30.魂の神殿の開放

 リンクが魂の神殿に向かって、どれほどの時間が経ったのだろうか。時間を知るすべは、檻の中にある小さな明かり取りの窓から見える空の様子だけだ。青色だった空の色は、少しずつ橙色に染まっていく。もうじき日が暮れるだろう。捕虜の身だから贅沢はもちろん言えないが、そろそろお腹が空いてきた。檻の外では監視の二人のゲルド族が、こちらに背を向けて時折会話を交わしている。
 やることもないこの檻の中では、色々なことを考えてしまう。魂の神殿の賢者がもしもナボールだとして。『深き森』―――サリア、『高き山』―――ダルニア、『広き湖』―――ルト姫、『屍の館』―――インパ、『砂の女神』―――ナボールとなり、すべての賢者を目覚めさせることとなる。すると残るはガノンドロフとの決戦だ。
 きっとリンクは勝つ。これは自分の希望かもしれないが、負ける未来が見えないのだ。

(世界が平和を取り戻すのも、あと少し……)

 いつまでリンクの傍にいることが許されるのだろうか。そしてこの戦いが終わったあと、リンクはどうするのだろう。生まれ故郷のコキリの森には帰れないし、ハイラル城に仕えたり……といったことになるのだろうか。間違いなくリンクはこのハイラルの英雄となって、その名を知らないものはいなくなるだろう。

(わたしはそのとき、どこにいるんだろう。リンクの傍にいれるのかな……)

 普段は眠っている、心のなかにある暗いモヤモヤが静かに膨れていくのを感じた。

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 日が暮れると、夜の帳が降りて暗がりが広がっていく。燭台に明かりが灯り、暫くすると、檻の下部にある長方形の隙間から銀のトレイに乗ったパンとスープを与えられた。お腹がとても空いていたのでとてもありがたかった。食事を与えてくれたゲルドの女性に礼を述べると、女性はナマエのことを見やった。

「……アンタのツレ、強いんだろ? 心配することはないよ」

 ナマエの様子から、リンクの安否を心配していると思ったのだろうか。もちろん心配はしているが、実はと言うとそこまで心配はしていない。必ずナボールを助け出して、太陽みたいな笑顔を浮かべて戻ってくると信じている。これまでもそうだったし、きっとこれからもそうだ。先程ゲルドの女性たちは、「途中で死んだって構わないじゃないか」と言っていたが、その実、情に厚いのかも知れない。

「……ありがとうございます」

 ナマエの言葉に女性は綺麗に微笑むと、踵を返して戻っていった。与えられたパンもスープもほんのりと暖かくて、心まで温かくなった気がした。
 お腹を満たされたあとは、少し眠った。ベッドなんて言う気の利いたものはもちろんないので、壁に背を預けて目を瞑る。この世界に来て何度も野宿を経験しているので、慣れたものだ。浅い眠りを繰り返して、起きて、朝が来て、与えられた食事を食べて、たまに見張りのゲルド族と他愛ない話をして、ひたすらリンクを待った。捕虜とはなんと暇なのだろう。最初は二人いた見張りのゲルド族も、一人になり、最終的に常時見張るものはいなくなった。

「アンタ多分逃げ出さないだろうし、アタイたちも人手不足なもんでね。安心しな、ご飯はちゃんと届けるからさ」

 ゲルド族もなかなか大変なんだな、と他人事のように思った。それからどれくらい経ったかわからないが、ガヤガヤと何人かが連れ立って走る音が聞こえてきた。何事かと檻の前に広がる通路に目をやると、よく見知った緑色の服を着た金髪の青年が走ってきた。ナマエは立ち上がり、檻の鉄格子を手で掴む。

「お、おまたせナマエ!! ナボール、助けてきた!」

 息も絶え絶えに檻の外でリンクが言う。ナマエは堪らず鉄格子の間から両手を伸ばして、檻越しにリンクを抱きしめた。リンクの荒い呼吸が背中に回した腕から伝わってくる。こんなに息が上がるまで駆けてきたなんて、一体どこから走ってきたのだろう。なんともリンクらしい。

「おかえり、リンク」
「ただいまナマエ、すぐここから出してあげるからね!」

 リンクの言葉通り、すぐに牢屋の鍵を開けてくれて、無事ナマエは牢屋から出ることができた。

「ナボールを助けてくれてありがとよ」

 監視をしていたゲルド族の女性がリンクに向かってぶっきらぼうに礼を言った。
 牢屋から出て、砦の外へと向かう道すがら、助けたナボールは賢者として覚醒したため、リンクと一緒に戻ってくることはできなかったことを聞いた。
 ではなぜナマエは解放されたのかと言うと、ナボールが賢者として目覚めたことが、ゲルド族たちには感覚で伝わったらしい。夢枕に立つ……なんて言ったら聞こえは悪いが、そんな感覚でナボールの意思がゲルド族たちに伝わったみたいだ。それに加えて、魂の神殿から戻ったリンクが「ナボールは賢者として覚醒したんだ」と言ったものだから、その二つの出来事を踏まえて、リンクがきちんと役目を果たしたのだと理解したようだった。

「魂の神殿でシークと会ってさ、そしたらシークがこうやって言うんだ」

 シークの話だと、魂の神殿はこの時代においてはその性質を失っていて、魂の神殿として復活させるには、リンクが眠りに就く前の子ども時代に遡る必要があるという。そのため、シークの導きのもと、時の神殿にマスターソードを戻し、眠りに就く前の子ども時代と、今の、二つの時代を行き来して、魂の神殿を復活させ、ナボールを助けに向かったらしい。
 時代を行き来するという、ナマエにとってはにわかには信じられない話だ。しかし、リンクは多少話を盛ることはあっても、嘘はつかない。ナマエは深く考えることをやめて、リンクの冒険譚を聞き続ける。
 魂の神殿ではコタケとコウメという双子の老婆の魔女がいて、その二人はガノンドロフに仕えていて、ナボールを洗脳しているらしかった。それが、ナボールは最近様子がおかしいと言われている原因であった。老婆たちを倒すと自ずとナボールの洗脳も解けて、そして賢者として覚醒したらしい。

「これですべての賢者が目覚めたんだね……」

 ナマエがポツリと呟く。「そうだね」とリンクが頷いて、

「あとはガノンドロフを倒すだけだ……でもその前に、時の神殿にいかないと」

 いよいよ差し迫った最終決戦を前にして、リンクの面持ちは強張っている。ところがゲルドの砦をもうすぐ出ようかというところで、「あ!!」と急に大きな声を上げて立ち止まった。

「ど、どうしたのリンク」
「ナマエ、チューは!?」
「は!?」

 先程までのシリアスな雰囲気から一転、急にチューは!? と言い出すこの青年は、本当に困った勇者だ。チューなんて大きな声で言うものだから、周りにいたゲルドの女性たちの視線が一気に二人に集まった。

「えと……チューはその、あとでね」
「どうして? 帰ってきたらチューしてくれるって約束じゃん」

 唇を尖らせて抗議するリンクの唇を、もはや塞いでしまいたかった。なんとかリンクを言いくるめる……もとい、納得させる言葉を探す。ナマエは辺りを見渡しつつ、リンクに言い聞かせるように語りかける。

「ほら……みんなが見てるでしょ? チューはね、人に見せるものじゃないの。誰も見てないところでするものなの」
「ふうーん……」

 まだ不服そうだが、駄々はこねなそうだ。ナマエは言葉を続けた。

「無事に幻影の砂漠を抜けたら、してあげるね。あーエポナは元気かなぁ」
「早くエポナに会いたいなぁ」

 よし、リンクの気が逸れたみたいだ。とナマエは安堵する。と同時に、幻影の砂漠で思い出すことがあった。 

「幻影の砂漠……シークの案内無しで帰れるかな」

 行きはシークが幻影の砂漠を道案内してくれた。行きはよいよい帰りは恐い、なんていう言葉が思い浮かぶ。

「それなら大丈夫、幻影の砂漠はゲルドの砦を外敵から護る為にあるから、帰るときは問題ないんだって」

 リンクの言葉を最初に聞いたときはよくわからなかったけれど、絶対に大丈夫! という力強いリンクの言葉に背中を押される形で、半ば無理やり幻影の砂漠に足を踏み入れた結果、リンクの言葉通り、すんなりと砂漠を抜けることができた。
 つまり、ゲルドの砦への侵入者を拒むために砂漠は人を惑わせて、案内なしでは到達できないようになっているが、ゲルドの砦から立ち去るものについては真っ直ぐに帰らせてもらえるということなのだろう。
 砂漠を抜けて、エポナを預けていた馬屋にやってきて無事にエポナを引き取る。見たところ変わらず元気そうで安心する。ナマエはエポナのたてがみを撫でつけていると、リンクがくいっと服の裾を引っ張った。

「ねえナマエ」
「ん? ―――!?」

 振り返ったナマエの唇に、リンクの唇が重なった。突然のことにナマエは目を白黒させる。唇はすぐに離されて、代わりにリンクのイタズラっぽい笑顔が現れた。

「ナマエがなかなかチューしてくれないからいけないんだよ」

 まだ何も言ってないというのに、リンクは弁解した。 

「……そんなにしたかったの?」
「当たり前でしょ!」

 そういいながらリンクはナマエを包み込むように抱きしめた。ピッタリと隙間なく二人は重なり合っていて、鼓動が早い。果たしてこの鼓動はナマエの鼓動なのか、リンクの鼓動なのか、あるいは二人ともなのか、ナマエには分からなかった。
 背中に回された手に力が籠もった。

「俺はナマエに笑っててほしいから、ガノンドロフを倒したいんだ」
「……そうなの?」
「勿論、マロンも、タロンさんも、インゴーさんも、ミドも、ゴロンのリンクも、みんなみんな笑っててほしい。でも一番は、ナマエなんだ。勇者だとか使命だとか色々あるけど、俺にとって一番大事で、一番の理由は、ナマエなんだ。こんなこと知ったらシークは怒るかな」

 抱きしめながらそんな事を言うのはズルい。ズルすぎる。リンクを失いたくない、と改めて強く思った。リンクは絶対に負けないと信じてる。けれど、これから魔王に挑むと思うと、やっぱり怖い。この体温を失うことがあったら、きっと立ち直れない。
 ねえ逃げちゃおうよ。なんて言葉が出かかって、わたしのほうこそシークに怒られちゃうな、と心のなかで苦笑いをする。その代わり、ナマエはもう一つずっと心のなかで溢れ出そうな言葉をリンクに伝える。

「大好きだよ、リンク」

 体を離して見つめ合えば、自分で言うのもなんだが、リンクはナマエのことが好きで仕方ないと言った熱を孕んだ目をしていた。ナマエはリンクの頬にそっと両手を添えると、背伸びをしてその唇にそっと己の唇を重ねた。

「大好き」

 もう一度、リンクに囁きかければ、リンクは顔を真っ赤にして、顔を背けた。そんな様子が可笑しくて、ナマエは思わず笑いだすと、リンクは「笑うな!」とぷりぷり怒った。