暫く行くと、それまでの草原から、ごつごつとした岩肌が目立つようになり、いよいよ砂漠地帯に近づいてきたようだった。ゲルドの谷、と呼ばれる谷までやってくると、ここから先の砂漠を行く旅人向けに水や食料、マントなどが売っている露店が並んでいた。馬を預かってくれる店もあったので、馬留にエポナを括り付け、ルピーを払ってエポナの世話をお願いした。
水、食料を買い込み、同じく買った砂よけのフード付きのマントを被ると、リンクと二人で見合って、見慣れない格好にくすくす笑いあった。
「ナマエ可愛い! あんまり顔が見えないから、覗き込みたくなっちゃう」
そう言って屈みこみ、ナマエの顔を見ようとするリンク。
「なにそれ、面白い発想だね。そういうリンクも似合ってる、かっこいいよ」
リンクを真似てナマエもリンクの顔を覗き込もうとする。マントの奥の双眸と視線が合わさると再び二人で笑いあった。
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幻影の砂漠。その名の通り、幻影がひしめくこの砂漠。迷ったら最後、砂漠からは二度と出られないとか。砂漠の入り口に立てば、先の光景はまるで見えず、一面砂漠であった。少し先には風で砂が舞っている。
迷ったら最後、砂漠からは二度と出られない―――その言葉を、もう一度ナマエの頭の中で反芻する。その時、背後から声がかかる。
「時の勇者」
リンクをこのように呼ぶのは彼しかいない。シーカー族の末裔、シーク。振り返ればやはりシークがいた。この砂漠地帯には不釣り合いな軽装が彼をより一層浮世離れして見えた。
「あ、シーク。カカリコ村ぶり」
軽く口調で挨拶をするリンクと、その横でぺこりと頭を下げるナマエ。前回カカリコ村で邂逅したシークは珍しくとても取り乱していたが、今回はいつも通り、時の勇者を導く秘密めいたシーカー族の青年だ。
シークは髪と同じく金色の眉を微かに歪めて、フードを被ったリンクを見遣った。
「まさかとは思うが、道案内もなしにこの砂漠を行こうとしているのか?」
「うん、そのつもりだけど」
「やっぱり危険ですよね……」
さも当然かのように言ってのけるリンクに対して、闇雲に砂漠を行くことに対して不安に思っていたナマエがポツリと呟いた。
「当たり前だ。……僕が案内しよう」
「わあー心強い!! ありがとうシーク!」
「……よろしく」
ナマエが手放しで喜ぶと、リンクは途端に面白くない顔をする。道案内はしてほしいのだが、ナマエがシークのすることで喜ぶのが気に食わない。しかしそうも言っていられないので渋々頷いた。シークと言う頼もしい道案内とともに、幻影の砂漠に足を踏み入れた。
初めて歩いた砂の道は、踏みしめる度に砂と砂とが擦れる音がする。少し進んでから振り返れば、バザーはもう見えなくなり、辺り一面が砂漠になった。まだほんの少ししか進んでいないのに、もう二度と出ることのできない砂の迷路に入り込んでしまったような気がして急速に不安に襲われるが、迷う素振りもなく歩みを進むシークの姿を見て冷静を取り戻す。
砂地を歩く三人の足音と、吹き荒れる砂の音を聞きながら歩いていくと、ふと疑問が首をもたげてきた。会話を交わして気分を明るくする意味も込めて、ナマエは砂漠の案内人の背中に投げかける。
「ねえシーク。これまでの賢者は、サリア、ダルニア、ルト姫、インパと知ってる人たちが賢者だったけど、“砂の女神”には何の心当たりもないんだよね。シーク知ってたりする?」
「もちろんだ」
「教えてよ」
「じきに出会うさ」
「教えてくれないってことね」
「そういうことだ」
「もったいぶらないでよ、ねえ」
「そういうわけではない」
「冷たいのね」
「なんとでも」
「……」
とんとんと進むシークとナマエの会話や、心なしか以前よりも親密さを増している二人の雰囲気に、リンクの表情がどんどんと険しくなっていく。ナマエからすれば、ナマエの疑問に対してただシークがいなしているだけの一方通行の会話だが、リンクにとってはそうではない。
(ナマエ……俺と話すより楽しそう。シークが同じオトナだから?)
いくら見た目は大人でも、リンクは七年間のブランクがある。リンクにとっては空白の七年も、ナマエはしっかり七年を生きている。そして当然シークも。ナマエとシークと、自分との間にある、絶対に埋めることのできないどうしようもない隔たりに、酷く劣等感を感じる。リンクは劣等感などという言葉を知らないが、酷く惨めで、情けなくて、悔しくて、こんな気持ちは初めてだった。
「リンク?」
「……えっ?」
思わず考え込んでしまっていたリンクの耳に、突如ナマエの声が届く。
「え、じゃないよ。なんか顔が怖いけど、どうしたの? お腹すいた?」
「そんなんじゃないよ」
リンクの不機嫌な物言いに、ナマエは内心で首を傾げるが、そっとしておこうと思いそれ以上追及するのはやめた。
シークが自ら喋るわけもなく、不機嫌なリンクも口を開かない。空気を読んでナマエも口を開こうとしなかった。結果、不穏な空気のまま黙々と砂漠を進み、暫くすると幻影の砂漠を抜けた。ここからはもうまっすぐ進んでも迷わない、とのことで案内を終えたシークは姿を消し、取り残されたナマエとリンクは、変わらず気まずいままだった。
シークの言葉通り真っすぐ進み、暫くすると砦のような集落が見えてきた。あれが恐らくゲルド族の集落であろう。無事に砂漠を抜けて目的の集落が見つかったところで、ナマエは先程までの気まずい雰囲気はすっかりと抜け落ちて、いつも通りリンクに喋りかけた。
「いやあ、シークいなかったら今頃砂漠で共倒れだったかもね」
「……うん」
いつもとは違う力ない返事に、ナマエは様子を窺うようにリンクのことを見やれば、マントから覗くリンクの瞳は曇ったままで、足元をじっと見つめていた。ナマエが再び言葉を紡ごうとしたとき、俯いていた彼は悲しげな顔を上げて足を止めた。
ナマエも足を止めて二人は向き合った。こんなに悲しそうな顔は、恐らく初めて見た。いつだって太陽のような彼は、どんな時でも元気だ。彼はどうしてこんな悲しそうな顔をしているのだろう。
「ナマエは、シークといるほうが好き?」
彼の口から出てきた言葉は、想像とは全く違う言葉であった。彼が自分とシークのことを比べるのは今回が初めてではない。今までもある。そんなにリンクにとってシークは気になる存在なのだろうか、と不思議になる。
「リンクといるほうが好きだよ」
「だっていつも楽しそうだ。俺はナマエとそんな風に会話できない。シークみたいに楽しませられない」
そう言うと、リンクは再び俯いた。リンクがそこを気にしているとは、正直ナマエは意外であった。彼はきっと、気にしないと思っていたのだが、ナマエは思い違いをしていたらしい。
大人と子ども。彼は確かに子どもだが、見た目は大人で、そのギャップにリンクなりに苦悩しているのかもしれない。ナマエが思っているよりも、ずっとリンクは大人であった。そんなリンクになんて言葉をかけようと考えを巡らせて、そして口を開いた。
「……シークはシークだし、リンクはリンクだよ。わたしはリンクといるほうが好きだから、それは絶対だよ」
「絶対?」
顔は俯いたまま視線だけを上げて“絶対”という言葉にリンクが反応を示す。まだ彼の碧い瞳には猜疑心が浮かんでいるが、ナマエの言葉を信じたいという気持ちも見えてくる。ナマエは頷いた。
「うん、だからほら、顔を上げてね」
「……証拠は」
証拠とは、また考えたものだ。少し考えあぐね、一つ考えが閃いた。不機嫌そうなリンクの瞳と、悪戯っぽく輝くナマエの瞳がぶつかる。
「目、つぶって」
「えー」
「えー、じゃない。ほらはやく」
「うん……」
彼の意志の強さを思わせる眉毛が寄せられるも、瞳を閉ざした。いかにも不服そうだ。けれどこのままではナマエの思いついた証拠を、彼に渡すことできないことに気づいてもう一つ彼の要求する。
「序にちょっとしゃがんで、わたしと目線を合わせて」
「はーい」
渋々と言った様子で膝を屈めて視線の高さを合わせて彼が再び目を閉じる。これで準備が整った。今からすることを思うと、心臓がぎゅっと縮こまるが、ここまできたら後には戻れない。
意を決してナマエはリンクの額へと顔を寄せて、彼の額にキスをした。途端、湧き上がるナビィの歓声。すぐさま顔を離せばリンクの青く澄んだ瞳がかっと見開かれ、姿勢を戻すとナマエの身体に手を回して思い切り抱きしめた。
「ちょ、どうしたのリンク!」
「何したのナマエ!」
興奮気味なリンクの声が聞こえてくる。抱きしめられているので彼の表情は分からないが、きっと声色同様興奮しているに違いない。ナマエは彼に施した“証拠”の正体を告げる。
「なにって……チュー?」
「チューって何!」
リンクはナマエから離れると、今度はナマエの肩に手を置いて、がっちりと固定した。彼の瞳は好奇心で満ちていた。
「なにって……なんだろう、恋人同士がする愛情表現……?」
「それがチュー! チューはおでこにするもんなの?」
「んんーとね、どこにしてもいいんだけど、その中でも一番特別なのは、唇同士かな」
食い気味に聞かれては、一歩引いて冷静に答えるナマエ。
「そうなんだ! も、も一回やって?」
ナマエはリンクのお願いにめっぽう弱い。お願い、と眉を下げるリンクのお願いを断れるわけもなく。「じゃあしゃがんで」、と言えば、リンクは忠犬の如くすぐさましゃがみ込むと、恭しく目を閉じた。先程は非常に不服そうだったのに、今となってはご褒美を待つ犬のようだ。なんだか気恥ずかしいが、仕方がない。今度はリンクの頬にキスをした。
「!!!! ナマエ、好き!!」
またリンクにきつく抱きしめられる。
「わー! はいはい、わたしも好き。わかってくれた?」
「うん、だって俺、チューをシークにしてるとこ見たことないし。でも」
リンクはむくれたように唇を尖らせて言葉を続ける。
「唇にしてくれなかったね」
「だって、特別だから。また今度ね。リンクが頑張ってたらしてあげる。じゃ、いこっか」
「よっしゃー頑張るぞー!」
単純で可愛い勇者は、キスで俄然やる気になったみたいだ。見てるこちらが嬉しくなるくらいの満面の笑みで両手を上げてリンクは声高に叫んだ。
