リンクと相談した結果、途中にロンロン牧場に立ち寄って、安全のためにエポナを預けることにした。砂漠地帯からロンロン牧場へと向かう道すがらのハイラル平原で、手頃な木陰を見つけて少し休憩を挟んでいる時、これから始まる最終決戦に向けてナマエはリンクに考えていたことを伝えるべく話を切り出した。
「ねえリンク、わたしロンロン牧場で待ってたほうがいいかな。わたしがいっても足手まといになっちゃうし、それにもしガノンドロフに人質とかに取られちゃったらリンクに迷惑かけちゃう」
誰かを守りながら戦うことはとても大変なことだ。万が一、ガノンドロフに人質に取られたとしたら、リンクは優しいから絶対にナマエを見捨てないだろう。それが仇となり、リンクが負けるようなことがあったら……そう考えるだけで、ついていくことを躊躇ってしまう。だったらエポナと一緒にロンロン牧場で待っていたほうが、リンクも気兼ねなく戦えるだろう。ところがリンクは、予想したとおりではあったが、首を横に振る。
「そんなことない。俺のそばにいてほしい」
彼が簡単に納得するとは思っていなかった。しかしナマエとてすんなりとて引き下がるわけにはいかない。「でも」と言い、言葉を紡ごうとするが、それを制するようにリンクが口を開いた。
「ナマエが近くにいなくて、無事かどうかもわからない状態のほうが俺は嫌だよ。それにガノンドロフだったら、もしナマエがどこにいたとしたって人質にとることができると思う。そしたらどこにいたって安全じゃない。ナマエを置いていったこと、絶対、一生、後悔する」
力強いリンクの言葉がナマエの身体に染み渡っていく。この言葉に身を任せたい自分と、頷いてはいけないと警鐘を鳴らす自分がいる。迷うナマエに追い打ちをかけるように、「だからね」とリンクは言葉を続ける。
「そばにいてほしい。俺が絶対に守るから。俺がガノンドロフを倒すところを見ていてほしいんだ」
「だめだ」「ついていっては迷惑を掛ける」「リンクの足を引っ張ってしまう」「もしも自分のせいでリンクが負けたらどうするんだ」―――頭の中の冷静な自分がそんな言葉を反響させるけれど、リンクの青空みたいな碧い瞳に見つめられると、一番根底にある望みが首をもたげて、どんどんと膨らんでいくのを感じる。そしてその想いに導かれるように、ナマエの口からは言葉が発せられる。
「……わかった。連れて行って」
この選択がもしかしたらハイラルの命運を変えてしまうかもしれない。そんな恐ろしい考えもよぎる。答えたそばからこれでいいのだろうかと迷う自分もいる。けれど、
「よっしゃ。ナマエが近くにいたほうが、俺は強いんだ」
そう言って屈託なく笑うリンクを見ていると、きっとこれが正しい選択だ。そう思える。
それから予定通りロンロン牧場へ向かい、エポナを預ける。マロンやタロン、インゴーは何も言わず、何も聞かずに二人をハイラル城へ送り出してくれた。これが三人と会える最後かもしれない、と思うと、様々な感情がナマエの胸から溢れ出そうになるが、それを必死に抑えて笑顔を浮かべて、
「いってきます」
と言ってロンロン牧場を出た。それからタロンが馬車で城下町へと続く城門の近くまで送ってくれて、そしてそのままカカリコ村へ配達へと向かった。
「無茶はするなだあよ。お前たちが健康でいて、生きていることが、一番だあ」
深く沁み入るような優しいタロンの言葉に、ナマエは胸がつまって泣きそうになる。タロンはこの世界で七年間、父親のような立場で見守ってくれた人だ。心配をかけていることは勿論分かっているが、けれどここで止まるわけにはいかない。ナマエとリンクは笑みを浮かべて礼を述べると、深く頷いた。
ガノンドロフがこのハイラル城を支配してから、もはや城下町は誰も近寄らない場所となっている。かつての賑わいはどこへやら、建物は倒壊して、街には土でできた闇の魔物がそこかしこ徘徊していて目が合ったものの動きを止めて生命力を吸い取ると言われている。七年前に見た光景とかけ離れた凄惨な様子に、ナマエは胸を痛めるが、今は感傷に浸っているときではない。
二人は城下町を駆け抜けて、時の神殿へと急いだ。幸い魔物と鉢合うこともなく時の神殿にたどり着いて、息を整えながら足を踏み入れる。
陥落した城下町の中、厳かな時の神殿はまるで別世界に迷い込んだみたいだった。かつて訪れたときと同じように赤い絨毯がまっすぐに敷かれていて、その先の聖地への扉は開かれ、マスターソードの台座が鎮座している。高い天井には絨毯を踏みしめる足音が吸い込まれていくように響き渡った。
ここでリンクは聖地へと飛ばされて七年の眠りに就き、ナマエは取り残された。このままリンクがまたどこかへ消えていしまいそうで、ナマエは少し先を歩くリンクの腕をそっと掴んだ。リンクは振り返ると、いつもの頼もしい笑顔を浮かべた。と、そのとき、ナマエとリンク以外の足音が時の神殿の入り口から聞こえてくる。ナマエは振り返れば、そこにはシークがいた。手を離して、二人はシークと対峙した。ここまで導いてくれた青年は、最終決戦前に何を語るのだろうか。
「時の勇者、リンク。君は数々の苦難を乗り越え六賢者を目覚めさせてくれた……そして今また魔王ガノンドロフとの対決の時を迎えようとしている。その前に、君たちだけに話しておきたいことがある。闇の民……シーカー族に伝わるトライフォースの知られざるもうひとつの伝説を」
―――聖なる三角を求めるならば、心して聞け。聖なる三角の在るところ、聖地は己の心を映す鏡なり。そこに足踏み入れし者の心、邪悪なれば魔界と化し、清らかなれば楽園となる。
トライフォース――聖なる三角――それは力、知恵、そして勇気。三つの心をはかる天秤なり。聖三角に触れし者……三つの力をあわせ持つならば万物を統べる真の力を得ん。
しかし、その力なき者ならば聖三角は力、知恵、勇気の三つに砕け散るであろう。あとに残りしものは三つの内の一つのみ。それが、その者の信ずる心なり。もし、真の力を欲するならば失った二つの力を取り戻すべし。その二つの力、神により新たに選ばれし者の 手の甲に宿るものなり。―――
シークは伝説をすらすらと口上し、一呼吸置くと、再び言の葉を紡いだ。
「ガノンドロフ……奴は七年前、君が開いた時の神殿の扉をくぐり、聖地へ到達した。しかし、奴がトライフォースを手にした時、伝説は現実となった。トライフォースは三つに砕け、ガノンドロフの手に残ったのは力のトライフォースのみだった。奴はトライフォースの力によって魔王となったが、その野望は果てることはなかった。完全な支配のため、ガノンドロフは残る二つのトライフォースを持つ神に選ばれし者を探し始めた……その一人は、勇気のトライフォース宿りし者……時の勇者、リンク」
リンクの手の甲にはトライフォースの紋章が刻まれている。それは三つに砕けたうちの一つ、勇気のトライフォースだったのだ。シークは続ける。
「そして、もう一人……知恵のトライフォース宿りし者……賢者の長となる七人目の賢者、この私……」
シークの姿は魔法が解けたみたいにみるみるうちに変わっていき、そしてその姿は……。
「ハイラル王女ゼルダです」
ハイラル王家の紋様の入ったドレスを身にまとい、美しいブロンドの髪を伸ばし、高い鼻梁に尖った耳。七年前の少女の面影を残しながらも、確実に大人の女性へと成長したゼルダの姿がそこにはあった。シークの正体はゼルダだったのだ。ナマエは呆気にとられて言葉を失う。
ゼルダは生きている、とリンクから聞いていたが、まさかシーカー族の青年に扮していたとは思いもしなかった。再会を喜ぶ間もなく、ゼルダは憂いを秘めた表情のまま、言葉を続けた。
「魔王の追求を逃れるためとはいえ、シーカー族と偽り接してきたこと、どうか許してください」
ゼルダは歩み寄り、距離を縮めた。
「七年前のあの日。ハイラル城はガノンドロフの襲撃を受けました。私は乳母のインパとともに城から脱出する途中に見たのです、あなたたちの姿を」
そこでゼルダは時のオカリナを託そうと決意し、咄嗟に投げたのだ。オカリナがリンクの手元にあるうちはガノンドロフは聖地へ入れないと思ったが、予期せぬ事態が起こる。時の扉を開いたリンクの魂はまだ幼かったため、マスターソードがリンクを聖地に封印したのだ。開かれた聖地へガノンドロフは侵入し、トライフォースはガノンドロフの手に落ちた。そうしてガノンドロフは魔王となり、聖地は魔界へと化した。そしてゼルダはリンクが戻ってくるまでシーカー族として身分を偽り、この七年間ずっと待っていたのだ。
ガノンドロフを欺くためには己すらも欺く必要がある。そう考えたゼルダは、インパに魔法を施してもらい、己の記憶すらも“シーカー族のシーク”としての偽りの記憶に書き換えたのだ。こうしてシークとしてゼルダは時の勇者を導いていき、インパが賢者として覚醒する前に術を解いてもらい、ゼルダの記憶を取り戻したのだ。
「そして」とゼルダは続ける。
「あなたが帰ってきた今、魔王ガノンドロフの支配する暗黒の時代は終わるのです。リンク、守るべき存在を守るため、あなたは強くなりましたね」
ゼルダは口元に微笑みを湛えた。シークはかつて、時の勇者がさらに強くなるためには、守るべき存在が必要だと言ってくれた。リンクは「そうだね」と頷き、ナマエと視線を交え、「ナマエの存在が俺を強くさせた」と続けた。
ゼルダは二人の様子を見守ると、言葉を続けた。
「六賢者たちが開いた封印にガノンドロフを引き込み、私がこちらの世界から閉じる。それで魔王ガノンドロフはこの世から消えるでしょう。リンク、それにはあなたの勇気が必要です。もう一度力を貸してください。魔王の守りを破るもの、選ばれしものに神が与えた力、聖なる光の矢を授けます」
ゼルダは両手を大きく掲げると、どこからともなく眩い光が降り注ぎ、そしてリンクの持つ弓矢に光が宿った。ゼルダの魔力で、矢に退魔の力が宿ったのだ。すると、突如地鳴りが響き渡り、時の神殿がグラグラと揺れる。
「この地鳴り……まさか!?」
ゼルダが何か勘付いたように言うと、途端にルピー型の六角形の透明な容れ物のようなものがゼルダを、そしてナマエをそれぞれ囲った。まるで檻に囚われてしまったような状態だった。ナマエは内側から渾身の力で叩くが、六角形の器はびくともしない。
「ナマエ!! ゼルダ!?」
リンクがナマエの封印の容れ物を叩くも、びくともしない。そこに、どこからともなく声が聞こえてくる。
『愚かなる反逆者、ゼルダ姫よ。七年もの長い年月、よくぞ俺から逃げおおせた』
「ガノンドロフ?! どこにいる!!」
この声は、ガノンドロフだ。リンクの表情が険しくなり、声の出どころを探すが、どこにも見当たらない。声だけがこの場に聞こえているようだった。ガノンドロフは姿を見せぬまま続ける。
『だが油断したな。この小僧を泳がしておけば必ず現れると思うておったわ!』
ナマエは必死に声を出そうとするが、声が出ない。リンクもどうにかしようと叩くが、びくともしない。
『唯一の俺の誤算は、その小僧の力を少々甘く見ていたことだ』
ナマエと、そしてゼルダの意識は急激に飛ばされて、容れ物の中で意識を失った。リンクの顔が怒りに満ちていく。
『いや小僧の力ではない。勇気のトライフォースの力だ』
「出てこいガノンドロフ! 卑怯者め!!」
リンクはマスターソードを抜いて構えるが、ガノンドロフの姿は一向に見えない。声だけが響き続ける。
『そしてゼルダの持つ知恵のトライフォース……このふたつを得たその時こそ、俺はこの世界の真の支配者となるのだ!』
ナマエとゼルダが入ったルピー型の封印の器はゆっくりと浮上していき、そして―――
『ゼルダとこの女を助けたくば我が城までこい!』
ふっと消えてしまった。リンクの顔が怒りで歪む。ガノンドロフへの怒りだけでなく、大切な存在をあっけなくさらわれてしまった自分の不甲斐なさにも、燃え尽きてしまいそうなほどの怒りの炎がリンクの中で燃えている。
「……行こう、ナビィ」
リンクとナビィは時の神殿を後にした。目指すはガノン城、かつてのハイラル城だ。
