好きを適量ちょうだい。

 ちょっとちょっとそこの新兵、近いよ。いや、ハンジさんが近いのか? ハンジさんがぐいぐい近寄っているのか? ハンジさん、あなたはわたしの恋人なんですよ。わかってますか。あれ、今ハンジさんが腕を動かした瞬間肘当たった? ごめんごめん、って謝ってるハンジさん、より一層近いんだけど、大丈夫?

「どうしたの、すごく怖い顔してるけどお腹でも空いた? もうすぐで昼休みだよ」

 ニファに言われてはっと我に返る。わたしはどうやら目の前の光景に集中していたらしい。曖昧に笑い、「なんでもない」と濁す。
 それにしても、怖い顔をしている=お腹が空いているという認識はいただけない。わたしはお腹が空くと怖い顔をしているのだろうか。
 晴天の下、対人格闘の訓練。わたしはニファと組んでいて、ハンジさんは少し離れた場所で別の班の新兵の子と組んでいた。ここからでは離れているから仔細までは分からないが、わたしとニファの組み合いが終わったあとなんとなしにハンジさんを見たら、二人も組み合いは終わっていて、とても楽しそうに話していた。その距離はとても近くて、少しでも動けば肘がぶつかるような近さだった。そして案の定肘がぶつかったのだった。
 そのあとも新兵は控えめだが楽しそうに笑って何かを言っている。するとそれに食いついたであろうハンジさんがグッと顔を近づけて、何か言うと、あろうことか新兵の両手を握ってぶんぶんと握手している。そんな光景を見ていると胸が火傷を負ったみたいにチリチリと焦げていくのを感じるのと同時に、自分の顔が渋くなっていくのが、自分でも分かる。
 ニファがわたしの視線を辿ると、得心がいったように「なるほど」と呟いて、

「ヤキモチ?」

 と、ズバリ。切り揃えた前髪の奥、まん丸の瞳が楽しそうに光っている。

「だってさぁ、近くない? ハンジさんが誰に対しても距離違いのは今に始まったことじゃないんだけどさ、でもさ、でもだよ……」
「はいはい泣かないの」
「泣いてないし」

 ハンジさんは無自覚に人との距離が近い。誰にだって話しかけるし、困っている人がいれば手を差し伸べる。基本的には分け隔てなく優しいし、面倒見がいい。それがハンジさんの美点であると思っているし、尊敬しているところでもあるし、好きなところでもある。
 でもやっぱり、こうやって目の当たりにすると心臓がぎゅっと握られたかのように痛むし、胃までキリキリと痛む。
 誰にでも優しいハンジさんが好きだけど、わたしだけに優しかったらいいのに、と思うときもある。矛盾しているけど、これは紛れもない本心だ。
 巨人の話をするときの溌剌とした表情も、愛憎入り混じった巨人を見つめる横顔も、全部全部わたしにだけ見せてくれればいいのに。
 ―――なんて、勿論そんな事は言わない。毎年新兵が入ってくる度にそわそわして、気が気でないことだって、すべてはわたしの中のしまってある箱にずっとあればいい。
 わたしが余計なことをいったら、ハンジさんの一種の清廉性に一点の黒い染みができてしまいそうで、怖いのだ。そんなことは望んでいない。今日も矛盾ばかりの自分の気持ちが嫌になる。
 でも、やっぱりヤキモチを焼いてしまうのは仕方のないことだろう。いや寧ろ仕方ないと言ってください。と、誰に言うわけでもなく心中で言い訳がましく呟く。

「なんかあの子、ちょっぴりナマエに似てるね。雰囲気かな」

 何気なくニファに言われて、そういう目で見てみれば、確かに似てなくもない気がする。すごく似ているかと言われれば、そうではないが、女性の顔を八系統に分けるのならば、同じ系統に入っているくらいの近似性だ。

「似てるかなあ。でもニファが言うのなら似てるんだろうね」

 自分よりも自分の顔を見ているであろう仲の良い同僚が言うのならばきっとそうなのだろう。
 でも、だからだろうか。胸がざわめくのを感じる。
 考えたくもないのに、考えてしまった。たらればの話なんて無意味だと分かっているけど、けれど。
 もし、彼女がハンジさんと出会うのがわたしよりも早かったら?
 途端に心が悲鳴をあげそうになったので、そんな可能性を振り払うようにかぶりを振って視界に二人が入らないようにした。見えるからわたしの頭の中に入り込んで、考えてしまうのだ。それならば見なければいい。わざわざ己を傷つけることもない。
 ニファは「さて」と呟いて構える。

「時間あるし、もう一回やろ」
「いいね、次こそ負けないよ!」

 訓練が終われば昼食の時間なので、ニファと一緒に食堂へと向かった。ぺこぺこだったお腹が満たされれば少しずつ気分が上向いていく。ニファが先ほど「お腹空いてるの?」と聞いてきたのはあながち間違いではなかったのかもしれない。
 ハンジさんの人との距離が近くてやきもきすることは、間々ある。でもわたしだってずっとヤキモチを焼いているわけではない。時間が経てば気にならなくなるし、ハンジさんと会えば、わたしにだけ向けてくれる特別な気持ちがあると思わせてくれるから、それまでうじうじ考えていたことが馬鹿らしくなるくらいちっとも気にならなくなる。だからこれは一時的な感情なのだ。経験上分かっている。
 しかし、今日に限ってはそうはいかなかった。
 午後の業務も終わった夜の食堂で、再びそれは起こった。

「あれっ、このあいだの子だ。偶然だねえ」

 食堂で列に並ぼうと歩いていたら、わたしの少し前にハンジさんがいるのが見えた。声をかけようとして口を開いたところ、ハンジさんは声を弾ませて、違う人に話しかけた。その人が振り返れば、他班に所属する可愛らしい女の子だった。その子はハンジさんの姿を認めると、リボン結びか解けるように嬉しそうに顔を綻ばせた。そうして二人は並んで列を歩き始めた。
 そんな二人を眺めていると胸が鷲掴みされたかのように痛んで、歩みを進めていた足もぴたりと止まった。今ハンカチを持っていたらハンカチを噛んで身悶えていたかもしれない。だがわたしはハンカチを持っていないので、声をかけようとして開いた口はきゅっと結んで、負の感情に負けないようにぐっと堪える。このあいだのって、一体何があったんですか。知りたくないけど知りたい。知ったところで毒にしかならないとわかっているのに。
 一人挟んで後ろに並び、二人と絶妙に距離を保ちつつ、なるべく気配を消して二人の様子を観察する。断じて盗み見や、盗み聞きの類ではない。ただ、たまたま近くにいるので見えたり聞こえたりするだけなのだ。
 だが後ろからだと前の会話というものは鮮明に聞こえてこない。わたしは二人の会話を断片的にしか聞くことができなかったが、それでもだいぶ打ち解けていることは伝わってきた。
 有り体に言えば、やっぱりハンジさんがわたし以外の子と親しげに話している様は面白くない。多分これがニファだったらそこまで気にはならなかったと思う。これは相手が、わたしが殆ど知らない相手だからと言うのもあると思う。率直に、怖いと思った。得体の知れない脅威だと思ってしまった。そしてその脅威は、もしもハンジさんの気持ちが離れてしまったらどうしよう、という底の知れない不安に姿を変えて、わたしの足元に忍び寄る。
 その不安を一蹴できるだけの自信も、根拠も、何一つわたしは持ち合わせていないのだ。でもきっといくら自信と根拠を手に入れても、きっとずっとこうやって不安になるんだろうな、とも思う。ハンジさんに恋をしている限りずっと、好きな気持ちと不安な気持ちは光と影みたいに寄り添い続けるのだろう。
 だからこの不安な気持ちやヤキモチは、好きである以上全部しょうがないことなんだけど、“しょうがない”を免罪符にしてその気持ちに呑み込まれて暴走するのは破滅への第一歩だ。間違ってもその一歩を踏み出してはいけない。いけないのだけど……。今ハンジさんと会ったら暴走しそうで怖い。
 それからその子とハンジさんは一緒に夕飯を食べ始めた。見なきゃいいのに、わたしはなぜか二人を見てしまう。治りかけの傷口を触っては痛がり、やっぱり治ってないことを再確認しているみたいな不毛さだ。
 もう何もかも、寝て忘れてしまおう。明日になればきっとわたしはいつも通りだ。今日はたまたまそういう場面に多く出くわしたから、ヤキモチを焼いて心にダメージを負っているだけだ。
 食堂を後にすると、いつもよりもだいぶ早い時間だが、風呂を済ませてもう寝てしまうことにした。
 風呂を済ませ、寝巻きに着替えて、さて燭台の火を消して寝ようかと燭台に向かったその時だった、部屋に突如ノック音が聞こえてきた。来客の予定なんてなかったものだから、わたしは肩を震わせて扉を見やる。

「ナマエ、いるー?」

 心臓がギュッと締め付けられる。この声は、今最も会いたくなくて、でも最も会いたい人でもある、ハンジさんだ。どうして今日に限ってやってくるのだ。普段、わたしがハンジさんの部屋に行くことが多いからハンジさんから訪ねてくることは滅多にないというのに。今日はとことんツイてない気がする。
 今ハンジさんを目の前にしたら、絶対に変な態度をとってしまう。だってまだ心に刺さった棘は抜けていなくて、抜けたとしてもそこにできた穴はすぐには埋まらない。一瞬居留守を検討したが、ハンジさんは合鍵を持っているから多分鍵を開けて不在を確認するはずだ。ともすれば、なんで居留守したの? と聞かれることは間違いない。じゃあ寝たフリをするか? いやでも何か重要な話があっていたのかもしれないし……。
 頭の中では色々なことを考えていたが、時間にしては刹那だった。

「はい、います」

 導き出した結論に従って、できるだけ平静を装って返事をした。鍵を開ければ、案の定扉の外にはハンジさんがいて、ああやっぱり好きだ、と苦しいくらい再認識する。

「こんばんは。お邪魔してもいい?」
「……はい、どうぞ」

 招き入れると、慣れた様子でハンジさんは椅子に座った。わたしもテーブルを挟んで椅子に腰掛けると、ハンジさんはにっこりと微笑んだ。

「特に用事はないんだけどね、なんか会いたくなったから来ちゃったよ」
「そうでしたか……」

 普段のわたしだったら、ウォールローゼの壁の上に立って「好きーーー!」と叫びたいくらいの喜びに悶え狂っていたに違いない。けれど今、わたしの心は複雑な様相をしている。そしてそれは、ハンジさんに伝わってしまったに違いない。わたしの反応を見て「ん?」と首を傾げた。

「どうしたの? 元気ないね」
「そんなことないですよ」

 ギギギ、と錆びた音でも聞こえてきそうなぎこちない動きをして、なんとか笑顔を作り上げた。うまく笑えている自信はなかったが、ハンジさんが顔を顰めたことで失敗を悟る。

「本当にどうしたの? すっごい変な顔しているけど、お腹空いた? ごめんね、食べ物は持ってないんだ」

 そういってハンジさんは申し訳なさそうに空の両手を見せた。わたしは笑顔を浮かべているはずなのだが、ハンジさんの目にはすっごい変な顔に写っているらしい。そしていつもと様子が違うと、お腹が空いてると認識されているらしい。ニファにしてもハンジさんにしても、一体どういうことだ。わたしはかぶりを振る。

「お腹は空いてません」
「そうなの? じゃあどうしたって言うの」
「……別になんでもないですよ」
「嘘だぁ。すっごい唇尖ってるけど」

 指摘されて慌てて唇を引っ込める。ハンジさんは軽快に笑って、「言いたくないならいいけどさ」といって引き下がった。
 すんなりと引き下がられたらそれはそれで複雑な気持ちだ。そしてそんな自分に自己嫌悪をする。まるで面倒くさいかまってちゃんだ。
 なんて答えようか、と思案しつつ改めてハンジさんを見る。燭台の明かりに照らし出されたハンジさんはいま、わたしだけを見ている。その事実が、わたしの胸をきゅっと締め付けた。するとハンジさんの笑顔に悪戯っぽさが混じる。

「なーんて、物分かりのいい恋人を演じてみたけど、気になって仕方ないから、ナマエが口を割るまでお風呂入らないよ」
「どんな脅しですか」

 とはいえお風呂に入ってくれないのは困る。あんまり入らないと、リヴァイ兵長が強制執行するわけだけど。あれはみていて良心が痛むから、できるなら自発的入ってほしい。
 ……もしも、ヤキモチを焼いたと言ったら、ハンジさんはどんな反応をするんだろう、という興味がないわけではない。けれど、面倒くさく思われないだろうか。

「さ、早く早く」

 ハンジさんが頬杖をついて続きを促す。わたしは、どうしたものかと考えあぐねる。経験上、ハンジさんが何かを言い出したら、納得するまで折れないことが多い。だからわたしは多分、白状するという選択肢しかないのだ。それに器用ではないわたしは、ここで言わないとこのあと言葉の端々や、ちょっとした行動に歪みが生じそうだ。
 観念したわたしは、テーブルの上に置いた己の両手に視線を落として、ぽつりぽつりと今日のことを話し始めた。訓練で組んでいた新兵との距離の近さや、食堂で話しかけようとしたら違う女の子に話しかけて、その子とずっと楽しそうに話していたのが気になったこと。

「……それってもしかして、ヤキモチ焼いたってこと?」

 ハンジさんがどんな表情をしているのか怖くて見えない。いつの間にやら固く握っていたこぶしから視線をあげてハンジさんを見た。ハンジさんのメガネと、その奥の瞳は、妖しく光っていて、口元はにやりと弧を描いている。

「そうですけど。……悪いですか」

 唇がどんどんと尖っていくのが自分でもわかる。

「悪いわけないじゃないかーーーー!! クッソ可愛すぎるだろ!!!!」

 ガタッと音を立てて椅子から立ち上がり、天井に向かって叫ぶ。隣近所にもれなく響き渡るくらいの声量で、わたしはヒヤヒヤする。今にも兵長が「うるせぇクソメガネ!」と怒鳴り込んできそうだ。どうやらハンジさんは急速に興奮メーターがマックスに振り切れてしまったらしい。

「ちょ、ハンジさん……!」

 椅子から立ち上がりハンジさんを落ち着かせようとするが、ハンジさんの興奮は止まることを知らない。

「えー! 私の彼女すっげー可愛いんですけど! ヤキモチ焼いてるなんてぜんっっぜん気づかなかったよ! クッソ滾るぜ!!」

 力強く抱きすくめられたと思ったら、足が地面から離れる。抱き上げられて、そのままベッドへと運ばれた。ハンジさんがわたしを押し倒せば、ぎしり、マットレスが不満げに軋んだ。本当だったら今頃、一人寝るために横たわっていたはずだったベッドに今、二人分の体重が乗っかっている。わたしに跨って見下ろすハンジさんの顔は情欲に塗れていて、見ているわたしにも興奮が移り、ぞくりとした。こんなにも興奮を湛えた瞳でわたしを見ていて、今からわたしはその興奮に飲み込まれるのだ。

「そっかぁ……ヤキモチ焼くとあんな顔するんだぁ。また一つナマエのこと知れて嬉しいよ」
「嫌じゃないですか? 面倒くさくないですか? ハンジさんが誰にでも優しいところ、大好きなんです。大好きなんですけど、ヤキモチ焼いちゃうんですよ」
「嫌じゃないし、面倒くさくないよ」

 そう言うと、ハンジさんはわたしの唇に触れるだけのキスを落とした。そして耳元に唇を寄せると、

「むしろ、ちゃんと私のこと好きなんだなって、安心する」

 と、言葉の続きを甘やかで熱を孕んだ声で囁いて、耳たぶにくちづけを落とす。戯れるような愛撫に、わたしの身体はぴくりと反応し、漏れ出た淡い嬌声とともに弓形にしなった。
 ハンジさんは鼻先が触れるくらい顔を寄せる。ハンジさんは人との距離が近いけれど、こんなにも近づいてくれるのはわたしだけだし、近づくのを許してくれるのも、わたしだけだ。

「ハンジさん」
「ん?」

 大好きな分だけ、大好きになってほしい。愛した分だけ、愛してほしい。けれどそんなのは無理な話だ。人の気持ちというのは、求めたら求めた分だけ与えられるものではない。そして与えられたそばから欲しがって、もっともっとと貪欲に愛を欲しがる。
 でも今、その言葉を聞けたら、きっとわたしは、心の底から深い満足感に包まれると思った。だから、求める。

「好き……って言って欲しいです」

 わたしのお願いに、ハンジさんは面食らったような顔をして「え?」と声を漏らすと、顔を離して意図を探るみたいにわたしの顔をまじまじと見た。わたしは言葉を続ける。

「深い意味はないんですけど、わたしも、ハンジさんはわたしのことが好きなんだなって安心したいっていうか……」
「あは、なるほどね。なんか改めて言うとなると照れるなぁ」

 ハンジさんは照れくさそうに視線を彷徨わせると、やがて意を決したような瞳と交わる。
 
「好きだよナマエ。お望みならば何度だって言ってあげる」

 そう言って微笑むと、キスが雨のように降ってくる。心臓が熱く強く脈を打って、痛いくらいだった。ちゅ、ちゅ、と音を立てて柔らかな唇が重なり、その狭間、温かな舌がにゅるりと侵入してきて、口腔内を動き回る。言葉も、吐息も、想いまでも全てがハンジさんの熱いキスに溶かされて、混じっていく。

「好き、ですか?」

 キスの合間、息継ぎをするように好きをねだれば、

「好きだよ」

 酸素を与えるようにわたしに好きをくれて、身体中に愛おしさが流れ込んでくる。わたしたちは好きな気持ちを確かめるように、あるいは見せつけるように、互いの身体の深いところに触れていく。ヤキモチを焼いた後というのはいつもよりも交歓の喜びや深さの度合いが違う気がする。喧嘩した後にすると燃える……という話を聞いたことがあるが、それと似たようなものかもしれない。
 何よりも大切で、かけがえのない存在であるハンジさんと交わることができる喜び、そのハンジさんに選ばれたという奇跡。その全てがわたしの胸を衝いて、泣きたいくらいの幸せに包まれる。
 これからもわたしは性懲りも無くヤキモチを妬いてしまうと思うけれど、何度だって“好き”をくれるならば、きっと大丈夫だと思った。だって、わたしとハンジさんなんだから。

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リクエスト四本目、距離感バグってるハンジさんに嫉妬からのイチャコラーでした!!素敵なリクエストありがとうございました!事前にXにアップしたものから少し修正しています。毎度のことながらリクの文面だけでも良質な栄養が摂取できてありがたい( i _ i )もっとイチャイチャさせたいのでまたの機会にガッツリと!
引き続き、リクエストゆる募ですのでお気軽にー♪