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 私は逃げた。日毎に質量を増していくこの思いから、変わっていく自分から。その結果が今だ。

『ごめんね。やっぱり私には向いてないみたい。だから、別れよう』

 沈黙が支配していたこの空間に、私の声がやけに空虚な響きを持って溶けていった。自分の意思で発している言葉なのに、その言葉は私の鼓膜から入り込み、鋭利な刃物となって己の心臓を抉った。
 ナマエは瞳を大きく見開くと、何度か瞬きながら俯いて唇を噛んだ。突然別れ話を切り出されたのだから、無理もないだろう。やっぱり向いていない、なんていう理由で。ナマエは泣くだろうか、怒るだろうか、縋るだろうか。
 長い静寂ののち、ナマエは顔を上げた。そこには笑顔の紛い物のようなものが張り付いている。

『……わかりました』

 掠れた声でナマエは言った。
 ああ、貴方は受け入れるんだね。
 彼女は泣かなかったし、怒らなかったし、縋らなかった。ただ、私の言葉を飲み込んで、そして笑った。
 自分で別れを切り出したくせに、いざ了承されると身勝手な思いが水沫のように込み上げてきて、私の胸の内に暗いシミが広がっていく。

 こうして呆気なく私たちの関係は終わりを迎えた。

 自室に戻り、眼鏡を外してベッドに腰掛けた。何だかどっと疲れてしまった。疲れをほぐすように眉間を揉みながら、私は無意識に“ことの始まり”を思い返していた。

 ―――もともとは彼女から告白されて、付き合いたいと言われたことに対して、私が了承したのが始まりだった。
 彼女が私に対して抱く憧れ以上の強い気持ちには気づいていたし、私も満更ではなかったと思う。
 別段恋人が欲しかったわけではないけど、彼女が望むのならばそれもいいか、なんていう軽い気持ちだった。

『うん、いいよ。付き合おうか』
『……え? え、いいんですか?』

 私の返事に、ナマエはとても驚いていた。まさかオッケーされるとは思わなかったのだろうか。
 私は頷いて、改めて意思を示した。
 そして契約においては、重要事項をきちんと説明する必要がある。私としても彼女と恋人同士になる前に、大切なことはきちんと説明をしたほうがいいと考えた。

『でもね、私は知っての通り興味の対象が多くてね。ナマエのことを一番には考えられないし、君が思うよりも構ってあげられないと思うよ。それでもいい?』

 すると、真っ直ぐな視線に射止められる。その瞳には迷いがなくて、もとより覚悟の上だと語っているようだった。
 やがて、「勿論です」とナマエは言い、屈託なく笑った。その瞳に薄い膜が張られて、やがてそれは大きな涙粒となって溢れ落ちた。

『ごめんなさい、わたし、まさか付き合ってもらえるなんて思わなくて、夢みたいで……!』

 涙は止まることを知らず溢れ続けた。こんな時どうすればいいんだろう、なんて私は慌てふためいて、とりあえず頭を撫でてみたりもした。
 私と付き合えるのが嬉しくて泣いてしまうなんて変わった子だな、と思った。そして、悪くない、なんて。リヴァイみたいなことを思ったりもした。
 そこから私たちの交際が始まった。
 ただ、だからと言って大きく何かが変わったわけではなかった。それは私にとっては好都合だった。私の生活は変わらず、そこに彼女という存在が邪魔にならない程度に入り込んできた。

 例えば、仕事の延長でずっと実験室に篭っていたら軽食を持ってきてくれたり。ある時は紅茶を淹れてくれたり。私の邪魔にならないように私のことをサポートしてくれた。
 誰でもいいから私の考察を聞いてほしい、って時も嫌な顔ひとつせず聞いてくれたっけ。どう思う? って尋ねれば、自信なさそうにぽつりぽつりと意見を述べてくれた。

 そうやって少しずつ私の中に彼女が根付いていった。

 いつからか、実験室に篭っていると、ふとした瞬間にナマエが来てくれないかな、と思うようになっていた。
 考察を聞いてくれる相手は誰でもよかったはずなのに、いつの間にかナマエに聞いて欲しくなっていた。
 そのことに気づいた瞬間、私は怖くなった。私の頭の中に少しずつ棲みつきはじめている。
 仕事や研究のことだけを考えていた頭の中に、雑念が入り込んでしまったように思えた。
 こんなのは私じゃない、違う、ありえない。
 だから私は別れを告げた。
 これで良かったのだ。これ以上一緒にいたら、私は私でなくなってしまう。少しでも早いうちに断ち切ったほうがいいし、今ならまだ間に合うと思った。彼女と付き合う前の元の私に戻れると思った。

 こうして振り返ってみれば、始まりも、終わりも、実に呆気ないものだ。
 ベッドに横たわり瞼を閉じれば、先ほど見たナマエの必死の笑顔が浮かんだ。それを散らそうとすればするほど色濃く浮かんでくるので私は舌打ちした。

 ―――付き合う時は泣いて喜んだくせして、別れる時は笑顔を作って泣きもしないんだ。

「……クソッ」

 ああ、らしくない。くだらない。くだらない。クソ、クソ、クソ。
 自分に腹が立っているのか、彼女に腹が立っているのか分からないが、とにかく無性に苛立った。
 でも明日からは少しずつ元通りになるはずだ。元の私、あるべき私に戻ろう。

+++

 それから、彼女とは付き合う前の関係に戻った。彼女との関係を公言していたわけではないし、特に誰にも言っていなかったので、きっと私たちが付き合って、そして密やかな終わりを迎えたことを、私たち以外は知らないだろう。人前で会うことだって、調整日にデートをしたことだって、ついに一度もなかった。
 別れた後、彼女は驚くほど普段通りだった。兵舎ですれ違えばにこやかに挨拶をされたし、食堂で見かけたときは他の誰かと笑いながらご飯を食べていたし、何なら街でジャンと仲睦まじそうに歩いているところを見かけたという噂まで耳にした。
 別れ話をしたことも、何なら付き合っていたことさえも幻だったのではないかと思うくらい、彼女は何も変わらなかった。私のことを忘れて、前に進んでいるとも言える。別れを切り出した側からすれば、それは喜ぶべきことだと思う。
 なのになぜか、彼女がいつも通りであればあるほど、私は苛々した。私がいなくたって彼女は平気なのだと見せつけられているようだった。ジャンとの噂を耳にした時は、胸がざわめいて、すぐにでも真相を確かめたくなった。

 ―――私のことが好きなんじゃないの?

 それが理不尽な怒りだということは、私もわかっている。わかっているけど、止められなかった。どうしてこんなにも苛々してしまうのだろう。
 私がいなくても問題ないのならば、それが一番だというのに。
 彼女のことを私の中から追い出したくて別れを告げたのに。なぜいなくなってくれないのだ。

 それから私は、全てのことから遠ざかるために研究に没頭しようとした。なのに、気がつけばナマエのことが頭をよぎった。

 ―――今、何をしてるんだろう
 ―――このことについて、君ならどう考えるだろう
 ―――誰と一緒にいるんだろう。まさか、ジャンと?

 そんなことを考えるたびに苛々して、それを振り払うように手を、体を動かし続けた。
 研究に明け暮れる日々の中で、検証結果を書き連ねていると、インクの残量がだいぶ減ってきてしまったことに気づいた。それによく見ればペン先もだいぶ消耗してしまっている。
 ああ面倒だな。自動でインクが補充される機械を作れないかなぁ、なんて考えながら抽斗から補充用のインクを取り出して補充していると、そういえばここのところインクの補充をしていなかったことに気づいた。
 最後にインクを補充したのいつだっけ、とぼんやり考えて、はっと息を呑んだ。
 ああ、分かってしまった。
 なぜ暫くインクを補充していなかったのか、それは彼女が補充してくれていたのだ。そう考えればペン先もまた然りだ。消耗し、書きづらくなる前に彼女が変えてくれていたんだ。
 途端に胸が苦しくなって、私は呻き声のようなものを吐き出した。

「ああ……」

 気づいてしまった。
 もう、認めなくてはならないようだ。
 私は彼女と付き合う前の私には戻れない。
 だって私は、彼女を知ってしまったから。私は彼女を―――

「会いたい……」

 そして、あまりにも情けない本音が漏れ出た。

「私、ナマエのこと……結構好きだったんだなぁ」

 どうやら自分が思うよりも、私は彼女のことが好きだったらしい。言葉にしてみれば、改めて認識せざるを得ない事実だった。
 だから遠ざけようとすればするほど、彼女のことを思い出してしまったのだ。なんてバカなんだろう、どうしてそんな簡単なことにいままで気づかなかったのだろう。
 まだ間に合うと思っていた、彼女から遠ざかれば付き合う前の自分に戻れると思っていた。だがそれはどうやら大誤算だったようだ。いつからかは分からないけど、もう私は彼女のことを自分が思うよりも好きで、そばにいてくれないとダメになっていたようだ。
 そうとなればもう、私の心は一つだ。
 ごめんね、ナマエ。私は本当にバカだね。
 随分と遠回りしたけど、ようやく自分の気持ちを正しく認識することができた。 
 気がつけば私は部屋を飛び出していた。

+++

 彼女の部屋の前にやってきて、息を整えることもせずに扉を叩いた。だが虚しくも、中からは何も聞こえてこない。呼びかけてみたものの、物音ひとつしない。どうやら部屋にいないらしい。
 今更ながら私は懐中時計を取り出して時間を確認すると、今は夕飯時だった。もしかしたらナマエは食堂にいるのかもしれない。そう考え至った瞬間には弾かれたように駆け出していた。
 食堂へ向かう兵団員の間を縫うようにして走り、食堂へと辿り着いた。夕飯時の食堂はたくさんの兵団員でごった返していて、いるかどうかも分からない彼女を見つけるのは至難の技だ。おまけに私は目が悪い。でも彼女の姿ならばパッと視界に入ればすぐに分かる。それもきっと彼女へ特別な思いを抱いていたからなのだろう。
 と、爪先立ちになって食堂を見渡していると、雑踏をすり抜けて声が聞こえてきた。

「誰かお探しですか、ハンジさん」

 声のした方を見やれば、ニファが不思議そうに私を見ていた。そうか、何も私が血眼で探さずとも、ナマエを見たかどうか聞いてまわればいいのだ。少し考えれば分かることも気づかないとは、だいぶ視野が狭くなっていたのだと思い知る。

「ナマエのこと見なかった?」
「ああ、でしたらさっきまで私と一緒に夕飯を食べてました。今も食べてるはずです。案内します」
「ありがとう!」

 ここでニファに声をかけてもらったことはかなりの僥倖だ。彼女に案内されながら食堂を歩いて行く。逸る気持ちで柄にもなく胸がそわそわしている。
 すると、私たちに背中を向けて夕飯を食べているナマエの姿が見えた。
 そして彼女の前には、ジャンがいる。頭に冷や水をかけられたような心地になった。

「ナマエ、ハンジさんが―――」

 ニファが呼びかけて、彼女が振り返る。私は殆ど早歩きで歩み寄り、ナマエの腕を掴んでいた。驚き、状況が理解できないと言った様子の目と視線が交わった。

「ちょっと、いいかな」

 と、尋ねながらも私はすでにナマエの腕を引いて歩き出していた。

「え、あの」

 ナマエの戸惑う声を聞きながら、私は首だけで振り返ってジャンに言った。

「ごめんジャン、ナマエは借りてくよ」

 そのあとジャンが何か言っていたかもしれないけど、私にはもう何も聞こえなかった。
 食堂を出て少し歩いていると、強い力で腕を押し除けられて、彼女は離れた。
 私は立ち止まり振り返る。ナマエは少し怒ったような顔をして私を見ていた。こんな表情もするんだ、なんて私は初めて見る表情に場違いながら嬉しくなる。

「いったい何なんですか、急にこんなこと、困ります」
「ごめんね。私、やっと気づいたみたいなんだ」

 本当に急で、勝手で、愚かだ。でも私はきっと、こうでもしないと貴女への気持ちを知ることができなかったんだと思う。

「大事な話がしたいんだ。聞いてくれるかな」

 遠回りして分かった私の気持ち、どうか届くだろうか。

「……わかりました」
「場所を変えよう。ナマエが嫌でなければ、実験室はどうかな」
「はい」

 私たちは実験室へ向かった。部屋に入ると、ツンとしたインク特有の匂いが部屋に満ちていた。先ほどインクを補充したからだろう。
 実験室に設えてあるテーブルを挟んで、私たちは向かい合って座った。
 彼女の瞳は、実験室で少し前まで見せてくれていた私を恋慕う色ではなくて、どちらかといえば困惑の色を強くしていた。

「結論から先に言うと、私、どうやらナマエのことがすごく好きみたいなんだ」

 ナマエは目を瞠った。自分のことをフった相手が、すごく好き、だなんて何の冗談かと思うだろう。それどころか、馬鹿にしているのかと怒られたっておかしくはない。
 怒られたって、蔑まれたってかまわない。けれど私の気持ちを、少し長くなるけれど、一つも余すことなく伝えていきたいと思った。

「私ね、私の中に少しずつナマエが棲みついていくのがすごく怖かったんだ。寝ても覚めても巨人のことばっかりが頭にあったのに、気がつけばナマエのことが出てくる。―――」

 できる限り、“結論”に至るまでの過程を事細かに説明した。ナマエは黙って傾聴してくれて、その表情からは何も読み取れない。
 最後に私は、結論のその先にある実に身勝手な望みを口にした。

「もう一度、チャンスが欲しいんだ。もう一度だけ私と付き合ってほしい。勝手な願いだと分かっている。でもね、この気持ちを無かったことにできなくてさ」

 もし断られたって、どうすればもう一度好きになって貰えるか、ナマエのことを手抜かりなく徹底的に調べ尽くすまでだ。

「好きだよ、ナマエ。私が思うよりも、ナマエが思うよりも、ずっとずっとナマエのことが好きだ」

 私の思いは伝えられたと思う。あとはナマエ次第だ。あまりの身勝手さに呆れただろうか、嫌われただろうか。嫌な想像ばかりが先行する。

「本当にハンジさんは勝手ですね」

 ナマエの声は抑揚がない。私は祈るような気持ちでその先の言葉を待つ。

「でもそんな勝手なところも、好きだから許してしまうんです」

 都合のいい聞き間違いだろうか、でもそんな気持ちとは裏腹に、私の瞳はきっと爛々と輝いているに違いない。

「好きです。忘れられるわけ、ないじゃない、ですか」

 そう言って笑った彼女の瞳から、涙粒が一つ、二つと溢れて、やがてそれは雨のように流れて落ちていく。
 それが私には世にも美しい宝石のように映った。彼女のそばへ赴いて跪き、はらりはらりと音もなく落ちていく宝石を指先で掬い上げようとするが、触れればそれは儚くも形を崩す。
 私はナマエの隣に腰掛けて、見つめる。ナマエの泣き顔に強く惹きつけられながらも、彼女に触れたい衝動が身体の奥底から湧き上がり、気がつけば横から抱きしめていた。
 久しぶりに抱きしめるのはなんだかとても緊張して、腕の中にある柔らかな感触が堪らなく心地よかった。求めていたものがようやく手に入ったような充足感で身体の中が満ちていく。
 けれどまだ聞くべきことも、言うべきこともある気がして、思いのまま口を開いた。

「また恋人になってくれる?」
「はい、よろしくお願いします」

 私の腕の中でナマエが言った。身体の芯が甘く痺れるようだった。
 理性の足場がぐらついてきたのを感じたので、私はナマエから離れて、改めて私たちは見つめ合った。涙に濡れた瞳が薄く膜を張っていて、頬には涙の筋がいくつもある。私は壊れ物を扱うようにそっと頭を撫でた。

「本当にごめんね。もう二度と離れたりなんかしないよ。ねえ、ナマエってすごいね、私がこんなにも人を好きになるなんてさ、すごいことなんだから」
「わたし、ハンジさんはただの気まぐれで付き合ってくれてるんだと思ってました」

 それでも私に付き合ってくれてたんだね。ナマエは私のことが好きで、でも私はただの気まぐれだって分かってて付き合い続けるって、どんな気持ちだったのだろう。寂しくなかった? 虚しく感じなかった? そんなことは私が聞けた義理ではない。彼女に弄ばれたと思われたって仕方がないことだ。
 これからは本当の意味で恋人同士になれる。挽回できるように、行動で示していこう。

「耳が痛いけど、当時は殆どそうだったかもしれない。本当はどんどん加速度的に好きになってたのにね。二度とそんなことはしないよ」

 また一緒にいてくれる奇跡を噛み締めながら、誓いを立てる。
 と、ふと私の頭に全く別の事柄で気になっていたことが過ぎった。胸がざわめき立つのを感じながら、「そういえば」となんてことないように切り出す。

「ジャンとの噂を聞いたんだけど、あれはどういうこと?」
「ジャンとの噂……?」

 惚けているということではなく、本当に分からないような顔をして、ナマエはおうむ返しした。私は、噂で聞いたことを話せば、ああ、と得心がいったように頷いて説明してくれた。

「街で買い物していたら、偶然会ったんです。あの時のわたしはハンジさんにフラれた直後ですごく塞ぎ込んじゃって。とにかく外の空気を吸おうと思って買い物に行ったものの、服を見ればデートができないのに可愛い服を買う意味があるのかって苦しくなって、美味しそうな食べ物を見ればハンジさんにあげたいと思って、次の瞬間には、ああハンジさんとは別れちゃったんだ、って思い出しちゃって、結果的に傷がどんどんと深くなるだけだったんです」

 ―――その日の空は眩しいくらい青く澄んでいて、そんな空を見上げたら無性に悲しくなってきて涙が込み上げてきたのだという。
 そこにジャンが偶然通りかかって、何事かと心配してくれた。とにかく落ち着ける場所へいきましょう、と言って人通りの多いメインストリートから建物と建物の間にある小径を進み、店の裏口に入るために設けられた階段に腰掛けて、一緒にいてくれたのだった。
 ナマエはその時のことを思い出しているのか、目元を細めて懐かしそうに言う。

「ジャン、わたしの言葉に相槌打つくらいで、何も聞かないでずっとそばにいてくれたんです。わたしは一回涙が出たらもう止まらなくなってしまって、気が済むまで声を上げて泣きました。落ち着き出した頃にジャンにハンカチを差し出してくれて、その優しさにも感動してまた泣いてしまって、もう最後の方はなんで泣いてるのか分からなくなってました」

 そう語ったナマエの顔があまりにも幸せそうで、私の胸に黒い感情が渦巻いていく。
 無論、その出来事の原因を作ったのは私の責任によるところだ。私が別れようと言わなければナマエは街に出ることもなかったし、街中で泣くこともなかったし、それをジャンに介抱されることもなかった。
 これは、嫉妬? 私は嫉妬をしているのか。驚きながらも、嫉妬の感情を抱くのを止めることはできない。
 そんな私の心内なんて気づくわけもなく、ナマエは言葉を続けた。

「散々泣いたらスッキリしたんで、一緒に兵舎に帰ることになりました。もしかしたらその姿を誰かに見られてしまったのかもしれませんね。情けない姿を見せてしまった分、心理的な距離もジャンとは近くなった気がしますし、だからこそそんな噂が回ってしまったのかもしれませんね」

 ただそれだけのことです。と彼女は話を締め括った。

「さっき食堂で一緒だったよね、あれは」

 どこか尋問のような口調になってしまったが、ナマエは気にすることなく答えた。

「ニファが食べていたところにわたしが相席して、ニファが食べ終わって少ししたらジャンが来たんで一緒に食べてたんです」

 ジャンはそのタイミングを見計らってたなんてことはないだろうか、と猜疑心を抱いてしまうのは私の心が貧しいからなのだろうか。いい年をした大人がみっともない限りだし、自分がこんなつまらない嫉妬をする人間だとは思わなかった。
 そんな感情を悟られないように、依然として平静を装いながら口を開いた。

「へえ……じゃあ、ジャンとは何もないってこと?」
「勿論です」

 わたしはハンジさんだけをずっと思ってました。とキッパリとナマエが言い切ったので、陰日向だった場所が太陽が昇ることによって暖かい日向になるように、私の心の中を侵食しつつあった黒い感情が少しずつ薄れてて暖かくなっていくのを感じる。
 なんて余裕がないんだろう、私は。これが人を好きになるってことなのか。まだまだこの世界は知らないことだらけだ。

「でも別れた後、ナマエの態度はいつも通りだった。全然そんな素振りなかったじゃないか」
「そうやって振る舞ってただけです。ハンジさんはわたしと別れたくて別れたのに、わたしがいつまでも未練ありげな顔でハンジさんを見てたら鬱陶しいと思われるんじゃないかって思いまして」

 なるほど、と私は相槌を打った。結果的にその態度で私は調子が狂っていく。奇跡的にうまい具合に歯車が噛み合って、今こうして私たちは再び恋人同士になることができたらしい。私たちが本当の意味で恋人同士になるためには全てが必要だったのだろう。
 これから始まる新しい日々を、大切に大切に生きていこう。
 私はナマエの手をぎゅっと握った。

「それ、効果覿面だったよ」

 私は微笑んで、言葉を続けた。

「あのね、私は興味の対象が多いけど、その中には確かにナマエがいるよ。気がつかないうちにどんどんと大きくなってたんだ。ナマエのことをもっと知りたい。教えてくれるかい」
「も、勿論です……」

 視線を彷徨わせながらも最終的に私の目を見てナマエが頷いた。頬が赤くて、照れているのだと気づく。可愛い、可愛い、私のナマエ。私だけのナマエ。
 これからナマエの涙を拭くのは私だ。ハンカチを差し出すのも私だ。ねえお願い、私だけを見て。
 ―――なんて、こんなに苦しいくらいの質量を持った思いを抱いてるなんて知ったら驚くかな。
 だけど、なんだか私ばっかりが好きみたいで悔しいからまだ教えてあげないよ。

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ご覧いただきありがとうございます♪
この度、ゆるーくリクエストを募集したいと思います!
こんな話好き! とか、こんなシチュ! とか、それくらいの緩い感じで結構ですので、メッセージいただけると、とっても嬉しいです!!
ただ、いつまでに絶対書きます! というのはお約束できないので、本当に緩く構えていただけますと幸いです。

リクエスト方法はWEB拍手でもウェーブボックスでもなんでも結構ですので、お待ちしておりますね!

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2024-04-14