06.美しき祈りよ

 どうやら遠くで騒ぎが起きているらしい。ざわざわと喧騒が聞こえてくるし、監視たちも落ち着きがない様子だった。おおかた、新しく入った奴隷が監視に反抗しているのだろう。自分たちにもそういう時期があったが、抗ったって無駄なことは次第に分かってきたので、それもなくなった。今は監視にバレないように適度にサボりつつ、与えられた仕事を黙々とこなしている。
 5主は持っていた麻袋を置くと、騒ぎの方を見据えた。

「止めに行こう」
「そうだね、行こうか」

 ナマエは頷く。

「まったく、お人よしだぜ」

 苦笑いをするヘンリーだが、5主やナマエが言い出さなかったらヘンリーが言い出したに決まっている。それをナマエも知っているので、くすっと少し笑って、「いこう」と歩き出した。
 たどり着いた騒ぎの中心を見て唖然とした。ナマエは堪らず名前を呼んでいた。

「マリアさん!!」

 ついこの間奴隷になったばかりのマリアが、監視に鞭で打たれている。衣服は破け、至る所から傷つけられたため血が出ている。かあっと熱くなって、三人は見えないなにかに突き動かされるようにマリアの前に躍り出た。

「!! みなさん!」
「見過ごせません……!」

  ナマエはマリアの前でかばうように両手を広げ、その前で5主とヘンリーがこぶしを構える。マリアを痛めつけていた監視が三人の姿を認めると、苦々しく表情を歪めた。

「貴様らは……最近おとなしくしていると思ったら、なんだ、逆らう気か?」
「女の子が傷つけられて黙ってられる程、俺たちは落ちぶれてないぜ!」

 なんだかかっこいいことをヘンリーが言っている、とナマエは心の中で思う。ヘンリーの言葉に感想を抱けるほど落ち着いている自分がいるのに、少し驚く。

「安心してマリアさん。彼ら、結構強いです」

 ナマエは顔だけ振り返ると、マリアに向かって笑みを向けた。

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「やー、まあ、当然の結末ですね」

 笑い声をあげて場を和まそうとするが、どうにもこの乾いた空気は潤いそうにない。ナマエは笑うのをやめて、はあ、とため息をついた。

「わたしたち、殺されるかな」
「さあなあ……でもなんでマリアさんは手当てされてるんだろう。俺たちが怪我してもそんな待遇なかったのに」
「まったくヘンリーってば、口を開けばマリアさんばっかり」
「そんなことないだろ!」

 あれから監視をぶちのめしたのはいいが、見回りの兵士がやってきて、あっという間に取り押さえられてしまった。しかし兵士はマリアだけに手当てを指示した。女性だから、という理由ならナマエもされるだろうが、ナマエも牢屋に入れられているので、その線はなさそうだ。

「まあ、どうしようもない。せっかくだからのんびりしようぜ」
「うん。めったにない休息だ」
「もー二人とも」

 ヘンリーの提案に、5主もごろんと横になって、目をつぶった。ナマエは呆れたように笑うが、確かに自分がどうこう考えたって無駄だろう。結局はナマエも横になった。
 どれほどの時間が経っただろうか。眠りについていたナマエは、ゆすられて起きた。5主が起こしてくれたらしい。上体を起こせば、牢屋の前にはマリアと兵士がいた。

「先ほどは助けていただいて、本当にありがとうございました」

 マリアが一礼をした。ナマエは状況の把握ができずにいた。

「さあ、こちらへ」

 言いながら、牢屋のカギを兵士が開錠して扉を開けた。処罰が決まったのだろうか。ナマエは重い足取りで牢屋を出た。案内されたのはなぜか兵士の個室らしきところだった。しかもご丁寧に座ってくれ、と言われソファに三人は腰かけた。ソファに座るのなんて何年振りだろうか。柔らかいソファが身体を包んで、思わず「おお」と声を漏らしてしまった。
 兵士はデスクの椅子に座り、マリアはそのすぐそばで立った。

「……あの、俺たちどうなるんですか」

 ソファに座って早々に5主が尋ねる。兵士は安心させるような笑みを浮かべた。

「ああ、安心してくれ。別に君たちに処罰を科すわけじゃない。むしろ、その逆だ」
「逆?」
「私はマリアの兄のヨシュアだ。妹を助けてくれて本当に感謝する。前々から思っていたのだが、君たちはどうもほかの奴隷と違う、生きた目をしている。その君たちを見込んで頼みたいことがあるんだ」

 マリアだけが手当された意味がここにきて分かった。ヨシュアの言葉を聞いた三人は頷いた。それを見てヨシュアはその先の言葉を紡いだ。

「実はこのことはまだ噂なのだが、この神殿が完成すれば、秘密を守るため奴隷たちを皆殺しにするかもしれないのだ。そうなれば当然マリアまでもが……というわけだ。つまり、お願いだ、マリアを連れて逃げてくれ」
「なるほど……」

  ナマエはぽつりとつぶやいた。妹を思う兄の心。だが奴隷たちを逃がしたらどうなる、ヨシュアはただじゃ済まないだろう。下手したら自分までも奴隷になってしまうのではないか? なんなら殺されてしまう可能性だってある。

「わかったぜ」

  ナマエの危惧をよそに、ヘンリーが二つ返事した。

「あんたの気持ち、確かに受け取った」
「でも……」
「ナマエ」

  5主が、わかってあげよう、といったような顔でナマエに頷いた。確かにヨシュアが決めたことだ。自分たちが口出しするようなことではない。

「わかりました」
「ありがとう。水牢に案内しよう」

 ヨシュアは先頭に立ち、誰にも見つからないように慎重に部屋から水牢まで案内した。水牢では水の流れる音が絶え間なく聞こえていて、大きな樽が何個か鎖につけられていた。

「この水牢は奴隷の死体を流す場所で、浮かべてある樽は死体を入れるために使うものだ。気味が悪いかもしれんがその樽に入っていれば、たぶん生きたまま出られるだろう」

 たぶん、という言葉にナマエは多少怖気づくが、ずっとこんなところにいるよりか一か八かにかけてみたい。ナマエは、大丈夫。と自分を奮い立たせた。

「少ないが、ゴールドだ。あとは君たちの荷物も入っている。受け取ってくれ。さあ、誰か来ないうちに早く!」

  そう言って5主に袋を渡した。強く握った手からはヨシュアの願いが伝わってきた気がした。5主は礼を述べる。一方でナマエはどうしてもヨシュアのことが諦められなかった。

「あの、ヨシュアさんも一緒に行きませんか!」

 ナマエが堪らず言えば、ヨシュアは穏やかな笑みを浮かべて首を横に振る。

「俺が残らないと樽の蓋を閉められないだろう。でも、ありがとう」
「で、でも……!」
「さあ、早く。急いでくれ」

 有無を言わせぬ物言いに、ナマエは言葉を失って唇を引き結んだ。5主が一番最初に入って手を差し出すと、その手を取ってナマエが樽に入り込む。その次にヘンリーが入り、最後はマリアだ。

「お兄さま……!」
「マリア、無事でいてくれ。お前が俺の希望だ」

 ヨシュアが最後にマリアを強く抱きしめると、大きく頷いた。ヘンリーが差し伸べた手をマリアは取って、樽の中に入り込むと、ヨシュアは樽のふたを閉めた。途端、樽の中は真っ暗闇に包まれる。
 ヨシュアは樽を繋ぎ止めていた鎖の鍵を外して、樽を流れに押し出した。

(頼む……)

 ヨシュアの願いの詰まった樽はゆっくりと水の流れに乗って進んでいき、やがて神殿から飛び出した。途端、物凄い浮遊感が四人を襲う。ナマエは無意識に隣にいた5主に抱き着いて、5主もナマエを抱きしめていた。

「大丈夫! 俺たちなら大丈夫だ!」

 悲鳴や、水に乗って落ちていく音、色んな音が聞こえてくる中で、それらの音に負けないほどの大声で励ましてくれる5主に、ナマエは必死で「うん!」と返事をする。大丈夫、大丈夫、5主の声がおまじないのようだった。