14.ここにいたこと

 暫く二人は川辺で座って居るとどんどんと夕日が暮れていった。完全に沈み切る前に5主がやってきてナマエの隣に座り込み、村を回っていて思い出したことを二人に伝えた。
 ―――かつてこの村に滞留していた時に、父がこの村を流れる川の奥にある洞窟に何かを隠していたのだ。5主がついていこうとしても、父は頑なに拒んだという。

「付き合うぜ相棒」
「ありがとうヘンリー」

 何が待っているか分からないが、行ってみる価値はあるだろう。

「5主、俺はラインハットに行って、親父さんの汚名を晴らしたい。何が何でもだ。絶対に、真相を突きとめる」
「……でも、二人の身が危険に晒されるのは嫌だ」
「俺の命に代えたって、絶対にやらなきゃいけないことだ」

 ヘンリーの心はもう決まっている。真摯な言葉からヘンリーの覚悟が伝わってくるようだった。5主だってヘンリーの気持ちは嬉しいし、それができるのならば勿論嬉しいが、ヘンリーを亡き者にしようとしたものが、彼が生きていると知ったら、今度こそ殺されてしまうかもしれない。それはいやだった。

「でも―――」

 なおも食い下がる5主を制してヘンリーが「さあて」といつもの声色で声を上げる。

「俺はもうちょっと村を散策してみるよ。5主、悪いけどもう暗くなっちまったから、宿までナマエと一緒にいってくれないか?」
「……うん。わかった」

 5主は戸惑いつつも、頷いた。ヘンリーはにかっと笑うと、手をひらひら振って歩いて行った。ヘンリーには逃げられてしまったが、5主はもう何も言ったって彼の考えが変わらないことを悟る。
 残されたナマエと5主は顔を見合わせた。何を話せばいいのかもわからない。ナマエは戸惑い、気まずく思い、何とか話題を探す。

「……昔」

 そんなナマエの気まずさをよそに、5主が懐かしむように目を細めて言葉を紡ぐ。

「俺が父に連れられて初めてサンタローズにきたときに、隣町に住んでいる女の子がたまたま遊びに来ていたんだ。彼女は俺に初めてできた“友達”だった。ここにきて、初めて会った時のことを鮮明に思い出したよ。……サンタローズに来ることが出来てよかった。いろんな思い出が溢れ出てきたよ」

 なんて優しい目をするのだろう。不覚にもナマエの胸がずきりと痛む。この胸の痛みは一体何だろう、味わったことない鈍く、苦しいこの気持ちは一体。胸に手を当てて、眉根を寄せた。

「こうなってしまったことはもう仕方ない事なんだ。二人が悪い事じゃないし、謝ることじゃない。だから気に病まないでね。そんなことよりも、こうして俺の故郷とも呼べる場所にナマエと来ることができてうれしいよ」

 また胸が痛む。けれどこの痛みは苦しいけど、なんだか悪い気がしない。不思議な痛みだ。

「ナマエに俺の小さいころのこととか知ってほしいって思ったんだ。……って、ナマエ? なんか変な顔してるけど、体調悪いの?」
「あ、ううん。そんなことないよ。それより、5主の昔話もっと聞きたい。昔よく聞かせてくれたよね。どんな女の子だったの? もしかして、おばけ退治に一緒に行った子?」
「そう! よく覚えているね。ビアンカって女の子でね、やたらお姉さんぶる子だったなあ。実際に年上なんだけどね」

 すごく懐かしそうに目を細める横顔が眩しくて、やはり胸が鈍痛を訴える。

「さて、そろそろ宿に戻ろうか。続きは宿でね」
「うん、そうだね」
「足元気をつけてね」
「だーいじょうぶだって」

 二人は立ち上がって、宿への道を戻っていく。確かに、日が暮れたら一気に真っ暗になり、足元すら暗くてよく見えない。人もそれほど住んでいないので明かりもぽつりぽつりと心もとない。5主が立ち止まって、ナマエに手を差し伸べる。

「結構暗いね。掴まって」
「あ、あ……うん、そうだね」

 差し伸べられた手を、おずおずと取る。なんてことないことなのに、意識してしまうのはなぜだろうか。5主の手はごつごつしていて、ナマエの手よりも大きい。昔はヘンリーとよく手をつないだけど、最近は繋いでいない。ヘンリーの手は、当時のナマエと同じくらいの大きさだけど、今はどうなんだろうか。
 心臓がドキドキして、頭がふわふわする。5主と繋がれた手ばかりに集中してしまって、足元に石に気づかずに、軽く躓いてしまう。5主はさっと前に躍り出ると、そんなナマエを抱きとめる。くすくす、と笑い声が頭上から降り注ぐ。

「言わんこっちゃない」
「お……お恥ずかしい限りです」

 どうしてこんなに、いつもと違う状態になってしまうんだろう。ドキドキ、ふわふわ、そわそわ。不思議だ、でも嫌じゃない。
 5主はそのままナマエを閉じ込めるように抱きしめる。忙しない心臓の音がナマエのものなのか、5主のものなのか、わからない。これは一体どんな状況なのか、理解できずにいた。抱きしめられている? 

「あの……5主?」
「もう少しだけ」

 これはあの時と似ている。修道院に流れ着いて、目覚めた5主に抱きすくめられたあのとき。それに手繰り寄せられるように、5主にキスをしようとしたことを思い出す。ぼわん、と一気に体温が高くなった。あれは自分だけが知っている秘密だ。
 5主は何を考えているんだろう、そして自分は何を考えているんだろう。

「うん。よし、帰ろっか」
「……変な5主」
「まあね」

 惜しげもなく5主は離れて、ぽんぽんと頭を撫でられると、再び手をつないで歩き出した。先程よりも少しだけ距離が近づいた二人を、浮かび上がった月が見ていた。
 宿に戻るとヘンリーはまだ戻っていなかったので、ナマエと5主は、部屋に備え付けられている丸いテーブルを囲っている簡素な椅子に腰掛けた。

「ねえ、あのお話聞きたいな。妖精の話」
「ああ、ベラの話ね。懐かしいな、昔よく話したよね」
「うん! そうそう」

 5主の冒険譚は、奴隷時代によく聞かせてもらった。ナマエにとっては建設現場の娯楽は5主の冒険譚だった。その話を聞いているときだけは、あの場所から抜け出して、一緒に冒険をしている気分になれた。あのときは、まさか本当に冒険に出れるとは思わなかったけれど。

「そうだ、ベラと会ったのも、サンタローズなんだ」
「ええ! そうなの?」

 冒険の舞台に来れたなんて、つい興奮してしまう。
 蝋燭の明かりに照らされている5主は、とても優しそうな顔で過去を思い出しながら語ってくれた。どんな絵本や小説よりも楽しくてわくわくするお話が彼の口から紡がれる。

+++

 翌日、5主の父、パパスが何かを残していたという洞窟へと向かう。洞窟近くで船守をしていた老爺と子どもに事情を説明すると、喜んで筏を貸してくれた。「パパスさんの息子よ、大きくなったな。気を付けていくんだぞ」と老爺に言われて、5主はなんだかくすぐったい気持ちになった。
 ナマエが松明で行く先を照らして、ヘンリーと5主が交代でオールを漕ぎながら進む。
 ヘンリーが漕いでいるとき、「そういえば」と5主が何かを思い出すように斜め上を見上げる。

「あのとき俺、筏には乗せてもらえなかったから、歩いて行けるところまで行ったんだ。そうしたら洞窟の奥で、道具屋のおじさんが岩の下敷きになって倒れてたんだよね。その人を助けて、結局帰ってきたんだ」
「すごい。5主って昔から人助けばっかしてたのね」
「そう? そんなに助けた覚えはないけど」
「だってわたしとヘンリーは5主に助けてもらったよ。ね、ヘンリー」
「そうそう、あの真っ暗な洞窟で5主がやってきたときは、正直泣きそうだったぜ。ナマエがいる手前、頑張ってこらえたけどな」

 懐かしいなあ、とヘンリーが目を細めた。
 あのとき助けてくれたパパスが残したなにかがこの奥にある。オールを握る手にも力が入った。
 入り組んだ水路をゆっくり進むと、岩壁が立ちはだかり行き止まりになった。その左方には、下へと続く階段のようなものがある。筏から降りると、もっと奥へと進むために歩き出した。
 洞窟の中は鬱蒼としていて、湿度も高く、真っ暗なため、今が何時で、外の天気が晴れなのか雨なのか、朝なのか夜なのかも分からない。こんなところにパパスはひとりで来ていたなんて、一体何を置いていったのだろうか。
 足元に気をつけながらずんずんと進むと、やがて最深部にたどり着いた。岩で出来た階段を降りると、小さな部屋ほどのスペースにたどり着いた。篝火を灯すことができる台座がいくつかあったため、ナマエの持っていた松明の火を分ける。するとこの場所の全容を見通せるようになった。中には眠るように地面に突き刺さっている厳かな剣と、小さな宝箱と、古びたテーブルと椅子が置いてあった。

「5主」

 ヘンリーが5主へと促す。何とは言わないけれど、勿論伝わっている。三人は頷きあって、5主は宝箱を開ける。古いため少し開けるのに手こずったが、なんとか開けると、中に紙が入っていた。5主はそれを拾い上げると、それは手紙であることがわかった。5主は内容に目を落とすと、一瞬どきんと心臓が跳ねた。

「5主―――」

 その言葉から始まる手紙。そこから先は言葉にせず、黙読する。

 ―――5主よ、お前がこの手紙を読んでいるということは、何らかの理由で私はもうお前のそばにはいないのだろう。
 すでに知っているかもしれんが、私は邪悪な手にさらわれた妻のマーサを助けるために旅をしている。
 私の妻 お前の母にはとても不思議な力があった。私にはよくわからぬが、その能力は魔界にも通じるものらしい。
 多分妻はその能力故に魔界へ連れ去られたのであろう。
 5主よ、伝説の勇者を探すのだ。私の調べた限り、魔界に入り邪悪な手から妻を取り戻せるのは、天空の武器と防具を身に着けた勇者だけなのだ。
 私は世界中を旅して天空のつるぎを見つけることが出来た。しかしいまだ伝説の勇者は見つからぬ。
 5主よ、残りの防具を探し出し、勇者を見つけ、我が妻マーサを助け出すのだ。
 私はお前を信じている、頼んだぞ5主。

                5主の父 パパスより

 5主は手紙を読み切ると、震える唇を噛み締めた。ぽたり、水滴が手紙に落ちて、染みを作る。5主は手紙を折りたたむとナマエに渡して、顔を背ける。
 ナマエとヘンリーは顔を見合わせて、眉を下げる。ナマエは手紙を広げて、二人で一文字一文字脳に刻み込むように読んだ。
 読み終えたナマエは胸をつくような深い思いが込み上げてきた。なんて形容していいのかわからないような感情が複雑に絡み合っていて、少しでも気を抜けば瞳から大粒の涙が零れ落ちてしまいそうだった。
 つまり、パパスは魔界に連れ去られてしまった5主の母、マーサを救うために、伝説の勇者を探して、5主が幼い頃から旅をしていた。旅の途中、サンタローズでこの手紙を残した。自分の身になにかあったときに、その使命を5主に託すべく。
 今、パパスの意志は時を超えて5主へと引き継がれた。とても時間は経ってしまったが、たしかに受け継がれたのだ。
 そして、この手紙はパパスの生きていた証だ。パパスはかつて魔物によって骨も残らず焼き尽くされてしまった。パパスは確かに生きていたけど、それを証明するものは残念ながら何も残っていなかった。けれどついにパパスが生きていた証を見つけた気がした。この手紙はパパスがしたためたもので、確かに生きていた。その証を5主に遺してくれた。
 サンタローズに来てから、パパスを知る人にもたくさん会えた。皆の記憶の中でもパパスはたしかに生きていた。

「5主」

 ナマエは5主を抱きしめる。続いてヘンリーもそんな二人ごと抱きしめる。5主は肩を震わせて、鼻をすする。ナマエもつられてポタポタと涙を流し、鼻をすする。篝火がぱちぱちと爆ぜる音が三人を優しく包んだ。