次にナマエが気付いた時には、暗くて湿度の高いじとっとしたところだった。どこからか水の流れるような音も聞こえる。見渡すと遠くに燭台の明かりが見えるも、近くには光源が何もなく殆ど真っ暗だ。ここがどこだか見当もつかないうえに、どうしてこうなったのかがいまいち思いだせない。起き上がったところで腹部に痛みを感じて、それに引きずられるように記憶がよみがえってくる。
「……ヘンリー?」
暗闇に目が慣れてくると、少し離れたところには見慣れたヘンリーの姿があった。彼はまだ目を閉じて横たわっている。 ナマエが四つん這いでヘンリーに近寄ると、軽く揺する。すると彼は一瞬顔を顰めた後、うっすらと目が開かれた。
「う……なんだここは?」
「わからないの、ここ、どこ?」
不安がナマエを襲い、うるっ、と涙腺が緩む。鼻をすすり顔を上げて、鼻水が出てきそうになるのを堪える。ヘンリーは上体を起こし、ナマエの頭を安心させるように優しく一度撫でた。
「ナマエ、泣くな。たしか、5主を驚かそうとして、隠し階段に入って、それで、5主に見つかって、それで……変な大人が……」
「わたしたち、ユーカイされたの?」
「わからないけど、たぶん……」
それきり二人は黙り込んだ。けれど黙ったら黙ったで、沈黙がとても居心地が悪い。
「……ヘンリー、楽しい話をしよ」
「そうだな。……なあナマエ、ナマエは確か将来……」
それから些細な話題をどちらかが喋ってはすぐに終わり、また喋り、それを繰り返した。二人は手を握り合って互いの存在を確かめあった。それがこの真っ暗闇の中で、二人の冷静さを保ってくれた。
どれくらい時間が経っただろうか、足音が微かに聞こえてきた。二人は身を寄せ合って息をひそめた。足音はどんどんと近くになってきて、二人の鼓動は最高潮にまで達した。ぎゅっと、目をつぶる。
「……いた! いたよ、お父さん!」
降り注いだ声は、まだ幼い声。ナマエがうっすらと瞳をあけると、紫のターバンを巻いた少年、5主が、安心しきったような顔で、格子の奥で立っていた。その隣には松明をもった大きな男、パパスがいて、5主の少し後ろにはチロルがいた。松明の光でわかったが、どうやらここは牢屋のなからしい。
パパスが松明を5主に預けて、おもむろに扉に手をかける。
「ふんぬぬぬぬぬ!!!!」
ヘンリーやナマエでは到底出せないような地の底を這うかのような声をあげて格子を力ずくで開け、大人でも出られるくらいの大きさに開くことが出来た。パパスはできた隙間から手を差し伸べた。
「さあ、ここからでるんだ!」
「……ナマエ、いけ」
ヘンリーが小さく呟いた。
「うん。え? ヘンリーは?」
松明の光に照らし出されたヘンリーの表情を見て思わず聞いてしまった。彼がとても思い詰めたような顔をしていたのだ。
「王位はデールが継ぐ。おれは、いないほうがいいんだ」
ナマエは何も言えないでいると、パパスが開いた格子の間から中に入り込むと、ヘンリーの目の前に膝をついて、ヘンリーの頬を叩いた。乾いた音がこの静かな空間に響き渡り、ナマエは何も言えずに二人を見つめる。ヘンリーはまさか叩かれると思わなかったので、唇を震わせる。
「なっ……!」
「王子、あなたは父上の気持ちを考えたことがあるか!?」
「……」
ヘンリーは口を引き結び、黙した。パパスが伝えたいことは、きっとヘンリーにも伝わっている。
もう何年も前にヘンリーの母である王妃が亡くなって、現王妃との間にできたデールが異母兄弟としているが、現王妃はデールを次期後継者にさせようとしている動きがあることを知っている。けれどそれはあくまで王妃の思惑であり、父である王の気持ちはヘンリーの及び知らないところだ。
「……まあ、ともかく、お城に帰ってからゆっくりと父上と話されるがいい。いこう、ヘンリー王子にナマエちゃん」
「いこう、ヘンリー」
ナマエがへンリーの手をとって、二人は格子の外に出た。
「追手が来ないうちにここを出よう」
「そうはさせない」
パパスが言えば、別の人間の声が聞こえてくる。見れば、松明を持った数人の男がいた。恐らくこれが追手だろう。パパスがナマエたちの前に躍り出る。
「5主、ここは父さんが引き受けた。おまえは王子たちを連れて早く外へ!」
「う、うん! こっち!」
5主の導くまま、ナマエとヘンリーは走り出す。松明の心もとない灯りを頼りに、まっすぐ走ったり、右へ行ったり左に行ったり。用水路に落ちないように気をつけながら走っていく。しばらく走ったところで、徐々に走る速度を緩めて行った。
「5主、ありがとう」
ナマエが礼を述べれば、5主は笑みを浮かべた。
「ううん、怪我とかない?」
「大丈夫! やさしいのね」
5主のほっとしたような顔に、ナマエまでほっとする。彼の優しい顔は、人をやさしくさせる作用でもあるみたいだ。けれどナマエには、気がかりなことがあった。
「……ヘンリー」
母親が死に、父は違う女性と再婚してデールが生まれた。難しいことはナマエにはわからないが、継母である現王妃がデールを可愛がり、ヘンリーを煙たがっていることくらいは感づいていた。
「なんだ?」
「えっと、あのね……」
なんていえばいいのだろう。いいたいことはたくさんあるのだけど、どんな言葉を使って、なんて聞けばいいのかわからない。
「……ううん。なんでもない」
「そうか」
再び三人は沈黙に包まれた。松明の燃える音と、歩く音だけが聞こえてくる。なんとなく気まずい雰囲気だ。
父が気がかりだが、父の言われた通り二人を連れだそうとしている5主。
なんとなく、この誘拐の意図がわかりかけているヘンリー。
ヘンリーが気がかりなナマエ。
今世界でなにが起こってるのか。そんなこと、三人の子供たちはまだなにも知らない。
「へえ、5主はずっと旅をしてるんだ」
5主が気を使って話題を振ってくれるため、なんとなく明るさが取り戻されてきた気がする。たまにでてくる魔物たちは5主がなんとかしてくれた。彼はナマエたちと同い年くらいでありながら、魔物と対等に渡り合えている。 ナマエもヘンリーも、武器もなければ防具もない。魔法だって覚えてない。完全に5主に頼りきりであった。そんななか、話題も振ってくれる。子どもながらに感心した。
「うん。船を乗っていろんなところに旅してるんだ」
「へええ……わたしは、ラインハット以外にいったことがないから、すごいなあ」
「ふん、少し聞いてやってもいいぞ」
「ヘンリーが、知らない世界の話、聞きたいって」
ヘンリーの横柄な物言いには通訳が必要だ。 5主の語る世界は、ナマエにとって新鮮そのもので、そんな世界を見てみたい、触れてみたいと思った。
リュカの冒険譚を聞いていると、段々と先が明るくなってきたのを感じる。リュカが先を指さして言う。
「もうすぐ出口だよ」
「ほんとだ、お外の匂いがする。はやくラインハットに帰りたいなあ」
頬を微かに風が撫ぜて、外の香りを届ける。すべてが順調と思えた。
「……。ナマエ 、おれさ」
ヘンリーがなにか言いかけた時だった。
「ほっほっほっ。ここから逃げ出そうとはいけない子どもたちですね」
振り返ると、いつの間にやら人とは違う、魔物のようなものがいた。しかもそこらへんの魔物よりも少し賢そうな感じがした。本能が、この魔物はなんだかやばそうだ、と感じ取って、地を這うような恐怖で足がすくむ。
魔物は言葉を続ける。
「このゲマ様がおしおきをしてあげましょう」
「ナマエ、ヘンリー逃げて! 僕がここで……」
「ほっほっほ、美しい友情ですね。ですが、無駄です」
目の前で、5主が飛ばされる。目にもとまらぬ速さとはこのことなのだろうか。次に噛みついていったチロルが吹き飛ばされる。
「5主、チロル!」
次は自分だ、と思った時には視界ががらりと変わっていった。自分の身体が飛んだと思ったら、遅れて鈍い痛みが身体が襲う。ヘンリーは自分が守らなきゃと思ったのに、ふがいない。意識が遠のいていきそうだ、ヘンリーは無事なのかな。なんて考えながらも、意識が白に呑まれていく。
