ。もしいたとしたら、おれはアイツを尊敬するぜ! 逆に」
「なるほど……」

 彼女がいないと言えば、少なからず聞いてきた相手に対して可能性を与えることになる。もちろん、彼女がいると言って根掘り葉掘り聞かれるのが嫌という可能性もあるが、色々と言動を振り返ってみても、いないということで額面通り受け取っていいのかもしれない。深読みしたって答えは相澤先生しかわからないから、するだけ無駄だ。むくむくと止めどなく溢れ出る相澤先生への気持ちを、このまま持ち続けていいってことでいいのだよね。

「わたし、頑張ります!」
「YEAH! おれは応援してるぜ。もしお前らが付き合ったら、おれキューピットだろ? 式ではMCもスピーチも全部任せろよ」
「し、式だなんてそんな気が早い!」

 とかいいつつ脳裏には白いタキシードに身を包んだ相澤先生が思い浮かんで、顔がぶわっと熱くなる。
 真紅のヴァージンロードの先には、いつもの猫背もしゃんとしている相澤先生が待っている。髭は剃ってつるりとした白いお肌に、長い髪を一つに縛った相澤先生は、息を呑むほど美しい。

「名前ちゃんが押せばイケるぜ! きっとな! いい情報を仕入れたら名前ちゃんに共有するから、期待しとけよな」
「期待して待ってます!」

 少しだけ、希望が見えてきた気がする。頼もしい相談相手ができてとても嬉しい。頑張ってみよう。後悔しないように。

「次はミッドナイトも呼ぶか! 楽しくなってきたぜぇ!」
「ええ!? ミッドナイトがお力になってくれるのは嬉しいですけど、そんなに言いふらさないでくださいね……!」
「モッチロンだぜ!」

+++

 翌週も相澤先生と一緒に帰る日々は続いた。どんなに遅くても相澤先生は待ってくれていて、嫌な顔ひとつせず反対方面にあるわたしの家まで送ってくれている。わたしのスマホには、相澤先生とのやりとりがどんどんと増えていく。相澤先生から送られてくる一文字一文字が愛おしいと思うわたしは異常だろうか。
 あの日、マイクに話してからというもの、相澤先生への想いはどんどんと加速膨張を続けている。マイクは宣言通りミッドナイトに話したみたいで、「ミッドナイトに応援要請頼んだぜ!」と連絡が来た。
 その後、ミッドナイト直々に事務室にやってきて呼び出されたと思ったら、ミッドナイトは腕を組み、妖艶な顔で言った。

「名字さん、だったわよね。相澤くんのこと、好きなんだって……? もう! 何あたしに隠れて青臭いことしてんのよ! あたしも協力するからね」

 わたしの肩に手を置いて、ミッドナイトは蠱惑な笑顔でウインクをした。さすが18禁ヒーロー、ミッドナイト。ドキッとしてしまいました。

「あ、あ、ありがとうございます。あの、頑張ります!」
「今週の金曜日、早速作戦会議よ! マイクも行くから!」
「へっ! あ、はい!」

 わたしの返事を聞くと、満足げに頷いて、豊満な肉体を艶やかに揺らしながら職員室へと戻っていった。う、美しい。
 そんなわけで、木曜日の帰り道、わたしは相澤先生に飲み会の話を切り出した。

「明日なんですが、成り行きでマイクとミッドナイトと飲みに行くことになりました、ので、帰りは大丈夫です」
「マイクとミッドナイト? どういうメンバーだそりゃ」

 そうなりますよね。変なメンバーですよね。マイクとミッドナイトのサシならまだしも、そこにわたしが加わるって。どういう繋がりだよって思うよね。ちょっと前のわたしならありえないメンバーだもの。

「マ、マイクに誘われました。不思議なメンバーですよね、あはは」

 我ながら白々しい笑いになってしまったが、まさか作戦会議だなんて思わないよね。「なので」と、わたしは続ける。

「明日はタクシー拾って帰ります」
「……わかった。絶対、一人で帰るんじゃねえぞ」
「はい、約束です」

 深く追求されなくてよかった。明日は相澤先生と一緒に帰れないのは残念だけど、マイクとミッドナイトと飲みに行くのはすごく楽しみだ。

「ミッドナイトには気をつけろ。アイツは変な酒を作って飲ませる悪癖があるからな」
「は、はい……変な酒、気をつけます」

 でもあの美しいミッドナイトに差し出されたら、きっとわたしは飲んでしまうんだろうな。