「ディィィィイイィィィオオオオォォォオオオオォオォオオ!!!!!!」
ジョナサンさまが怒りのままディオさまの獣の咆哮かのように名を呼び、ディオさまに殴りかかっています。
「君が!! 泣くまで!! 殴るのをやめない!!」
ジョナサンさまがディオさまを殴りながら叫びます。いったい、何が起こっているんですか……?! 喧嘩は、やめてください……!
最後の一撃がディオさまにきれいに決まり、ディオさまは血が吹き出しながら吹き飛びました。その血が、壁に飾ってある亡きジョースター夫人の形見でもある、石仮面にかかり、そしてかかった瞬間、何か触角のようなものが仮面の裏から飛び出て、飾っていた場所から飛び出るように落ちました。
と、石仮面へと向いていた意識は、聞こえてきたディオさまの声によってお二人へと戻ります。
「よくも……よくも……このぼくに向かって!! この汚らしい阿呆が!!」
ディオさまがなんと、涙を流しながら叫びます。
そしてわたしはと言いますと、初めて間近で見た男同士の殴り合いと、血に、ついに身体から力が抜け、するりとトレーが手から離れ、ティーセットを落としてしまいました。どんがらがっしゃん、と無情な音がエントランスに響き渡りました。手はトレーを持っているままのポーズなので滑稽に映っているでしょうが、気にしません。なにせこの時わたしは放心状態でしたので、仕方がないのです。
肩で息をしているジョナサンさま、倒れ込み血を流しているディオさま、ティーセットを落としても気づかないくらい放心状態のわたし。エントランスはまさにカオス状態と言えましょうか。
ディオさまが立ち上がり、反撃に出ようとしたその時です。
「二人とも! 一体何事だ!」
「父さん!!」
ジョースターさまの声です。階段の上から二人を見据えて制するように叫びます。二人はぴたりと動くのをやめました。ジョースターさまは珍しく怒りを浮かべて二人に向けて言葉を発しました。
「男子たるもの喧嘩の一つもするだろう。しかしジョジョ、今のは抵抗もできなくなったディオを一方的に殴っていたように見えた! 紳士のすることではない!!」
「ちっちがう!」
「言いわけ無用! 二人とも部屋に入っとれ! あとで二人とも罰を与える!!」
慌ててジョナサンさまが反論しようとしましたが、ジョースターさまは聞くに値しないと判断したのでしょう。くるりと踵を返し、戻っていかれました。残された二人は暫く睨み合い、そしてディオさまは自室へ戻っていきました。
ジョナサンさまはまるで糸が切れたようにその場に座り込みました。そこでわたしも魔法が解けたように我に返ったので、いそいそとトレーの上に割れてしまったティーセットの破片をかき集めます。
「ナマエ? 大丈夫? 手伝うよ」
ジョナサンさまが事態に気付きいそいそとやってきて、わたしが壊してしまったティーセット欠片を集めだしました。
「ジョナサンさま、大丈夫です! それに、ジョースターさまにお部屋に戻れって……」
「何を言うんだ。ガラスの破片で君の手に傷ができるかもしれない。こんな危ないこと見過ごせないよ」
「う……ありがとうございます」
さすが、紳士を目指すジョナサンさま。自然と紳士の振る舞いをしてくださるジョナサンさまに、こんな時でもわたしは痛いくらい心臓が高鳴ります。
けれどジョナサンさまには、素敵な人がいらっしゃいます。どんなにジョナサンさまにときめいても、ジョナサンさまは他の誰かを好きなわけで。……こんなにも切ない胸の痛みがあるなんて、知りたくなかったです。
「ナマエは雑巾をもってきて床を拭いてよ。破片はぼくが拾っておくから」
欠片を集めようとすると、ジョナサンさまはそれを手で制して言いました。あんな殴り合いの後だというのに、あくまで怪我をさせないように、気を使ってくださるジョナサンさまにまたわたしは、苦しい胸の痛みに襲われました。
「ありがとうございます」
わたしは胸の痛みをこらえて、ジョナサンさまに言われた通りにしました。ただのメイドにこんなにもやさしいのです。エリナさんには、どれほどの優しさをもって接しているのでしょうか。考えるだけで、泣きそうになります。そして同時に、毎度毎度、エリナさんのことを気にかけてしまう自分が嫌で仕方がありませんでした。
無事に無残な姿になったティーセットを片付けますと、ジョナサンさまは自室へ戻られました。
それにしても、どうしてあんなことになったのでしょうか。お二人が喧嘩をしているところを、初めて見ました。それにディオさまのあんな姿も。
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それから、数日後のこと。心が張り裂けそうなほど、痛ましい事件が起こりました。ジョナサンさまがとても可愛がっていた犬のダニーが亡くなりました。焼却炉の中に、木箱にいれられていて、更に口は吠えないように縫われていたそうです。なので、声もだせず焼却炉の中で燃やされてしまい、なんとか焼却炉から出てこれた時には、黒焦げだったとか。
だいすきなダニー。ジョナサンさまのダニー。思い出いっぱいのダニー。わたしはそのことを聞いた瞬間、エントランスの掃除を放り出して、焼却炉に急ごうとしたのですが、それを伝えに来た執事さんに止められました。
「行ってはダメだ、ナマエちゃん! 見てはいけない!」
「離してください! ダニー!! ダニー!!!」
あまりにむごい姿であるため、止めてくださったのです。けれどもわたしはそんなことも考えずに、ひとまずダニーに会いたい一心でした。けれども執事さんの力は強く、わたしはその場から動くことはかないませんでした。ダニーとの思い出が脳裏をかすめて、もどかしい気持ちでいっぱいでした。
そうこうしているうちに、ジョースターさまと、執事長と、それから見慣れない男の方がやってきました。格好から察するに、警察の方でしょうか。お三方の面持は険しく、わたしは二人の表情を見ると、抵抗をやめました。
「……ジョースターさま」
「ナマエ。ダニーのことは聞いたみたいだね。……ナマエもダニーとの思い出は一口には語れまい」
ジョースターさまが瞳に寂寞の念を浮かべて言いました。わたしは様々な感情が込み上げてくるのを感じながらも、結局どれも言語化することはできずに、下唇を噛みしめて小さく頷くのが精一杯でした。
「では、ジョースター卿。これにて失礼します」
「ああ、ありがとう」
そういって見慣れぬ男の方は去っていきました。どなたでしょうか、と執事さんに尋ねますと、彼は警察のものだよ、と説明してくださいました。
「ではナマエも一緒にジョジョを待とう」
そういってジョースターさまはソファに腰かけました。そうです。まだジョナサンさまはまだ学校から戻られていません。これからジョナサンさまがこのことを知ると思うと、胸に鉛が落ちてきたように重く沈んでいきます。執事長も浮かない顔のまま、ジョースターさまと向き合うように数メートル離れたソファに座ります。わたしはお茶を用意して、再びエントランスに戻り、各々にお茶をお出ししました。
それからわたしも執事長の隣に座り、ジョナサンさまを待つことにしました。非常に重苦しい雰囲気でした。途中、ジョースターさまが執事長に対して、君のせいではない、と慰めていることから、火をかけたのは執事長であることがわかりました。木箱に入れられて、物音も聞こえなかったのだから、仕方のないことだとわたしも思います。
それからジョースターさまは事情を把握していないわたしに、物取りの仕業ではないかと説明してくださいました。番犬でもあったダニーの存在が邪魔で、殺したのでは、と。
ジョナサンさまはたいそうショックを受けるでしょう。わたしもこんなにも辛いのですから、本当に兄弟のように育ったジョナサンさまは……筆舌に尽くしがたい悲しみでしょう。
学校が終わりジョナサンさまとディオさまが帰ってくる時間になり、時計と扉とを交互に見ては、そわそわと落ち着きのない時間を過ごしました。寄り道せずにまっすぐ帰ってくる時間を少し過ぎた頃に、扉があきました。
「ただいま……」
ジョナサンさまがご帰宅されました。反射的にみな立ち上がり、ジョナサンさまを迎えました。どこか浮かない顔をしたジョナサンさまは、エントランスにお父様を始め沢山の人が集まっていることに、ただ事ではない様子を察知して顔を強張らせました。
それからジョースターさまがダニーの死と、その経緯を知らせました。ジョナサンさまは驚いたような顔をしたまま何も言葉を発しません。そのまま裏庭に行き、ダニーを埋めたのであろう、簡易の木製の十字架の立った場所へやってきました。
「あまりにひどい亡骸だったから、お前には見せずに埋葬したよ……あとでちゃんとした墓標を立ててやろう。」
ジョースターさまが何も言えないでいるジョナサンさまの肩に、慰めるように手を置きました。
「……ディオ」
「ディオさん? ディオさんならまだ帰っておられませんよ」
ジョナサンさまがポツリとつぶやいた言葉に、執事長がそう答えます。
「……部屋に、戻ります」
「ああ……ゆっくり休みなさい」
力ない足取りでジョナサンさまが自室へ戻られました。その流れで他のみなさんもこの場から立ち去りました。
「ナマエちゃん?」
「もう少しここにいます」
その場に留まったわたしにそれ以上は何も言わずに執事長が立ち去りました。一人になったこの場所で、改めて十字架を見ます。この下にダニーが埋まっているんだ、そう思うと鼻の奥がツンとなり、涙が溢れ出てきました。急にダニーが死んでしまった現実がわたしを襲ってきて、わたしは恥などを捨てて泣き崩れました。
「ダニーが何をしたのですか……! ダニー、ダニー、ダニー………っ!!!!」
どうしてこんなことになったんですか。
