それから数日が経ち、朝日が昇る前にジョナサンが帰還した。ねむっているときに自室をノックをされ、誰かと思ったらジョナサンで、寝ぼけ半分だったナマエはすぐに覚醒した。ジョナサンは、金髪を無造作に伸ばし帽子を目深にかぶった男性と、小柄な東洋人の老人と一緒であった。ナマエは涙を流しながらジョナサンの無事を喜んだ。しかしそんな感動の再会も束の間、すぐにジョナサンはナマエに指示を出す。
「ナマエはディオをエントランスまで呼んできてくれないか? ぼくは父さんに解毒剤を飲ませてくる!」
解毒剤、つまりジョースター卿は毒に侵されていたということだ。悲しいことにナマエの当たらなければいいと思っていた予感は、的中したのだ。
「わかりました……!」
とは言え今は感傷に浸っている場合ではない。涙をぬぐい大きく頷くと、階段を駆け上がり、ナマエはディオの部屋へ、ジョナサンはジョースター卿の寝室へ向かった。扉を何度かノックするが返事がないので失礼は承知で扉を開ける。すると部屋の主は不在であった。ナマエはディオの部屋の前ででジョナサンを待つ。暫くしてジョナサンのみが寝室から出てきたので報告を入れる。
「ジョナサンさま、ディオさまはご不在でした」
「不在だって? ……わかった、じゃあみんなを集めてきてくれないか? 父さんはぼくが呼んでくる!」
ナマエはジョースター邸に住まうすべての使用人たちを起こし、エントランスに集めた。みんなが集まりだした頃、ジョースター卿を支えるようにしてジョナサンがゆっくりと戻ってきた。まだ頼りない足取りではあるが、久方ぶりにジョースター卿の歩いている姿を見て、ナマエはこみあげてくるものがあった。
「みんな、聞いてほしい」
そういい、ジョナサンはこれまでのことを話した。
偶然、書物庫でディオの父、ダリオからの手紙を見つけて読んでみると、そこには現在ジョースター卿が侵されている病ととても似ている病気にあることが書かれてあった。そこでジョナサンは胸騒ぎを覚えた。もしかしたら、ディオは今、義理の父までも殺そうとしているのではないかと。
そんな手紙を読んだ後に、ジョナサンはディオが薬をすり替えているところを目撃してしまった。ディオに詰め寄り、実の父に潔白を誓え、と言うとディオは態度を豹変させ、暴力に出たという。このことでジョナサンは確信を持ち、薬の成分を分析しに、最初は大学へ、次にロンドンへと旅立ったのであった。
ロンドンの食屍鬼街(オウガーストリート)で知り合ったのが帽子の男性、ロバート・EO・スピードワゴンであった。彼は最初、身なりのいいジョナサンを襲って金品を奪おうとしていたのだが、ジョナサンの人柄に惚れて、道中を心配しお供してきたのであった。そして東洋人は、ディオの毒薬を提供したと自白した男であった。ディオがしらばくれることのできないように用意した証拠というわけだ。
「……そんな」
到底信じられるようなことではなかった。けれど、ジョナサンがこんな冗談を言うわけもなくて。ジョースター卿は終始何も言わず、悲しい顔をしていた。無理もないだろう。善意で引き取った子供が自分を殺そうとしていたのだから。
「実は警察を呼んである。いつでもディオを逮捕できる状態にしたいからね。悪あがきをする可能性も考えておかなくてはいけない。それからカーテンをすべて閉めて真っ暗にし、ぼくだけがろうそくに明りを灯す。ディオにぼくが一人だと錯覚させるためだ。みんなにディオの口から紡がれる言葉を聞いてほしい」
特に反対するものもいなかったので、カーテンを閉め、ジョースター卿と警察はそのカーテンの中に潜み、その時を静かに待った。暗闇の中で誰一人喋らず、静寂が耳に痛かった。
暗がりの中でナマエはぐるぐると同じことを考え続けた。ディオの口から何が語られるのだろう。理由はなんにせよ、ジョースター卿を殺そうとしたことを許せるのだろうか。これまでの七年間はすべて偽りだったのだろうか。どれもこれも答えの出るものではなく、頭の中で堂々巡りを続けた。
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何の物音もしなかったジョースター邸に、重々しい扉の開く音が響き渡った。やがて扉はすべて開き、外から太陽の光を受けたディオの姿が現れた。邸内の誰もがディオの様子を見守った。彼の左腕は負傷しているようで、包帯が巻かれている。しかし昨夜まではなかったはずだ。
「どうした執事!? なぜ邸内の明かりを消している!!」
ディオの声が静寂が支配するエントランスに響き渡る。朝だと言うのにカーテンが開いていないので不審に思ったのだろう。その言葉を受けて、ジョナサンがろうそくに火を灯した。浮かび上がるジョナサンの顔をディオが認めると眉を寄せて、ジョジョ。と名を呼んだ。ディオの額に脂汗が浮かぶ。
「帰ったのか、ロンドンから」
ディオは言いながら微笑んで余裕をみせようとする。
「解毒剤は手に入れたよ、さっき父さんに飲ませたばかりだ」
淡々と言い放つジョナサン。ディオの先ほどの微笑みはすぐに引っ込み焦りをにじませた。この表情が意味することはつまり、ジョースター卿に毒を投与していたということ。それを確信させた。ジョナサンは感情を乗せずに言葉を続ける。
「つまり証拠をつかんだということだよ、ディオ。……ぼくは気が重い。仲が良かったとは言えないが、兄弟同然に育った君をこれから警察につきださなくてはいけないなんて。残念だよディオ、本当に。わかってもらえないかもしれないが、これは本心だよディオ」
「……ふぅ」
ディオは溜息をつき、エントランスにあるソファに座り込んだ。
「ジョジョ、君はそういうやつさ。その気持ち、君らしい優しさだ。理解するよ」
ジョナサンは歩み寄り、持っていたろうそくをソファの前のテーブルに置いた。ろうそくの火に照らし出されたディオの顔は、反撃を試みる様子もなく、諦めきっているようだった。
「ジョジョ、勝手だが頼みがある。……最後の頼みなんだ」
少しの間を置いたのち、ディオは口を開いた。
「ぼくに時間をくれないか? 警察に自首する時間を」
「え?」
ジョナサンは思わず素っ頓狂な声を上げる。自首をするなんて言うことがあるとは予測しなかった。ディオのことだから猛反撃に出てくると踏んで警察まで呼んだというのに。
「ジョジョ! ぼくは悔いてるんだ、今までの人生を! 貧しい環境に生まれ育ったんで、下らん野心をもってしまったんだ! バカなことをしでかしたよ、育ててもらった恩人に毒をもって財産を奪おうなんて!」
目に涙を浮かべてディオは訴えた。これがディオの口から語られる事実。ジョースター卿を殺そうとした理由。なんと哀れなのだろう。これまでともに過ごした七年間がすべて音を立てて崩れていくのを感じた。
「その証に自首するためにもどってきたんだよ、逃亡しようと思えば外国でもどこへでもいけたはずなのに! 罪の償いをしたいんだ!」
追い打ちをかけるようにディオは続ける。真摯に訴えかけるディオにジョナサンも動揺しているようだった。ナマエもディオの言葉に揺れ動く。確かに、ディオの言うことは理に適っている。悔いて償いをしたいというなら、そうしてもらうのが一番いい。
「ジョースターさん気をつけろ。信じるなよ、そいつの言葉を!」
突然の第三者からの横槍に、ディオの目が厳しく細められる。声の主はスピードワゴン。マッチに火を灯して口元を釣り上げていた。スピードワゴンはディオを見据えて、
「甘ちゃんのあんたが好きだからひとつ教えてやるぜ! おれぁ生まれてからずっと暗黒街で生き、いろんな悪党を見てきた。だから悪い人間と、いい人間の区別は「におい」でわかる!」
言い切るとテーブルの上のろうそくをディオに蹴りつけた。蹴った拍子に火は消えたので幸いにして何にも燃え移らなかった。
「こいつはくせえッ! ゲロ以下の匂いがプンプンするぜッ! こんな悪にはであったことがねえ程なァーー!!! 環境で悪人になっただと? ちがうね!! こいつは生まれついての悪だ!! ジョースターさん、早いとこ警察に渡しちまいな!!」
そう捲し立てたスピードワゴンを見るディオの目は焦りを滲ませているようにも見えた。
「こいつの顔に見覚えがあるだろ!!」
スピードワゴンはそう言うと東洋人を突き出した。すると、ディオの顔が驚愕を訴える。
「この東洋人が君に毒薬を売った証言は取ってある」
ジョナサンの言葉を受けて、カーテンが開いて隠れていたジョースター卿と警察たちが一斉に姿をあらわした。
「ディオ、話は全て聞いたよ。残念で……ならない……。君のお父さんは命の恩人……そして君には息子と同じくらい愛情と期待を込めたつもりであったが……」
ジョースター卿の顔は悲しみに暮れていた。見ているナマエの胸が張り裂けんばかりだった。
「寝室へ行って休むよ……息子が捕まるところを見たくない……」
おぼつかぬ足取りでジョースター卿は階段を上ろうとするので、ナマエは駆け寄って肩を貸す。ジョースター卿は微笑みを浮かべて「ありがとう、ナマエ」と言った。胸が苦しかった。
「すでにここまでとりかこまれていたとはな……もうおしまいか」
ディオが目を伏せた。
「あの男、捕まりやせんよ」
東洋人がポツリといった。ジョースター卿の足取りがぴたっと止まった。
「占いでそう出てるんじゃ……耳の三つのホクロだけじゃあなく、顔の相もそうなっているんじゃ。やつは強運のもとの生まれついている」
ジョースター卿が困惑を浮かべた。捕まらない……つまり、ここから脱走できるということだろうか? この包囲網を潜り抜けて? まさか。ナマエも困惑する。だって彼は自首しようとしているじゃないか。
「ジョジョ……逮捕されるよ……だがせめて君の手で手錠をかけてほしい……七年間の付き合いで。わがまま言えばッ、肩を怪我しているんだ、きつくしめないでくれ」
「ジョースターさん、気をつけなせえ」
懇願するようなディオの言葉に、ジョナサンはどうしようか迷っているようだった。そんなジョナサンにスピードワゴンが警戒を促す。
ディオの反撃を警戒するのならば警察に手錠をかけさせるのが恐らく一番安全だが、ディオの言葉を信じたい自分もいた。七年間の付き合い……それはとんでもなく深いわけではなかったが、それほど浅くもなかった。
「わかった……ぼくが手錠をかけよう!」
しかしこのジョナサンの判断は、悲劇の始まりであった。
