(なんて、勢いに任せていろいろ言っちゃった……こわい。どうしましょう。もうディオさまに顔を合わせられないです……。でもこの館にいる以上、それは無理だし、仕えるしかないのかな……でもジョナサンさまが心配です、会いたいです。逃げられるかな……でもゾンビにはなりたくない)
ベッドに横たわり、はあ、と息をついた。今すぐにでもジョナサンのもとへと赴いて、彼の意識が戻ったらディオが生きていることを報せたいのにそれが叶わない。なんともどかしいことだろう。
ディオが生きていることを知ったら、彼はディオを倒すのだろうか。人類のために、父のために。けれども今度こそ、倒されてしまうのではないだろうか。相手は人間の上を行く、吸血鬼。力の差は十分すぎるほど思い知った。
それにこのまま自分はこの館にいていいのだろうか。人間を支配しようと企む吸血鬼がすぐそばにいるのだ。自分こそ、例え敵わなかったとしても人類のために反旗を翻すべきなのではないだろうか。ディオのことは許したい気持ちがある。けれどそれと、人類が支配される様を黙認するのとでは、話が変わってくる。
なんてことを考えていたらいつの間にか眠っていたようだ。ジョースター邸にいたときは忙しなく身体を動かしているが、今は何もすることがないので時間を持て余してしまっていけない。時間を確認する為腕時計を見ると18時をまわっていた。もう夜なのかと思うと、急速にお腹が空腹を訴えた。渋々ベッドから起き上がり、大きく伸びをして、どうしようかと考えあぐねる。
(ディオさまに尋ねるしかないですよね……)
気が進まないがもう一度ディオに会うしかないだろう。ゾンビにはなりたくないが、餓死もしたくない。部屋を出て先ほどディオと出会った部屋に向かった。先程激昂していた様子が脳裏をよぎって思わず足取りが止まるが、いつかは会わなければいけないのだ。勇気を奮い立たせて再び歩き出す。
恐る恐る広間を覗き見れば、ディオは先ほどと同じチェアに座っていて、ワンチェンはその前で跪いていた。さながら王様と従者のような構図である。ディオはナマエの存在に気付くと、ワンチェンに何かを告げてワンチェンはそのまま立ち去った。それを見届けてナマエはディオの前に赴いた。
「あの……」
「どうした、気が変わったか」
ふっ、とディオが意地悪そうに口元を釣り上げた。ナマエは目を泳がせ、「そういうわけでは、ないんですが……」と口ごもる。けれども幸いなことに先ほどのことを、怒っているわけではなさそうだった。
「腹でも減ったか?」
ずばり言い当てられて、言葉に詰まる。少しの間ののち、ナマエは小さく頷いた。
「キッチンを自由に使っていい。金もやるからこれで街に出て食料を買ってくるんだ」
「館の外に出ていいんですか?」
まさか外出の許可をもらえるとは思わず堪らず聞き返す。
「ああ、行くがいい」
「このまま抜け出してしまう可能性もありますよ……?」
「ナマエはそんなことをしない」
「な、なんでですか」
「長年の付き合いでわかる。お前は絶対にそんなことをしない」
赤い瞳にじっと見つめられて、ごくりと生唾を呑んだ。なぜこんな自信をもって言い切れるのだろうか。彼の考えは読めない。確かに自分の性格上、逃げ出すなんてことはできないだろう。ここがどこかもわからない上に、追跡の恐怖もある。けれど、絶対とは言切れない。なのに一人きりで出かけさせるなんて。そんな度量はないということを言われているようで複雑な気持ちになるが、
「……そうですか」
それだけいい、ナマエはディオからお金を受け取ると、館を出た。館を出ても真っ暗なので、なんだか不思議な感じがした。一日中夜の世界に迷い込んだみたいだった。けれど久しぶりに嗅いだ外の匂いは気持ちが良かった。大きく息を吸って、吐き出すと身体の中にあった澱が一緒に吐き出されるようだった。丘の上に位置しているようで、眼下には暗闇の中に街の明かりがぽつぽつと見える。
振り返って館の全容を仰ぎ見れば、思ったよりも大きくて、館と言うよりかは城のような造りをしていた。すぐ近くには墓地があり、どことなく陰鬱な雰囲気を醸し出している。館に背を向けてさっそくナマエは丘を下った。店のほとんどは閉まりかけであったがなんとか食材を買うことができた。食材を買いながら、逃げ出すなら今なんだよね、とずっと考えていたが、結局逃げ出さなかった。
(なんか、そんな自分が不服……ディオさまの手のひらで踊らされてるようです)
逃げ出せない自分に腹が立つが、そんな度胸はないのだから仕方がない。結局はディオの言う通りなのだ。トボトボと丘を上がり、城へ向かう。丘を登りきると先ほど見た墓の一つに、ディオが腰かけていて、ナマエの存在に気付くと腰を上げて「おかえり」と笑んだ。なんと罰当たりなのだろうと思いつつ、ディオの顔を仰ぎ見れば、まるで、おれの予想通り、と言わんばかりの顔に見えて、ナマエは少しむっとする。
「ほらな、言った通りだ」
「……そうですね」
「別にナマエをバカにしているわけじゃあないぜ、さあ、入ろう」
ディオはナマエの手を引いて、城の中に招き入れた。
「キッチンに案内しよう」
「はあ……」
やけに丁寧なディオにナマエは少しあっけを取られる。あの時の激昂が嘘のようだ。
キッチンに案内すると、何を作るんだ? だとか、街はどうだった? など、料理をする傍らでディオはずっと喋りかけてきた。その様子は上機嫌そうに見えたし、吸血鬼になる前のディオと大して変わらなかった。そんな風な態度を取られると、なんだか調子が狂ってしまう。
ディオの分はいらないと言われたので、自分の分だけ作り、ダイニングへと運んだ。吸血鬼のエネルギーは本などで見るように血らしく、人間のような食事はとらなくても平気らしい。ならば十字架だとかニンニクだとかは苦手なのだろうか。今度試してみようかな、とひそかに考える。
ナマエが座った真向かいにディオは座り、じっと食べるさまを見つめている。目の前に誰かがいるのに、自分だけ食べるのになんだか変な感じだ。食べるところを見られるというのはなんだ気まずいし、非常に食べにくかった。失礼ながらどこか行ってくれないかな、なんて考えていると、ディオがナマエ、と名を呼んだ。はい、と返事をしサラダを食べるのを中断し、フォークをテーブルに置いた。
「おれは決めたぞ。仕えなくていい。まだ、な。だが、これから寝る時をともにする」
「え? 寝るとき……?」
「拒否権はない。おれが迎えに行くから、寝る時はおれの部屋だ」
「そんな、男女が、しかもメイドが主人と一緒に寝るなんて!!」
同じベッドで寝るさまを想像して、悶絶する。彫刻のように逞しく美しいディオの腕に抱かれながら眠る自分。実際には同じベッドにいるだけでそれぞれ違う方向を向いているかもしれないが、想像に罪はない。とにかくナマエにとって非常事態であることは確かであった。
「別にいいじゃあないか。それ以外の時間は好きにしていい。ああ、と言っても、寝るのは太陽の昇っている時間だがな。繰り返すが、拒否権はないからな」
「そんなこと、言われましても……」
拒否権がない。そんなことを言われてしまっては、何も言い返せない。彼に仕えていない今、主人でもないものの命令に拒否権がないわけがないが、拒否が通るとも思えない。ナマエは途方に暮れた。
「そういえばナマエ、おれたちのことをメイドと主人、と言ったな。その言葉、おれに仕えると解釈していいのか?」
言葉尻を捕らえたと言わんばかりのディオのニヤリとした笑み。ナマエはぶんぶんとかぶりを振る。
「そういうわけではないです!」
「ふっ、とにかくそういうことだ。朝になったら与えた部屋に絶対にいろ。わかったな」
ディオはそういうと、満足げに口角を上げて立ち去った。そんなあ……と言うナマエの呟きは、ディオに届かず消えた。
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正直なところ、ディオにとってナマエを街に放つのは賭けであった。勿論、ナマエは戻ってくるという可能性は高いと踏んでいたが、絶対ではない。けれども試してみたくなったのだ。彼女は自分の思う通りの人間か、どうか。結果彼女は戻ってきた。自分の思い通りに事が運び、なんだかくすぐったい気持ちになった。
ディオがナマエに抱くイメージは七年前から大して変わらない。単純で、お人好しで、いろいろなことが想定内。裏切りを匂わせず、狡猾さを持たぬ彼女を、永遠の時を共にゆくものの一人にいれてあげても構わないと思っている。けれど、そんな彼女にジョナサンが絡めば話は別だ。ここにジョナサンがやってくれば、間違いなく彼女はジョナサンのもとへと行くだろうし、ジョナサンを目の前で殺そうものなら、自害したって可笑しくない。いつだって彼女はディオよりもジョナサンを優先する。彼女の中のジョナサン>ディオと言う式はこの先一生、覆ることはないだろう。現状は、だが。
きっといつかはジョナサンに会いに行くため、この城を決死の覚悟で抜け出すだろう。けれど今その覚悟はできていない。その覚悟ができる前にジョナサンを亡き者にしてしまえば、彼女がこの城を出ていくことはないだろう。きっと。
だから、と考えたところで舌なめずりをする。眼下には既に絶命した女。やはり処女の血は格段に力が蘇る。そう、この女をナマエの見えないところで殺し、血を頂戴するように、ジョナサンのこともナマエの見えないところで殺す。殺したと気付かれるわけにはいかない。
(二度とジョナサンには会わせぬ)
けれども、一つ問題があった。太陽をなくした向日葵が枯れてしまうように、ジョナサンを亡くしたナマエは、果たして枯れずにいられるだろうか?
そこまで考えて、自分がナマエのことばかりを考えていることに気付いて眉をしかめる。夜空に浮かぶ三日月を見上げ、鼻を鳴らした。
