17.ひまわりは月を見るか

 ジョナサンさまとも、ディオさまとも(一方的に)気まずいまま一日が過ぎました。その日の夜、眠りにつく前にわたしは慈愛の女神様にこう誓いました。明日こそは、何事もなかったかのように、いつものナマエに戻ります、と。
 それにしても今日は本当はジョナサンさまのことしか考えていなかった気がします。苦しくて、切なくて。朝から目に見えて上機嫌な様子で家を出ていったジョナサンさまの姿を見かけたときは、もう涙があふれ出そうでした。
 でも、いくらわたしが悩んでも、無意味なのだと気が付きました。だって、ジョナサンさまがエリナさんのことを好きなのは変わらない事実ですし、わたしがジョナサンさまのメイドであることも事実です。どうしようもないことだって、あるのです。わたしがどう足掻いたって、ジョナサンさまが振り向くことはないでしょう。だったらもう、今は無理やりにでも、ジョナサンさまのことをあきらめる努力をするべきなのです。そのためのファーストステップは、くよくよと悩まないこと。ジョナサンさまのことを考えないようにすること。これにつきます。とはいえ、これは単純なようでとても難しいことだとは思います。でも、やるしか、ないですよね。

+++

「おかえりなさいませ、ディオさま」
「ナマエ、ただいま」

 あのとき以来“あの時のディオさま”を垣間見ません。今帰ってきて、ただいま。といったディオさまはわたしがよく知るディオさまです。キス……の話題も、昨日の朝に、あれはキスではないと言われたっきりです。
 ディオさまはそのまま自室へと向かわれるかと思いきや、立ち止まりました。

「今日はエントランスで読書でもしようかな。なあナマエ、君の紅茶が飲みたい。淹れてくれないか?」
「わ、わたしですか? もしよければ紅茶を淹れるのが上手なメイドにお願いしますが」

 やっぱりどうしても気まずいわたしは堪らず提案しますが、ディオさまはわたしをじっと見つめます。

「ぼくは、ナマエに淹れてもらった紅茶が飲みたいんだ」

 提案は却下されたようでした。目の前のディオさまは、いつものディオさまです。にこっときれいにその赤い瞳を細めて微笑むその表情も。

「……それでは、ティーセットをお持ちします。少々お待ちくださいませ」
「あ、まてナマエ」
「? はい」

 キッチンへ歩き始めたとき、ディオさまに呼び止められました。

「ちょっとこっちへきてくれないか」

 反射的に身構えてしまいます。だって、あんなことがあったあとですから……。そんなわたしの抵抗感に気付いたのか、ディオさまは苦笑いを浮かべました。

「大丈夫、君が嫌がることはしない」
「も、申し訳ございません」

 自意識過剰にもほどがあります。意識しないようにしていても、意識してしまうものですね。羞恥の念を抱きながらもいそいそとディオさまのもとへ急ぎます。ディオさまはわたしの背中にまわり、わたしの髪を結んでいるリボンをいじっているのを感じます。なんだか少し、ドキドキします。男の人にこんな近くで、触れられてるって。ましてわたしのファーストキスの相手。……心臓が、きゅうう、っとなります。

「……よし。少しいびつな形をしていたから直させてもらったぜ。呼び止めて悪かった」
「あ、りがとうございます」
「ここで待っている」
「はい。少々お待ちくださいませ」

 小走りにキッチンに向かい、ディオさまから見えないところに入り込むと、ディオさまに直してもらったリボンに触れ、感触を確かめます。

(ディオさまが、触れていたところ。……って、何を考えてるんですかわたしは)

 苦笑いしながら再びキッチンへ向かいました。

(あれ……そういえば、どさくさに紛れて)

『なぜだ、なぜぼくではだめなのだ!』

 と、あの晩、キスをされた後に言われたことを思い出しました。これまで気にも留めてなかったですが、何度かディオさまにそういったことを言われたことがあるような気がします。

(もしかして、ディオさま、わたしのことが……)

 ぴたり、足取りが止まります。

(―――ないない! ありえないです!! どれだけわたしは自意識過剰なのでしょう!! 笑っちゃいます)

 自分の発想に思わず笑ってしまいました。この発想はディオさまに土下座レベルですね。再び足を動かし、キッチンにやってきました。
 お湯を沸かして紅茶を淹れ、ティーセットをもってエントランスに戻りますと、目を疑う光景がひろがっていました。
 い、一体何が、起こっているんですか………?!