今日の訓練を終えて食堂に行けば調査兵団の面々がそれぞれ夕食をとっているところだった。ああ、お腹すいた。なんて思いながらトレーを取って列に並び、ちらと食堂内を見渡せば、エレンたちが目に入った。食事を受け取ると吸い寄せられるようにエレンのもとへ向かった。
「こんばんは、エレン、アルミン、ミカサ。一緒に食べてもいい?」
「ナマエさん! もちろんです」
エレンが快く頷いてくれた。エレンは焦げ茶色の髪を真ん中で分けた男の子で、意志の強そうな太い眉毛をニコニコと下げたその顔は、年下と言うのも相まってとても可愛く見える。その横に座るミカサは美しい黒髪を肩につかないくらいまで伸ばした女の子で、その瞳も髪同様の漆黒だ。彼女はいつでもエレンの横にいるクールな美人で、テーブルを挟んでエレンの向かいに座っている男の子、アルミンはわたしと同じ班のニファにそっくりな美少女、否、美男子。金髪を顎先まで伸ばして、その瞳は晴れ渡った空のように碧い。
なんだか三人を見ていたら心が洗われるようだった。
わたしはお言葉に甘えて、アルミンの隣の席に座った。
「ナマエさんは今日、ハンジさんと一緒じゃないんですね」
そう聞くのはアルミン。わたしは頷く。
「ハンジさんなら研究室で寝ちゃってると思う。いつも一緒にいるイメージ?」
「そうですね、ナマエさんは、ハンジさんやモブリットさんか、ニファさんと一緒にいるイメージです」
「言われてみればそうかもしれない。やっぱり同じ班だしね、一緒にいることは多いかも」
よく見ているなあ、なんて感心しながらも「いただきます」と言い、サラダを食べて、スープを飲む。今日はじゃがいものポタージュだ。
「エレン、スープが口元についてる」
慣れた手つきでミカサがエレンの口元をハンカチで拭う。その様子はさながら姉弟の様子にも見えたが、その親密さについては、実はいつも気になっていた。わたしは折角なので、聞いてみることにした。
「ずっと気になっていたんだけど、エレンとミカサって付き合っているの?」
「いやいや全然違いますよ。小さい時からずっと一緒に住んでるってだけです」
エレンは、何を言っているんだこの人は。みたいな顔で手を横に振るが、ミカサはその横で複雑な顔をして押し黙っている。そのミカサの様子からこれ以上の追及はなんとなく憚られたので、そっか。で終わらせる。
「ナマエさんは、彼氏とかいるんですか」
「え?」
素っ頓狂な声を上げてしまったが、自分が聞いたのだから、この質問が返ってくるのは不思議ではない。わたしは何て答えようかな、と考えを巡らせる。事実を言うべきか、はぐらかすべきか決めかねていた。
束の間の逡巡の末、質問に答えてもらっておいて、自分ははぐらかすというのは大人として如何なものかと考えて、事実を告げることにした。
「そうね、いるよ」
それだけ答えると、エレンが「当てていいですか?」と目を輝かせて言ったと思ったら、わたしが頷く前に、
「モブリットさんですね!」
と、したり顔で言うものだから、わたしは声を上げて笑ってしまった。
「あはは! そうきたか!」
個人的にその回答が面白すぎて、声をあげて笑う。確かにモブリットさんと一緒にいることは多いけど、まさかエレンの目にはわたしたちが恋人同士に見えていたとは。
「俺の名前が聞こえたけど、どうかしたのかナマエ」
なんとも丁度いいタイミングでやってきたのは、噂のモブリットさんだ。その手には夕飯のトレーを持っていて、わたしは隣の席を、どうぞ。と案内してから、モブリットさんに事情を説明した。
「モブリットさん、聞いてください。エレンに、わたしとモブリットさんが付き合ってるんじゃないかって言われたんです」
モブリットさんはわたしの言葉を聞くと、とても複雑そうな顔をした。その表情になるのも無理はない。そしてエレンの顔を見据えると、真面目な顔をして否定した。
「エレン、断じて違うからな。そんな噂くれぐれも流さないように。アルミンとミカサもね」
モブリットさんにあまりの気迫に、三人はこくこくと頷いた。わたしはもう笑いが止まらない。理由はあるにせよ、そんな真顔で釘を刺さなくてもいいのに。それからモブリットさんは、しみじみと呟く。
「そうか、エレンは知らないのか……」
「知っている人のほうが少ないんじゃないですか」
とても驚いているモブリットさんだが、わたしとしては知らなくて当然だと思っている。わたしが付き合っていることは、仲の良い人しか知らないからだ。わたしが付き合っているということをわたしから伝えたのは、隣りにいるモブリットさんと、同じ班で仲のいいニファだけだ。
ところがモブリットさんはじゃがいものポタージュを食べた後に、「いや」と否定して、
「この狭い兵団内、噂なんてあっという間に広まるもんだぞ。現に、密かにお前らの関係を俺に聞いてくる人もいるからな。まあエレンたちは新兵だから、知らなくても無理はないか」
「そんなに広まってるんですか……困りましたね」
兵団内での恋愛は禁止されているわけではないが、なんだか公私混同とか言われそうで嫌なのだ。わたしよりもむしろ相手の方が困るのではないのだろうか。それだけは避けたい。
「えーじゃあ誰なんですか、オレの知ってる人ってことですよね?」
「エレン、そんなズケズケと聞くことじゃない」
「ありがとうミカサ。でも、秘密にしてくれるって言うなら教えるよ。ただし、当たったらね」
「すぐ当たりそうなもんだけどなあ」
モブリットさんがからかうように笑いかけてきた。そんなに分かりやすいのかなあ……わたしは仕事中に関係性が分かるようなことはしていないと思っているんだけど。最も、一番近い位置でわたしたちの様子を見ているモブリットさんだからこそかもしれない。
と、その時だった。
「なんだか面白そうな話をしてるじゃない」
聞こえてきた声に、心臓が止まるかと思った。振り返らなくたって声の主は分かるけど、反射的にわたしは振り返り、声の主―――ハンジさん―――を見た。
「私たち付き合っているんだよ、知らなかった?」
新兵三人は面白いくらい驚愕して、声も出さずに固まってしまった。クイズだったのに、結局ハンジさんにバラされてしまった。
そう、わたしの恋人はハンジさん。ハンジさんはわたしたちの関係を証明するかのようにわたしの後ろから首に腕を回して寄り添った。か、顔が近い……! 慌てて前に向き直る。人前でこんな近い距離でいるなんて、いくら気さくなハンジさんとは言え、部下と上司の範疇を超えているのは誰の目で見ても明らかだ。わたしは顔に熱が集まるのを感じた。勿論、いつもこんな風に人前で俗に言うイチャイチャをしているわけではない。断じて違う。だからこそバレていないと踏んでいたのだが、なぜハンジさんはこんなことをしているのだろうかと理解できずにいた。
「えええええ!! ハンジさんって恋人とかいたんですか!?」
「失礼だなあエレン、私だって恋人くらいいるさ」
“わたしの恋人がハンジさん”と言うことよりも、“ハンジさんに恋人がいた”と言うことの方が衝撃が凄いらしい。エレンが目をこれでもかというくらい開いて悲鳴のように言うのに対して、ハンジさんはいつも通り飄々とのたまう。何となくわかる気がするけど。ミカサは未だに驚き過ぎてフリーズしている。
「いや、ハンジさんって人間のこと好きになるんだって……」
エレンは衝撃から抜け出せないまま呆然と呟く。
「僕はてっきり、巨人への探求に心血を注ぎ過ぎて、そういうことには興味がないのかと思ってました」
アルミンもその顔の困惑を浮かべながら、とても信じられないと言った口ぶりで言う。
「アルミンまでそんなこと言うの。私だって人間だよ? ま、そういう訳だから、私の可愛い恋人に手を出さないようにね」
顔が近いのでハンジさんの声が耳元で聞こえてきて、こんな状況なのにぞくぞくしてしまうわたしは悪い子だ。
「ナマエさん……」
エレンが何か言いかけたと思ったら、フリーズ状態から解除されたミカサが物凄い勢いでエレンの目隠しをした。途端、エレンは非難の声を上げる。
「なんだよミカサ! なんで目隠しすんだよ!」
「見ちゃダメ」
「分隊長! 気持ちは分かりますが公共の場でイチャイチャするのはやめてください」
「なんだよモブリット、たまにはいいじゃないか今は仕事中じゃないんだしさぁ。徹夜続きでウトウトしてて、気が付いたらナマエがいないから探しに来たんだ。ナマエ、食べ終わったら帰ってきてね」
「は、はい……」
待ってるよ、とわたしにだけ聞こえる声で囁いて、ハンジさんは戻っていった。残されたわたしは身体が熱くて手で扇ぐ。
「……そういう訳だから、ナマエはハンジさんと付き合ってるんだ」
なんとも言えない空気になったところで、モブリットさんが説明してくれた。それと同時にミカサの手を無理やり剥がしてエレンが視界の自由を手に入れたようだった。その間わたしはいそいそとご飯を平らげていると、隣に座っているアルミンが呆然としたまま言う。
「ナマエさんがハンジさんと付き合っているのも吃驚でしたが、ハンジさんが人間のことを好きになるっていうことの方がもっと驚きでした……」
アルミンの言うことは勿論分かる。わたしだって、どうしてわたしのことを好きになってくれたのか分からない。けれど幸運なことにハンジさんは人間であるわたしを好きになってくれて、今となってはお付き合いをしている。
わたしは残りの夕飯を食べつつ、しみじみと言う。
「わたしも、まさかハンジさんがわたしのことを好きになってくれるなんて吃驚だったよ」
最初に好きになったのは勿論わたしからだ。あのときはまさか、ハンジさんと一緒の班になるとも思わなかったし、好きになってくれるとも思わなかったし、告白をしてくれるとも思っていなかった。けれど奇跡が起こって、今こうしてわたしたちはお付き合いをしている。
その奇跡に感謝をしつつ、ご飯のラストスパートをかけて、見事平らげた。
「……さて、ご飯も食べ終わったし、わたしは先に失礼します。皆さんおやすみなさい」
わたしは一方的に喋ると、追随を許さない早さでトレーを持って席を立ち、その場から立ち去っていく。
「ナマエさん、ハンジさんに抱きしめられたとき見たことない顔してた」
「エレン!」
エレンの呟きと、ミカサの咎めるような声が背後から聞こえてきて、わたしは顔から火が吹くかと思ったが、振り返らず、トレーを返却すると真っ直ぐにハンジさんの研究室へ向かった。ノックをして、ナマエです。と名乗れば、どうぞー。と緩い許可の声が扉越しに聞こえてくる。
「失礼します」
中へと入れば、乱雑に床に積まれた資料や荷物によって荒れた部屋を縫うようにしてハンジさんがこちらへと向かっているところだった。わたしと目が合えば、ハンジさんは目元を細めた。
「おかえり」
「ただいまです、ハンジさん。さっきは吃驚しましたよ」
わたしがそう言うとハンジさんはわたしのことを包み込むように抱きしめた。息を吸い込めば、ハンジさんの匂いがする。徹夜明けで暫くお風呂に入っていないこの芳しい匂いだって、わたしにとっては大好きな匂いだ。なんてことをリヴァイ兵長に言えば、酔狂だと思われるかもしれないが。
「あはは。だってみんなに教えなくっちゃさ。私のナマエだって」
「言ってよかったんですか? 隠しておいた方がよかったのかなって思ったんですが」
「どうして? ナマエは知られて嫌だった?」
「わたしは問題ないですけど、でももしハンジさんにとって不利益になったら嫌だな……って思って」
腰に回した腕の力が思わず強くなる。わたしだけのハンジさんだって思いたい。今だけは、今だけでも。この手の中にいるんだから。このまま閉じ込めて、いつまでもわたしの傍にいてくれればいいのに。
「どうして不利益になるって思うの?」
「……例えば、公私混同だってハンジさんが他の人から言われたりしないかなって。それに、わたしなんかが恋人って……その」
「ナマエ」
強い力で引き離されたと思ったら、肩に手を置かれてハンジさんと真っ向から向かい合う。ハンジさんの顔は真剣で、口はきゅっと真一文字に締められていた。普段とは違うその姿が妖艶で、わたしは射止められたかのように固まる。そしてハンジさんは口を開いた。
「どうして“わたしなんかが”って思うの? 私のナマエを、そんな風に言わないでほしいなぁ。私はナマエが好きで、ナマエは私のものだってみんなに知らしめて、誰も手出しできないようにして独占したいって思っているよ。だからそんな風に卑下しないで。それに私たちは果たすべきことを果たしている。誰も公私混同なんて言わないさ」
「ハンジさん……」
眼鏡の奥の瞳は静かな熱を湛えていた。その熱が伝わってきてわたしは熱に浮かされそうな感覚になる。そしてそのままゆっくり顔が近づいてきて、唇が重ねられた。やがてどれほど時間が経ったか、ちゅっと音をたてて唇はゆっくりと離された。心臓が握りつぶされそうなくらい締め付けられて痛い。そんなわたしに追い打ちをかけるように今度はおでこをくっつけて、わたしの両頬にハンジさんの手が添えられた。
「さて、明日は調整日だね。一緒に寝ようか」
吐息がかかるほどの近さでのハンジさんの囁き声は少々身体に悪い。ハンジさんは自身の妖艶さを知ってか知らずか、その情欲的な魅力を惜しげもなく晒し、わたしを扇状する。どちらにせよたちが悪い。
「はい……あ、でもここを片づけないと、それにハンジさんお夕飯―――」
「いーの。さあ、私の部屋へ行こう」
わたしの恋人は、変人マッドサイエンティストで有名な、第四分隊隊長の、ハンジ分隊長です。確かに変人だけど、とってもセクシーでわたしの気持ちを掴んで離さない妖艶なお方なのです。
