12.月を見るひまわり

「これは驚いた」

 突然の深夜の来訪者。誰かと思えばナマエだった。なんだってそんなに暗い顔をしているのだろうか。

「こんばんは……」

 ナマエは暗い顔をそのままに挨拶をした。

「どうしたんだ? まあ、とりあえず入って」

 招き入れると、ナマエは暗い顔のまま俺の部屋へ入ってきた。ぼくはナマエに対して苛立っていたのだが、ちらっと彼女の髪を結う赤いリボンが見えて、なんだかどうでもよくなった。
 このディオを恋愛の対象としてみていないといわれたのだぞ、苛々するに決まっている。メイドの分際でこのディオに特別な扱いを受け、よくもそんなことがいえたものだ。ああ、やはり苛々してきた……!

「ディオさま、こんな夜遅くにすみません」

 いつものようにテーブルを挟んで座ったのだが、ナマエは俯いたままぽつりと謝った。

「いいや、いいよ。読書もひと段落していたからね」
「そうですか。……あのですね、お尋ねしたのには理由がございまして」
「ああ、そうだろうね。なんだい? ぼくで良ければ聞くぜ」

 どうせジョジョのことだろうなあ。ああ、なんだってぼくがナマエの悩みを聞かなくちゃあいけないんだ。

「実はジョナサンさまに、女の子の話を嬉しそうにされまして……」

 !!! なんだと? ジョジョのやつ、ナマエに女の話をしたっていうのか? はっ! あいつ、とんだ阿呆だな。先ほどまでの苛々が一気に消えた。これは面白くなってきた。

「明日もまた会おうと、言ったそうで……うっ、ふ……っ!」

 な、な、なんだ! 泣くんじゃあない!! ど、どうすればいいのだ!

「な、ナマエ、落ち着け」

 ハンカチはどこだ、ああ、あった。クローゼットにしまってあったハンカチをナマエに渡すと、ナマエは涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃになった顔で礼を言い、無造作にそれらをふき取った。お世辞にもかわいいとは言えない様相であった。ぼくはナマエのそばにひざまずくと、そっとナマエの手を取る。
 これはチャンスではないだろうか?

「ナマエ、つらいんだろう?」

 ナマエが無言で頷く。

「そして、ぼくを頼ってここまでやってきてくれた」

 また頷く。

「ぼくはそのことがうれしい。ぼくにできることはたかが知れているかもしれないが、こうやって涙を拭うことくらいはできる」

 そういってぼくはナマエの目じりに指を這わせて、涙を掬って舐める。生暖かくて、塩辛い涙の味。ナマエがその様子を見て、目を見開いた。

「いつでもきてくれていい」

 立ち上がり、ナマエの髪を結わうリボンに触れ、そして、ぽん、と頭に手を置いた。

「うっ、ディ……ディオさまああぁあぁああ!!」
「世話が焼けるな」

 うん、やはり少しずつぼくに傾き始めているのかもしれないな。

+++

 昨夜は深夜にも関わらずお邪魔する愚行も去ることながら、ディオさまにみっともない姿を見せてしまいました。恥ずかしい……! 傷心のままディオさまにお話を聞いてもらいたくて、ディオさまのお部屋をお尋ねしたのですが、お顔を見たらなんだか気が緩んで大泣きしてしまいました。ディオさまと会うのがなんだか気まずいです。
 それよりも気まずいのは、ジョナサンさま。その女の子は、今日やってくるのでしょうか。朝食をテーブルに運びながら、もやもやしていますと、

「おはようナマエ」
「あっ、おはようございます、ジョナサンさま」

 噂をすればジョナサンさまです。ドキドキじゃなくて、ズキズキします。なんてことでしょう、恋とは、片思いとは辛いものですね。挨拶だけ交わして、すぐに仕事を再開します。これ以上辛くなりたくないので、何も会話を交わしたくありません。

「ナマエ」

 わあ、今度はディオさまです。朝食を食べに来るので当たり前といえば当たり前なのですが、続け様に気まずい人と会って、若干驚きます。

「おはようございます、ディオさま」
「おはよう。……少しはすっきりした?」
「あ、はい。本当に昨夜はお邪魔しました」

 深々と頭を下げます。「顔を上げて」と言われましたので言われたとおりに顔をあげると、ディオさまはわたしの肩に手を置きました。

「いいんだよ、これからもぼくのことを頼れよ」
「ふふ、ありがとうございます」

 ディオさまの優しさが嬉しくて、わたしはいつの間にか微笑んでいました。

「おはようディオ、ナマエ、そしてジョナサン」

 最後にやってきたジョースターさまがダイニングルームにやってくるなり、にこやかに挨拶をなされました。わたしはジョースターさまが大好きです。こんなにも深い愛を持っているひと、ほかにいないと思うのです。優しさと厳しさを両方持った、そんな紳士。ジョースターさまはわたしたちに目を留めると、ほんの少し目を見開かれました。

「ディオ、ナマエと仲良くなったのだな」
「はい。ナマエとは年も近くて、優しい子なので、ナマエと仲良くなれてうれしいです」
「そ、そんなディオさま……! 恐れ多いことです」
「うんうん、いいことだ」

 ジョースターさまに微笑まれて、わたしは昨夜から続く燻りが晴れていくような心地になりました。

++++

 とは言え、今日、ジョナサンさまが来るかどうかわからない女の子を待っているという事実は変わりません。ほとんど生きた心地のしない一日を過ごしました。終始時計を気にしながら仕事をこなしていた気がします。ジョナサンさまのもとに、彼女はやってくるのでしょうか。時折、泣きたくなるような衝動に駆られながら、なんとか気にしないように過ごしていましたが、気にしないように努めている時点でもう気にしているわけで。とにかく、心ここに在らず、とでもいえましょう。
 いつもジョナサンさまが帰ってくる時間になりますと、すぐにジョナサンさまに気付けるように、お庭の草むしりを始めました。雑草を抜いては、顔をあげ人影を確認し、誰もいないと再び雑草を抜いて。たまに遠くで座り込んでいるダニーを見てみたり。
 しかしそわそわと逸る気持ちとは裏腹に、ジョナサンさまはなかなか帰ってきませんでした。帰ってこないというのは、つまり女の子と会っているということなのでしょうか。それともジョナサンさまが待ち続けているだけなのでしょうか。
 ―――そして暫く経ち、人影が見えました。しかし、待っていた人ではありませんでした。金糸のような綺麗な髪が遠くからでもわかります。ディオさまでした。美しい赤い瞳がわたしを捉えました。

「おかえりなさいませ、ディオさま」

 ディオさまのそばに駆け寄ります。

「ただいま。ジョナサンを待っているのだな?」
「あ……はい」

 一瞬逡巡しましたが、変な取り繕いが通じる相手とも思えません。失礼かと思いましたが、素直に首肯しました。言い当てられて少し恥ずかしい思いになります。

「ならぼくも一緒に待つ」
「ええ! そんな、いいですよ」

 まさかの提案にわたしは慌てて頭を振ります。

「なんだ、ぼくとは一緒に待てないというのか?」
「そういうわけではないです! なんていうか、わたしの私情に巻き込むのが申し訳ないというか……」
「そういった遠慮はいらない。それに、ぼくがいなくて、誰がナマエの涙を拭うというのだ?」

 にやり、ディオさまが微笑まれました。昨夜、ディオさまの前で大泣きしたことが思い返されて羞恥心がちくちくとわたしを苛みます。と、同時に思い出したことがあります。

「あっっ! あのときのハンカチ、今日の洗濯物と一緒に置いてあります。ありがとうございました」
「わかった。鼻水はちゃあんととれたかい?」
「はい、とれました……」

 うう、顔が熱いです。