と、いうわけで子ども作ろう!

 ナマエは昨日、酔いつぶれた挙句、本当にハンジに担がれて兵舎まで戻ったのだが、その揺れで気持ち悪くなってしまい、しばらく兵舎のトイレとお友達になっていた。その間ずっとハンジはナマエの背中をさすりながらぺらぺらと喋り倒していたのだが、ナマエは耳には全く入ってこなかった。だが、

『ねえねえナマエ何吐いてるの? 見せて見せてぇ!』

 と、おおよそ正気とは思えないことを言われたことだけは深く記憶に刻まれていた。
 しばらくしたら酔いも覚めて気持ち悪さも収まったため、お風呂に入ってハンジの部屋で共に眠りに就いたのだった。
 翌朝目が覚めると、ぼんやりとした頭で周囲を見渡す。するとハンジはもう目覚めていて、すぐ隣で片肘をついてナマエの顔を覗き込んでいた。ナマエの起床に気づくと、ハンジは「おはよう」と笑いかけた。

「おはようございますハンジさん。起きてたなら起こしてくださいよお……」

 寝顔を見られていたなんて恥ずかしくて、ナマエは思わず手で顔を隠す。

「いやあ寝顔が可愛くてついね」

 そう言ってハンジはナマエの頭をそっと撫でた。ナマエは指と指の間からハンジの端正な顔を眺める。朝日に照らされたハンジは今日も美しかった。ナマエは朝から胸が締め付けられるのを感じる。もっとハンジを見たくて、顔を覆うのをやめて、その手をハンジの身体にまわして抱きついた。
 そうしてナマエは昨夜のことを少しずつ思い出していく。その記憶は虫食いで、特に中盤の記憶はぼんやりと靄がかかっているものの、こうして隣にいるということは問題なく帰ってこれたということだ。

「昨日は……どうもすみませんでした。記憶がない部分もあるのですが、とても楽しかったです」
「私も楽しかったよ。さあ、昨夜はできなかったけど、子どもを作ろうか!」
「は? 子ども?」

 なにかの聞き間違いだろうか。思わずナマエは顔を離してハンジの顔を見やるが、その顔からは冗談を言っているようには思えなかった。今から実験を始めるときのような恍惚すら感じる表情だ。
 実験……と思い至り、今の話は実験の話だろうかと考える。しかし巨人の生殖器はないから子どもをつくる実験はできない筈だ。それに、巨人に繁殖されてしまっては困る。
 興奮気味に言うハンジに対し、ナマエは寝起きのぼんやりとした頭を回転させながら、必死にハンジの言葉を理解しようと努めた。が、結果よくわからなかった。
 ナマエの理解を置き去りにしにて、ハンジはとても爽やかに言う。

「そう、子ども!」
「……なんの子どもですか?」
「私とナマエの子どもに決まっているじゃないか! 昨日ナマエがトイレとお友達になっているときに子どもを作ろうって言ったら、はい。って何度も言ってたよ」

 あの時は気持ち悪いのピークで、ハンジの言葉はすべて聞き流していたから適当に返事をしていた時だ。

「ああ、丁度記憶がない部分ですねそれ。だからその返事は無効ですね、はい」
「ええーー!? 子ども作らないの!?」

 恍惚に染まった表情が一転、目の前で捕獲しようとしていた巨人をリヴァイに駆逐されてしまったときのような顔になる。
 それにしても、とナマエは改めて思う。朝からなんとテンションが高いのだろうか。そしてこの反応から、ハンジが本気で子どもを作りたがっているのを感じ取る。なぜ急にこんな発想に至ったのだろうか。昨夜の会話を思い出してもそこに至るようなヒントは何もないように思えた。
 それ以前に、子どもをつくる前に為すべきことがあるはずだ。ナマエはぼそっと言う。

「……結婚もしてないのに子どもをつくるんですか?」

 大体は結婚して夫婦になったのちに子どもを作る。だが生憎ナマエたちは結婚をしていないし、結婚を申し込まれたわけでもない。プロポーズを急かすわけではないが、子どもがほしいと言うのならば、その前に結婚の話になるべきではないかと思ったわけだ。
 ハンジは得心がいったように「ああ、それもそうだね」と言って、

「よし、結婚しようナマエ!」

 と、さらりと、軽やかに。まるで、旅行にでも誘うように、結婚しようと言った。嬉しいよりも驚きが上回り、頭の中はクエスチョンマークで埋め尽くされていた。この疑問符たちを解消するには、ハンジに尋ねるしかない。

「ええ? 子どもをつくるから結婚するんですか?」
「うん! とにかく今すぐにでも子どもが欲しいんだ」

 今すぐ子どもが欲しい、だから結婚する? その言葉に、ナマエの胸には靄が立ち込めた。それは違うんじゃないか。とナマエは違和感を感じるのだ。結婚って、好きだから、ずっと一緒にいたいから、共に生きていきたいと思うから、するんじゃないのか? 胸を覆う靄はどんどんと広がっていく。
 ナマエはハンジに回していた腕を解くと、くるりと身体を捻ってハンジに背を向けて、ベッドから起き上がる。

「ちょっと、ひとりにしてください」
「え、ナマエ? どうして??」

 ハンジの問いには答えずに、ハンジの部屋を出た。

+++

「そしたらナマエが怒っちゃってさー。なんでかなあリヴァイ、私のことを嫌いになっちゃったのかな」

 自室で報告書を書いていたリヴァイはペンを止め、はぁと短く息を吐く。先程ズカズカとやって来て、勝手に椅子に座って聞いてもいないのにペラペラと喋り、最終的に悩ましそうに眉を寄せているハンジに目を向けた。

「テメェのその脳みそは巨人のクソでも詰まってんのか」
「え、詰まってないよ?」

 ぱちぱちと不思議そうに瞬きするハンジ。

「それに巨人に排泄機能は―――」
「そうじゃねぇ」

 どうやら掛ける言葉を間違えたらしい。冗談の通じない闖入者に対してもう一度、今度は深く息を吐くと、リヴァイはペンを置いた。ここから一秒でも早く追い出すには、ハンジの求めている言葉を伝える必要がある。
 半分以上は聞き流していたが、どう考えてもナマエが出ていくのは当たり前のことだと思った。ハンジという人間は、頭はいいくせして、どうも足りないところがある。

「そもそもテメェがなんで子どもが欲しいと思ったのか、テメェの取っ散らかった思考をもう一度整理しろ。なぜ子どもが欲しいのか、なぜ壁内にいてほしいのか」
「……ふむ」

 ハンジは思案する。

「ここで考えんな。自分の部屋でやれ」
「ええー、ケチだなぁリヴァイ」

 リヴァイは無理やり椅子から立たせて部屋から追い出すと、しっかりと鍵をかけた。

+++

「と、言う訳で、モブリットはどう思う?」

 リヴァイの部屋を追い出されたハンジはその足でモブリットの部屋に行って、リヴァイに尋ねたことを同じようにモブリットにも。今から出かけるところらしいが、少しだけ時間を貰えたのでモブリットの意見を聞いてみることにしたのだ。
 モブリットはハンジの話を聞き終えると、信じられないものを見るかのような目でハンジを見た。

「え、分隊長本当に提案したんですか! アンタバカなんですか!!」
「私はいつだって本気だよ!」

 そうだ、いつだってこの上司は本気なのだ。モブリットは僅かに思案して、なるべく真っ直ぐに伝わるように言葉を紡いでく。

「うーん、自分に言えることは、普段は喋りすぎているくらいペラペラ喋っているのに肝心なことを何も伝えられてないってことですよ」
「肝心なことって?」
「ですから、分隊長はナマエのことを愛しているからこそ壁内にいてほしいわけで、そのために……あ、いや、これ以上は言うまでもありませんね。ほら、自分はもう出かけますからね」
「……ふむ」

 モブリットの言葉に導かれて、なんとなく“答え”の輪郭に触れたような気がした。ハンジはその足でナマエの部屋へと向かった。

+++

 部屋をノックする音が聞こえてきたので返事をして、来訪者を確認するべく扉へと近づく。ナマエが扉を開ける前に扉が開いて、このことから来訪者の予想が確信に変わった。

「ハンジさん」

 やはり部屋に入ってきたのは恋人のハンジだ。入って早々、抱きしめるハンジ。強いくらいの抱擁にナマエは戸惑いを隠せない。もしかしたら今朝のことを謝りにきたのかと思い、口を開く。

「どうしました? 今朝のことでしたら――」
「ごめんねナマエ。私の言葉が足りなかったし、色々と急ぎ過ぎてしまった。私の悪い癖だ。私の話を聞いてくれる?」
「……もちろんです」

 抱擁されながら、ハンジの紡ぐ言葉に耳を傾けた。

「私はね、ナマエを愛しているからこそ安全な壁内にいてほしくて、そのために子どもが欲しかった。子どもがいればナマエは壁内で待っていてくれるだろう? でも私は肝心な、ナマエを愛している。と言うことを伝えずにいたね」

 愛している、その言葉は鼓膜から心臓に到達して、力強く脈動する。まさかハンジがそこまで考えてくれていたなんて、思いもしなかった。

「ごめんねナマエ、愛しているよ。そして順番を間違えていた。ナマエを愛しているから、ナマエと結婚したいし、ナマエとの子どもが欲しい。そしてその時は壁内で私の帰りを待っていてほしいんだ」

 澱みなく心情を吐露したハンジに、ナマエは抜けるように笑った。

「……ほんと、ハンジさんは生き急ぎ過ぎです」

 ハンジらしい早まり方に、ナマエは笑みを零す。というか、さっきから子どもが欲しいとか結婚したいとか散々言われたが、これはプロポーズなのか? と、そんなことを聞くのは野暮だろうか。

「とにかくだ」

 ぐいと離れて、ハンジはナマエの両頬を包んだ。

「結婚してくれる? ナマエ」

 顔に熱が集中する。優しく目を細めて告げられた言葉はプロポーズととっていいのだろうか? 瞠目するだけで何も言えないでいると、

「あーでも」

 と、ハンジがなにか思案するように言う。でも!? でもってなに!? と、ナマエはいやに心臓が早くなるのを感じる。

「プロポーズちゃんとしたいしな、また改めて言わせてもらうよ」
「は!? なんですそれ! 今のなんなんですか!」

 頬を包んでいたハンジの両手を引っぺがして、ナマエは吠えるように言う。ハンジはそのままの調子で言葉を続けた。

「ほら、指輪だって買ってないし。私だってそこらへんはちゃんとしたいしさ」
「いやいや、ちゃんとした人は結婚してくれって言った後、やっぱまた改めてなんて言いませんし!」
「あははっ! 怒った顔のナマエも可愛いなぁ」
「……っ! もう、ハンジさんのアホ……」

 もう、何を言っても無駄だと悟る。ナマエはふぅとため息をつくと、諦めたように眉を下げ、口角を上げた。

「待ってますからね、プロポーズ。結婚したら子ども作りましょうね」
「うんうん! あぁ楽しみだなぁ。ナマエに似た女の子とナマエに似た男の子が欲しいなぁ」
「わたしはハンジさんに似た女の子とハンジさんに似た男の子がいいです」
「家族みんなで巨人の観察日記を付けよう! それぞれ異なった視点で見るとまた面白い発見があるかもしれないからね。子どもの柔らかい頭なら私たちが想像もできないようなことを思いつくかもしれない!」