16.しあわせの裏の

 仕事をしていてもジョナサンさまのことばかりを考えてしまいます。いってしまえばディオさまの言っていたことなんてわたしにとってはジョナサンさまの次なのです。どうでもいいわけではないのですが、二番目なんです。ですので先ほど言われた言葉の咀嚼なんて、あっという間に奥へ追いやってしまいました。
 わたしはジョナサンさまに気持ちを伝えたほうがいいのでしょうか。そのほうがすっきりするのでしょうか。ちゃんとフラれたほうが、次へ進めるのかもしれません。
 しかし、気持ちを伝えることは自己満足な気もします。すっきりするのはわたしだけで、どう考えてもジョナサンさまを困らせてしまいますし、今後気まずい思いをさせてしまうでしょうし、ジョナサンさまを裏切ることになってしまいます。そんな感情を抱きながらジョナサンさまに仕えていたと知れば、気味悪く思うでしょうか。
 ……ですので、やっぱり気持ちを伝えるのは得策ではないのです。
 ではわたしはどうすればいいのでしょうか。これから、この気持ちは消えるまで、ずっと、ずっと、苦しみながら生きていくしかないのでしょうか。幸せそうなジョナサンさまのそばで、ずっと。

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 ぼくの悪いところは、すぐにカッとなってしまうところだ。感情のままに行動してしまうことは、実に良くないことだ。その至りで、不本意ではあるが、ナマエにキスをしてしまった。断わっておくが、そんなつもりは全くなかった。ぼくがナマエにキス? ありえない。意味のないことだ。白状すれば、馬鹿みたいにジョナサンばかり見ているあいつに腹が立ったのだ。あんなにきっぱり、否定されると腹が立つってものだろう。それでカッとなって、気が付いたら。

『ひどいです……っ』

 あの時のナマエのひどく傷ついた顔が頭から離れない。そんな顔にさせたかったわけじゃあない。……ぼくは何をしたかったんだろう。正直言えば何がしたかったわけでもない。けれど、あいつのことを傷つけるつもりだけはなかった。本当だ。
 ―――だから、ぼくは昨日のそれをキスと認めないことにした。唇と唇が触れただけ、だ。彼女は純潔なままだ。ぼくとしても不本意だ、ナマエとキスをしたなんて。
 それにしても、紳士の仮面をかぶっていたのに、昨日のその一件ではずれてしまった。ナマエはどう思っただろうか。あいつを手に入れることは難しくなったな。良い機会だったのだがな、ジョナサンに好きな女ができ、傷ついたところを優しくし続ければいずれはぼくのことを求めていただろう。
 ……まあいい、所詮暇つぶしがなくなってしまっただけのこと。新たに暇つぶしを探せばいい。別にナマエでなくてはいけないわけじゃあないんだ。ぼくに寄ってくる女なんていくらでもいるのだからな。自分の顔が、整っている部類であることは理解している。

「ディオくん、おはよう」
「やあおはよう」

 ぼくと挨拶を交わしたくらいで、きゃあきゃあはしゃぐ女ども。……煩わしい。こいつらでは暇つぶしにもならないな。簡単に落ちてつまらないだろう。
 放課後になり、帰路についていると先に教室を出ていたジョナサンが川辺で女と、そしてダニーと遊んでいるのを見かけた。その様子を大木のそばから見守る。あれがジョナサンが好きになった女か。金髪で見るからに育ちの良さそうな女だ。

「あれは、ジョジョじゃないか。ジョジョが女といるなんて」

 ぼくの取り巻きの一人が言う。

「……ほう」

 呟きを落として木に手を添えれば、不自然なざらつきを感じて目をやる。するとそこには“JOJO ERINA”という文字が彫られていて、その文字を囲うようにハートが彫られていた。あの女の名前、エリナというのか。
 暫くその様子を見ていれば、二人は帰り支度を始める。彼らがぼくらに気づく様子はない。

「女がこっちにきたぜ」

 ジョジョとエリナは反対の方向へと帰っていき、エリナはぼくたちの方へと歩いてくる。その表情はいかにも幸せですといったような表情で、ぼくの神経を逆なでする。

「やあ、君、エリナって名なのかい?」

 ぼくはエリナの前に立ちはだかった。美人に分類されるであろうエリナの眉根が寄せられる。こいつも金持ちの甘ちゃんだろう。裕福な家庭に生まれ、何不自由なく育ったようなにおいがする。そして、ナマエより美人だ。残念だったな、ナマエ。
 怪訝そうなエリナにぼくは言葉を重ねる。

「ジョジョとずいぶん仲がよさそうだね」

 ぼくたちの様子に、本能的に危機感を抱いたのか、エリナはくるりと踵を返し、この場から逃げ出そうとした。もしかしたらジョナサンに助けを求めようとしたのかもしれない。が、それをぼくは許さず、エリナの手首を掴み、無理やりこちらを向かせると、ぼくはエリナに無理やりキスをした。
 瞬間、脳裏に昨夜ナマエにキスをした光景がよぎった。やめろ、出てくるんじゃあない、ナマエ。

「き、決まった!!」

 取り巻きの歓声が聞こえる。エリナは一瞬呆けたが、すぐに猛抵抗をする。

「さすがディオ! 俺たちにできないことをやってのける! そこにしびれる憧れるゥゥ!!」

 再び湧き上がる歓声を聞き流しつつ、ぼくはエリナの拘束を解く。すると抵抗していた彼女は勢い余り地面に倒れこんで泥水に思い切り倒れこんだ。
 泥まみれになったエリナは上体を起こし、そこに追い打ちをかけるように言葉を浴びせた。

「君、ジョジョともうキスはしたのかい? まだだよなあ。初めての相手はジョジョではない。このディオだ!」

 手段は問題ではない。キスをしたという結果があればいい。これでジョジョとの仲も終わりだろう。この女が親からレディの教育を受けていたならなおさらだ。とてもではないがジョジョの前に現れることはできまい。そうなればジョジョには更なる孤独が待ち受けているだろう。
 ところが、この女はあろうことか、涙を流しながら泥水を掬ってそれを口を塗り始めたのだ。

「こっ、この女!! 泥で洗ってやがる。近くに川もあるってのに……」

 瞬間、ぼくはこの女の行動を理解した。

「!! この女、わざとドロで洗って自分の意思を示すか!!」

 ぼくとのキスよりも、泥水のほうがきれいだ、と!! かっとなり、ぼくはエリナに平手打ちをした。そこではっとした。このぼくが、女ごときに……。

「ッもういい!!」

 ぼくは苛立ち、その場から立ち去った。