16.夜空のセレナーデ

 横に並んで、夜のミントスの町を4主が案内する形でゆったりとした足取りで歩いていく。きっと4主はナマエの歩調に合わせてくれているのだろうけど、それを感じさせないくらい自然な振る舞いだった。
 ミントスは小さな町で、泊まっている宿屋の他、武器屋や防具屋などのお店と、町の中央に青空教室があり、夜は勿論誰もいなかった。教壇と椅子が月明かりに照らされていて、そこに二人並んで座ってみたりして散策を楽しんでいた。
 教会の周りを囲うように池があり、その水辺に吸い寄せられるように歩みを進めていた。水面は月明かりが反射して揺らめいている。それに眺めるように池に沿って歩いていると、ふと4主が口を開いた。

「そういえばナマエは、クリフトと付き合ってるの?」

 突然の発言に、ナマエは思わず足を止めて、静かなミントスの町に不釣り合いな悲鳴のような声を上げて、慌てて口を噤む。

「つ、付き合ってませんよ。ただの幼馴染です。生まれたときからずっと一緒みたいな感じですから」

 サントハイムでもそういった扱いを受けたことも多々あるが、久々にど直球でそのようなことを聞かれたもので驚いた。しかしすぐに落ち着きを取り戻して言う。ただの幼馴染で、それ以上でも以下でもない。

「そうなんだ。……俺にも幼馴染がいたよ。シンシアっていうエルフの女の子なんだけど……すごい、いい子だったんだ」

 “だった”。つまり、過去のこと。遠い昔を思い出すように目を細めて夜空を見上げる4主の横顔があまりに悲しそうで、胸が痛んだ。ブライが、勇者の住む村がデスピサロによって滅ぼされた、と言っていた。だからつまり、そのシンシアという幼馴染の女の子は、亡くなってしまったのだろう。

「死んじゃったんだけど、ね」

 ナマエの思ったとおりだった。けれどやっぱり彼の顔には笑顔が張り付いていて、無理しているのだと気づいた。彼は、必死に自分を守っているのだ。強がって、頑張って、自分を保っていようと必死なのだ。そうしなければならない立場だから。……勇者と言う立場だから。
 クリフトがもしも亡くなってしまったら――その問いは、少し前まで常に頭の中にこびりついていたものだ。そしてそれは生きていけないほどの絶望だ。もし同じような気持ちを彼が抱いていたとしたら……勇者なんて放り出して、シンシアのことをただ一人、誰にも邪魔されずに想っていたいのかもしれない。

「……4主」
「ん?」

 4主は目を丸くして首をかしげる。

「すごい悲しそうな笑顔をしますね」
「そう、かな?」

 自覚がなかったらしく、心底不思議そうな顔をした。

「そんなに頑張らなくてもいいんですよ。弱さを出してくれていいんですよ。わたしたち、仲間じゃないですか」

 4主の顔が驚きに染まった。仲間だなんて言われて、つい数時間前に初めて出会った人から言われても、お前に何が分かるのだと言われてしまうかもしれない。と悔いた。

「ナマエ……」
「あの、でしゃばった事をすみま、せ……!?」

 素直に謝ろうとしたそのとき、きつく抱きしめられた。嗅ぎ慣れない匂いが鼻腔をくすぐり、これが、4主の匂いなのだと思うと瞬時に身体が熱くなって、心臓がどきどきと高鳴る。突然の事に何も出来ずに呆然としていると、震えを感じた。自分が震えているのではない。だとしたら、大地が揺れているか、それとも、

「うっ……ふっ………」

 4主が、泣いていた。震えているのは他でもない、4主だった。ナマエを抱きしめながら、泣いているのだ。ぐす、という鼻をすする音が耳に届く。ナマエは手を、おそるおそる背中に回して、一定のリズムでやさしく叩いた。

「おれ、は……世界、を、救う、勇者、なの、に……!」
「はい」
「自分、が、生まれ育った……村………すら、救え、なかった!!」

 まだよく知らない同士だからこそ、すらすらと自分のことを喋れることがある。それにもしかしたら、ナマエが4主の前で大泣きしたこともあるかもしれない。今となっては恥ずかしい限りのあの大号泣を思い出しつつ、ナマエは相槌を打つ。

「……はい」
「俺は、俺は……! 俺がなんで、生きてるんだッ! 俺のために、皆ッ! 死んでしまって! 勇者なんかじゃない――――」

 一度決壊した感情は、止めどなく溢れて、彼自身を飲み込んでいく。彼が自分の存在理由すら否定するのがとても悲しかった。ナマエは4主に何を伝えられるのだろう。ナマエは、クリフトを喪いかけた。どんどんと消えていく命の灯を見ながら、絶望の深淵へとどんどんと沈み込んでいった。きっと今、彼はその深淵に呑み込まれているのだろう。そこは底が見えないほど深くて、凍ってしまうほど冷たくて、何も見えないくらいの暗闇だ。きっと彼をそこから引き揚げることは、今のナマエにはできない。けれど―――

「4主。世界を救いましょう。失ったものは取り返せないかもしれない……でも、二度と同じような思いを誰かにさせないためにも、デスピサロを倒しましょう。命をかけて守ってくれた村の人たちも、4主が世界を救うことを何より望んでいるはずです、きっと。少なくともわたしは、4主が生きていて、出会えて、よかったです、よ」

 どうか伝わるように、祈るようにと、今のナマエにかけられる言葉を集めて語りかけていく。そしてそれは4主の身体に、心にじんわりと沁みていく。そうしてゆっくりと4主は落ち着きを取り戻していく。
 なぜ世界を救わなくてはいけないんだ、なぜ俺なんだ。心にポッカリと穿たれた穴はまだすべてが埋まった訳では無い。けれども少しだけ、埋まっていくのを感じた。

「ナマエ……ありがとう」
「いいえ。わたしたち、仲間ですから助け合って行きましょうね。悩みならなんでも聞きますからね」

 4主はナマエから離れ、微笑んだ。

「ありがとう。ナマエ……。じゃあ、散歩、再開しよっか」
「はい」

 そうして二人は再び歩き出した。その間、4主がナマエの手を取ろうとしたが、結局直前でやめたことを、ナマエは知らない。