25.巡り巡る運命

 痛い沈黙がジョースター邸を包んだ。ジョナサンは警官から手錠を手渡してもらい、観念したように両手を差し出したディオを見据えた。誰もがジョナサンが手錠をかける瞬間を固唾をのんで見守っていた。

「ジョジョ……人間ってのは能力に限界があるなあ」

 何を悟ったのか、ポツリをディオがそんなことを口にした。

「おれが短い人生で学んだことは……人間は策を弄すれ弄するほど、予期せぬことで策が崩れるってことさ! 人間を超えるものにならねばなあ」
「なんのことだ、何を言っている!?」

 嫌な予感がジョナサンの脳裏を駆け巡る。ディオが何を言いたいのか、何をしようとしているのか予測が出来なかった。だからこそ今、ディオが怖かった。きっと今から、良からぬことが起こる。そんな風に第六感が告げるのだ。

「おれは人間をやめるぞォーーー! ジョジョォォォーー!!」

 ディオが左手に巻き付けていた包帯の中から仮面らしきものを取り出した。
 包帯を裂いて飛び出てきたナイフをキャッチする。ディオはけがをしたと見せかけ、その包帯の内にナイフを仕込んでいたのだ。最初からディオは大人しく捕まるつもりなんてなくて、虎視眈々とその時を待っていた。
 ディオはこれまでとは一変、狂気を思わせるほど嬉々として叫んだ。

「おれは人間を超越する!!」
「ナイフを持っている!! 射殺しろ!」

 警官が一斉に銃を構えた。そしてナマエの肩から重さが消えたのも同時だった。

「い……石仮面? なぜ君が持っている」
「危ない! ジョースターさん!!」

 そう、仮面は石仮面だった。呆然とするジョナサンに、スピードワゴンは叫ぶ。しかしジョナサンは動けないままで、ナイフを構えたディオはナイフを放ち、仮面を自身の顔に被せた。

「ジョジョ! お前の血でだ!!」

 石仮面を被ったディオがなおも叫ぶ。
 ナマエは全身から力が抜けてぺたんと床に座り込んだ。動悸が激しくなり、目に涙があふれて景色が霞んでいく。

「ぐ……ジョジョ……」
「と……父さん!!」

 ジョースター卿が、つい先ほどまで病に伏せって立ち上がることもままならなかったジョースター卿が、最後の力を振り絞ってジョナサンのもとに駆け寄り、襲い掛かってきたディオの刃に自らの体を差し出したのだ。力なく崩れていくところを、ジョナサンに抱きかかえられる。

「やつを射殺しろーーーーッッ!!」

 そう叫んだのは警官。その声を受けて一斉にディオに向けて銃が放たれる。銃を一身に受けてその勢いでディオは窓まで吹き飛び、そしてガラスを突き破って外まで飛んでいった。しん、と静寂に包まれる。ディオは死んだのだ。実の父を殺し、そして義理の父までも手にかけて。
 ジョナサンの腕の中にいるジョースター卿が身動ぐ。それまで驚愕を湛えていたジョナサンの顔が、一気に泣き出しそうな顔になった。

「ナイフなんて……普通ならよけられたのに、ぼくが石仮面に気を取られていたせいで……父さん、やっと元気を取り戻したのに……ぼくの身代わりに!」

 ジョナサンがこらえきれずに涙をこぼす。ジョースター卿はにこりと微笑み、ジョナサンの頬に手を添えようと延ばす。触れるか触れないかぐらいで、ジョースター卿の手から力が抜けた。静寂に包まれていたジョースター邸がざわめき出す。ジョースター卿を呼ぶ声、医者を呼べと叫ぶ声。そのすべての声を押しのけて、ひとりの懺悔の声がナマエの耳に入る。

「わしのせいだ……二十年前、やつの父親を流島の刑にしていれば……」
「父親?」

 スピードワゴンが聞き返す。

「ああ……。わしが警察に入って間もないころだ、指輪を質に流そうとした男を逮捕した」

 その指輪は有名な宝石商につくられたもので、持ち主はすぐに判明した。そして持ち主――ジョースター卿に、警視庁まできてもらうことになった。指輪は亡くなられた奥様との婚約の際、ペアで作ったものであった。ジョースター卿は指輪を手にすると、涙をうっすら浮かべたそうだ。無理もない、いわば亡き妻の形見。
 ジョースター卿に捕えた犯人を牢屋越しに見せると、ジョースター卿は目を見開いて驚いた。犯人は「ダリオ・ブランドー」。あとで知ったのだが、ブランドーはジョースター卿の命の恩人だったらしい。しかし実際は事故現場で金品をあさるこずるい悪党であった。指輪は馬車の事故の時に盗んだものだったのだ。

「ジョースター卿はそのことを知っていて、ディオを養子にしたのだ……!」

 そしてそのあと、ジョースター卿はこう言った。君……彼はこう言わなかったかね? この指輪はわたしにもらった、と。勿論ブランドーは言った。盗んだなんて言えば罪を認めることになるからだ。ダリオはとんでもない嘘をついたのだ、と言えばジョースター卿は、嘘ではない。と穏やかに微笑んだ。これは彼にあげたものだと。

「婚約記念の大切な思い出の品を、他人にやったりするものですか! なぜ!? そんなでたらめを!!」

 ジョースター卿は指輪を牢屋の中にいるダリオの手に渡して、

「ブランドーさん、これはあなたのものですよ。わたしも貧困の中で生まれたら同じことをしていたかもしれない。指輪を売って家族になんか買ってあげてください。そして、もう悪の人ではなく、善の人になってください」

 そう語りかけた。ジョースター卿の言葉を、ダリオは理解できていないようだった。自分だって理解できなかった。なぜこんなことをするのかと。命の恩人だと思っていた人が実は盗人で、しかもその盗人に形見の品をさしだし、売ってくださいなどと。
 ダリオは心の中で嘲笑っていただろう。高価な指輪をもらえてラッキーだと。そして、愚かな男だと思っただろう。本当に愚かな人間が自分であることを知らずに。そしてなぜこんなことをジョースター卿がしたのかを、一生理解できないまま死んだのだろう。
 ひとりの警察が語った独白を聞いて、ナマエは静かにジョースター卿のことを思った。

(ジョースター卿……あなたの最期が息子に殺されるだなんて誰が予想できたでしょうか)

 運命とは奇妙なもので、自身のやさしさが巡り巡って自らを殺した。こんなことってあるのだろうか。けれどもそんな世の不条理さよりも、今はただ、目の前で命の灯が消えてゆくジョースター卿が悲しくて仕方がなかった。

「父さんしっかり、医者が来れば助かります!」
「ジョジョ、ディオを恨まないでやってくれ。わたしが悪かったのだ。実の息子ゆえお前を厳しく教育したけれど、ディオの気持ちからするとかえって不平等に感じたかもしれない。それが彼をこのようなことにしむけたのだろう。ディオはブランドー氏のそばで葬ってやってくれ」

 最期の最期まで自分のことではなく、ディオの心配をしていられるのが、もはや不思議でならなかった。どこまでも紳士でどこまでも愛に溢れたジョースター卿は、死に際まで人として大切なことを息子に伝えている気がした。

「悪くないぞジョジョ、息子の腕の中で死んでいくと……いうのは」

 もう一度手をジョナサンの頬に伸ばし、その頬に触れ、そして力尽きた。