幼馴染設定。
わたしとハンジは家が近いことから、小さいころからずっと一緒で、いわゆる幼馴染だった。ハンジは昔から好奇心が旺盛で、その気質からか、小さい頃から訓練兵団になって壁の外を見てみたいと言っていた。それに感化された私も、調査兵団になることを志して、自然な流れで訓練兵団に入団した。
訓練兵団に入ってから、ハンジは周りから特異な目で見られていた。なんでって、一言でいえば個性がどぎついから。ハンジと仲の良いわたしも、必然的に周りから一線置かれていたが、訓練兵として過ごす時間はあまりに濃密だ。それに連携が必要なことが多い。そのため、訓練を重ね、苦楽を共にするごとに、私とハンジを含め、同期たちは仲良くなっていった。
そうしてあっという間に訓練兵の時代は過ぎて、進路を決めるときがきた。駐屯兵団、調査兵団、そして上位10名のみが入ることを許される、憲兵団。ハンジはきっと、何の迷いもなく調査兵団に行くだろう。先ほど、訓練兵団の解散式が執り行われ、明日は兵団選択がある。
皆が配属兵科についてワイワイと語りながら夕飯を食べている今、ハンジは調査兵団に入ったあとのことを目を輝かせてわたしに語っている。けれど私は、ハンジとは違うことを考えていた。
「ハンジ、わたしは技巧科に行くよ」
ハンジの喋りの合間に、わたしは弓を放つように突然宣言した。
ずっと言えなかった。だってずっと迷っていたから。ハンジと違う道を歩むこと、初めてだから。それにハンジが描く未来の中に、きっとわたしはいるだろうから。言えないよ。けれどようやく、言うことが出来た。
それまで生き生きと身振り手振りを交えて喋っていたハンジが、ぴたっと固まった。
「……え?」
「わたし、技巧科に行く」
意味が分からない、と言ったような表情だ。わたしの言葉の理解に苦しんでいる。
周りの喧騒が聞こえなくなって、ハンジとわたし以外の音が聞こえなくなる。まるでわたしたちだけ空間から切り取られたような感覚だった。
「調査兵団にはいかない」
「いや、え、なんで……? 調査兵団に行くってずっと言ってたじゃないか。まさか、壁の外が怖くなったの?」
言葉に少し怒気が籠められている。表情だって固い。わたしは首を横に振る。
「違うよ。わたしはね、技巧科に行って、ハンジの手助けをしたいの」
「どういうこと」
三兵団とはまた別の組織にある技巧科。その道に進むことも、わたしたちには選択肢としては与えられている。わたしはそこに行きたかった。ハンジが苛立つ空気を肌で感じながら、ずっと考えていたことを言葉にしていく。
「昔から、ハンジって色んなことに興味を持って色んなことをやってたよね。壁の外に行くために穴掘ろうとして駐屯兵に怒られたり」
ある日はスコップで壁に穴を開けようとして叩いて、駐屯兵団に怒られて。またある日は穴を掘って壁を越えようとして、怒られ。成長した今でも昨日のことのように思い出される。ハンジが目を輝かせて「やりたい」と言っていると、わたしはきっと大人に怒られるだろうなと思いながらも、「やろう」と頷いてしまうのだ。
「わたしはね、こういうものが欲しい、とか、こういうことがやりたい、ってハンジが言ったことに対して、それがどうやったらできるようになるのかを考えるのが好きだった」
ハンジは固い表情のままわたしの言葉を聞いている。
「だからね、調査兵団で活躍するハンジのために、わたしは技巧科で兵器の開発に携わりたいの。ハンジがこういうものが欲しいって言った時に、作ってあげたいの」
強い意志を籠めてハンジの目を見る。ハンジも見つめ返す。
ハンジがやりたいと思うことは突拍子がなくて、無茶苦茶で、実現できるかわからなくて、でもすごく楽しそうで、ワクワクすることだ。こんな風に思うわたしもきっと、周りから見たらよっぽどおかしな奴なんだろう。でも仕方ない。本当のことだから。キラキラと目を輝かせるハンジの願いを叶えてあげたいって、思っちゃうんだから。
暫く見つめ合ったのち、やがてハンジは目を逸らして、荒々しく立ち上がると、立ち去って行った。怒るだろうなとは思ったが、やはり怒らせてしまったらしい。そりゃあそうだ、わたしだって同じことを言われたら、間違いなく怒るし、なんで相談しなかったんだっていうだろう。
近くに座っていた同期の子が異変に気付いてわたしのところへとやってきた。
「どうしたのナマエ、ハンジと喧嘩?」
心配そうに声をひそめて聞かれて、わたしは曖昧に笑って首を横に振る。
「喧嘩じゃないよ。わたしが大事なことを言えなくて、ハンジを怒らせちゃったんだ」
「大事なことって……ハンジ以外に好きな人がいるとか?」
水飲んでたら噴き出してたわ! だが同期はいたって真面目な顔だ。え、え、今の本気で言ってたってこと?
「いやそもそも、わたしとハンジはそういう関係じゃないし」
「違ったの?」
「違うよ?」
なんだその話。なんだか力が抜けてしまった。張りつめていた糸が緩まった気がした。
「わたしがね、技巧科行きたいって話をしたんだ」
「え、ナマエ、技巧科行くの!? てっきり調査兵団行くと思ってた」
「わたしもそのつもりだったよ。でも、ずっとその進路のことも捨てきれなくて」
「……きっとハンジも一緒に調査兵団に行けると思ってただろうしね、兵団選択前日に言われて、怒るのも無理ないかもね」
「そうだよね……」
怒るだろうなとは思ってた。案の定怒ってた。久しぶりにハンジが怒っている姿を見た。それでもわたしは、技巧科へ行きたいんだ。
「もう少ししたらハンジも落ち着くと思うから、じっくり話し合ったほうが良いと思うよ」
「……そうだよね。ありがとう、折を見て行ってくる」
こんな風に気を遣ってくれる同期がいて、本当に嬉しい。みんな、どうか進路先でも無事でいてほしいな。
少し時間をおいて、わたしはハンジを探すために食堂を出た。今日は満月で、月明かりで地上が照らされていた。月明かりと、燭台に灯った微かな蝋燭の明かりを頼りに、とりあえず宿舎に向かってみる。すると予想は当たって、宿舎のひさしの下でひとり座り込んでいるハンジを見つけた。ハンジは人の気配を察して顔を上げると、わたしの存在に気づいたようだ。
「 ハンジ」
逃げる様子も、拒絶する様子もなかったためわたしはそのままハンジの隣に座り込んだ。ハンジは固い表情のまま、前の景色に目をやり続けている。
「もっと早く言うべきだった。ごめんなさい」
「……あぁ、遅い。なんでもっと早く言ってくれなかったの。私はずっと、ナマエと一緒に調査兵団に入って、壁の外の世界のことを知りたかった。でも……ナマエの考えていることは分かった」
淡々と告げるハンジの言葉に胸がずきずきと痛む。月明かりに照らされたハンジからは怒りはもう感じられない。
「最初は何で勝手にそんなこと決めるんだって思った。相談くらいしろって。それに、私の為に技巧科なんて行ってほしくないって思った」
ハンジは眼鏡をずり上げて、目元に手をやりながら言葉を続ける。
「でも、これで無理やり説得して調査兵団に入団させたら、それこそ私の身勝手だ。分かってる、分かってはいるけど、どうしても素直に頷けないんだ」
「ハンジの気持ち、わかってるつもりだよ。でもね、技巧科に行きたいのは、ハンジの為でもあるけど、これはほかでもないわたしの意思なんだよ。わたしが、技巧科に行きたいの。それで、ハンジのことを技巧面で手助けしたいの」
ハンジは暫く黙りこんでいたが、やがて浅く息をつき、「うん」と弱弱しい声で頷いた。
「……わかった。ナマエがこんなに強く自分の意思を持ってるってことは、この意思は絶対に折れないってわかってる。だから、私は止めたりしない。……私の想像を形にしてくれるのは、ナマエなんだろ?」
ハンジはふっと口元をあげて、わたしのことを見た。わたしは力強く頷いた。するとハンジは間髪入れずにわたしのことを抱きしめた。噛みつくみたいに力強く抱き寄せられて、わたしは座っていた姿勢を崩してハンジの方へと倒れこむ。
「ちょ、ハンジ……!」
なんで急に抱きしめられたの!? どういう状況!? 抱き寄せられて顔の位置が近いから、ハンジの方を見ることができない。物理的にではなく精神的にだ。
「これぐらい許してよ、私は傷ついたんだから」
すごく近くでハンジの声が聞こえて、なんだかドキドキとする。
「傷ついた……?」
「だってナマエが何の相談もなしに私から離れてくんだろ? まあでも……」
ハンジが抱きしめる力をますます強くする。もはや痛い。
「調査兵団の死亡率を考えた時に、技巧科にいてくれた方が安心なのかもしれない、とも思ったよ。壁外調査のたびに、怖い思いをしなくて済む」
「わたしが弱いってこと? 確かに実技ではハンジに負け―――」
「違うよ。そうじゃない。どれだけ強くたって色んな要因が重なれば巨人に喰われる可能性がある。でも壁外に行かなければその心配はないだろ」
そんなことを言ったら、わたしだって不安で仕方ない。ハンジを目の届かないところで失うかもしれない。調査兵団に行く以上、巨人に食べられてしまい、墓の中に何も入っていないことだってあるだろう。
「……わたしはね、ほんと言えば怖いよ。ハンジは強いし頭もいいから、調査兵団に入ってもすぐに活躍できるって思ってるけど、ハンジの言った通り、食べられる可能性はゼロじゃない」
抱きしめる力が弱まったのでわたしはハンジから脱出して、姿勢を元に戻す。向き合ったハンジは真剣な顔をしていた。
「行かないでって思ってる。でも、ハンジだって意思を曲げないってわかってるから、止めない。それがハンジの昔からの夢だし」
「そうだね」
清々しいくらいきっぱりと返事をする。ハンジは壁の中で収まるような人間じゃないことは分かってる。ハンジはもっと広く物事を見ている。
「ハンジ、絶対にわたしのいないところで死なないで」
「……約束はできないな。そればっかりは」
「ほんと、そういうとこ真面目だよね」
わたしは思わず笑みを零すと、ハンジは眼鏡をかけなおして頭をかいた。
「だって私の気持ちでどうこうできることじゃないからね」
「わかってる」
「でも、そうだな。壁外調査が終わるたびに、真っ先に会いに来るよ。誰よりも先に、ナマエに会いに行く。少しでも早く安心させる」
「約束ね」
小さいころからずっと一緒だったハンジと、これからは別の道を歩む。ハンジはハンジの夢に向かって。わたしはわたしの夢に向かって。わたしはハンジのやりたいこと、全部叶えられるように頑張るんだ。それが出来るのは、わたしだけだって思ってるから。
+++
「ナマエー! ただいま! ねえ、巨人を捕獲したいんだけど、こんな感じのものできる ?」
「は!? 巨人捕獲するの!?」
壁外調査が終わってハンジがどたどたと職場にやってきた。無事に帰ってきて安心したのも束の間、紙を一枚をわたしに渡した。そこには雑な絵で、巨人と、それを捕獲するための網のようなものが描かれている。今、巨人を捕獲するって言った? ついにその領域まできちゃったの?
「うん。こんな感じに巨人を捕えて、身動きを封じたい。運搬もしたいから強度は強め」
「ふむ……」
ハンジの発想には今でもすごく驚くけど、すぐにどうすればそれができるようになるか考える。巨人捕獲用の網か。走っている巨人を誘導して捕まえる用、奇襲用、色々考えられるな。
「わかった、ちょっと時間頂戴」
「勿論! でも早めでね」
「時間頂戴の意味わかってる? もう、わかったよ」
「じゃよろしくー! 仕事に戻るね!」
壁外調査から無事に帰ってきたことの報告を兼ねて、言いたいことを言うと、嵐のようにハンジは去っていた。ハンジが残していった香りは完全に風呂に入っていない人のそれだったので今日は帰ったら風呂に入らせよう。壁外での出来事を聞くのはそれからだ。
「ナマエさん、調査兵団のハンジ・ゾエさんと仲いいんですか?」
近くにいた後輩がおずおずと声をかけてくる。フルネームが知れてる辺り、ハンジはやっぱり有名らしい。無理もないか。
「あー、うん。幼馴染なんだ」
「で、恋人だろ」
これまた近くにいた先輩がニヤニヤと面白そうに言う。
「なっ!! ちょっと!!!」
「えーー!! ナマエさんってあのハンジ・ゾエと付き合ってるんですか!!」
焦るわたしに、後輩が驚きと興奮が混じった表情で叫ぶ。
「“あの”ってなによ! いいから仕事、仕事」
「へええ……ナマエさんってそうなんだ……」
「うるさいよ、もう!」
そう、今ではわたしたちの関係は“恋人”も追加されている。相変わらずハンジは奇人変人で有名だけど、そんなハンジが大好きだ。
技巧科を選んだときはそんなこと気付かなかったけど、きっとずっと、好きだったんだろうな。ハンジへ抱いていた気持ちが『好き』って感情だってことに気づいたのは、それから少し先の話だ。
