三谷からもらった詰碁集をカバンにしまうと、二人は本屋を出た。再び三谷は目的地を告げずにすたすたと歩き始める。
例によって名前は三谷に当然の疑問を投げかける。
「次はどこ行くの?」
「ついてくれば分かるさ」
「今日はミステリーツアーなんだね」
「そういうこと」
三谷祐輝プレゼンツ、ミステリーツアー。なかなか面白い日曜日になりそうだ。
そしてやってきたのは、インターネットカフェだった。ガラス張りのおしゃれな建物で、初めて入る場所だが、大人の人がいっぱいパソコンに向かっていて、なんだか場違いな気がしてドキドキする。そしてそんな場所に物怖じせず堂々と入っていく三谷がちょっぴり頼もしく見える。さすが碁会所でオジサンたち相手に囲碁をやっているだけある。気持ち三谷の近くに寄りながら、一緒に進んでいく。
やがて受付にやってきて、そこで名前はハッとする。
「あれ、祐輝に名前ちゃんじゃない!」
受付の女性は三谷と同じ明るい橙色の髪をポニーテールにした美人な女性。彼女は三谷のお姉さんだ。久々にお会いしたが、相変わらず明るくて美人で、顔立ちが弟の祐輝と似ている。
「祐輝のお姉ちゃん! お久しぶりです! 今日も可愛い……!」
「もう、ほんとに名前ちゃんって可愛い! 祐輝、絶対離しちゃだめよ」
「う、うるせぇぞ姉貴!」
「ふふふ、おいで二人とも」
ポニーテールを楽しそうに揺らしながら、三谷のお姉さんは窓際の席を案内してくれた。程なくしてジュースまで運んできてくれて、「ごゆっくりね。あ、17時までだから!」と言い残して立ち去って行った。インターネットカフェは一体いくらかかるのだろうか、手持ちのお金で足りるのだろうか。段々と不安が募ってきた。
「ねえ、お金、わたしそんなにもってきてないよ……?」
「大丈夫だよ。姉貴がいればタダだから」
言いながら三谷はパソコンの電源ボタンを押して、立ち上げる。
「そ、そうなの? 祐輝のお姉ちゃんが払ってくれてるの……?」
「いや、姉貴がタダにしてくれるんだよ。従業員の特権てやつだな」
「なんだか申し訳ないなあ……」
「いいんだよ。姉貴が連れて来いって言ってたんだから。前に、姉貴が会いたがってたって言ったろ」
「言ってた。そうなんだ。嬉しい」
ちょっぴり申し訳ない気もするが、安心した名前はキョロキョロと初めて来たインターネットカフェを見渡す。名前たちがいる窓際には、窓に沿うようにたくさんのパソコンが置いてあって、その前に椅子が置いてある。個別にテーブルも置いてあり、そこにもパソコンが置いてある。パソコンの前ではいろんな人が座って、ある人はキーボードを叩き、ある人はマウスを動かしている。
「初めて来たけど、インターネットカフェってなんか大人の場所だね……」
「そうか? まあ確かに大人の方が比率は高いか」
「祐輝もたまに来るの?」
「いや。実はオレも初めて来た」
「そうなの? なんかすごい堂々としてたけど、ハッタリだったのね」
「オイ、ハッタリっていうな」
それから三谷がインターネットで何やら打ち込むと、最近よく見るものがパソコンに出てきた。
「これ、碁に似てるね」
「似てるっつーか、碁だぜ」
「やっぱり? インターネットでも碁できるんだね」
「そ。これだったら世界中どこの人とでもできるんだ」
「すごい……」
こんな小さな箱の中で囲碁を打つことが出来て、さらに世界中の人と繋がれるなんて、佐為が聞いたら悲鳴上げて卒倒してしまうのではないか。なんて想像したら、自然と笑みが零れてきた。三谷が不審そうに名前を見やる。
「何笑ってんだ」
「な、なんでもない」
「ふうん」
深い詮索はされず、三谷はそのままパソコンの操作を続ける。すると、対局が始まっていた。
「まぁ見てろよ」
三谷はマウスを操作しながら、パソコン上にある碁盤を模した線の交わりをクリックして、黒い碁石を打ち込む。それを名前は傍らで見守る。相変わらずさっぱりだが、三谷が真剣に碁を打ち込む姿はなんだか新鮮だ。
「ココ、ほら―――ッな!!」
碁ではなく三谷の横顔を見ていたら、不意に三谷が画面を指さしながら名前を見て、視線が交わる。三谷の目が猫みたいにまん丸になって、耳が朱色に染まる。
まずい、何よそ見してるんだ真剣に碁を見ろ! って怒られる! と名前は慌てる。
「あ、ごごめん、見てなかった……!」
「な、んだよ、碁に集中しろっつうの」
「はい、すみません」
さっと視線がパソコンの画面に戻されて、三谷はネット碁を続ける。よかった、怒られなかった。今度こそ名前はパソコンの画面に集中する。
たまに、三谷が解説をしてくれるのに耳を傾け、対局の流れを掴んでいく。三谷がどんな意図でそこに石を置いたか、相手がどう考えて石を置いたか、とても勉強になる時間だった。
勝ったり負けたりを繰り返していると、あっという間に17時になり、ちょいちょいと三谷のお姉さんに肩を叩かれて、やっと時間に気づいた。
「お楽しみのところ申し訳ないんだけど、もう私あがるのよ。だから帰るわよ」
「もうそんな時間なんですね。すみません、長い時間いちゃいました」
「いいのよ、私がいる間ならいつでもきてちょうだい!」
三谷がパソコンをシャットダウンし、三人でインターネットカフェを出る。入る時は明るかったのに、もう日が暮れ始めている。楽しかった日曜日が終わっていく。
「お姉ちゃんは邪魔しちゃ悪いから、先に帰るね。じゃあね名前ちゃん! また遊び来てね」
「じゃーな」
「え、え……!? でも帰り道一緒だよね?」
三谷のお姉さんの後姿と三谷とを見比べる。
「いいんだよ。てか牛乳買うんだっけ?」
「あ、そうだった」
「忘れんなよ」
「コンビニかスーパー寄っていい?」
「じゃあスーパー行くぞ。スーパーの方が安いからな」
三谷の意外な経済観念の高さに名前は面食らう。
「祐輝って意外としっかりしてるのね。良い旦那さんになりそう」
「ッるっせーな! いいからいくぞ」
ささっと歩き出した三谷の後ろを、笑いを堪えながらついていく。帰り道の途中にあるスーパーに入り、三谷と商品を見ながら牛乳コーナーを目指す。家族とくらいしかスーパーには行かないから、三谷と一緒にスーパーにいて、商品を見ていることがなんだか新鮮だった。
牛乳コーナーにやってきて一番安いものを適当に手に取ると、三谷の手が名前の腕を掴み、ストップが入る。
「いや待て待て、これ乳飲料だし」
「にゅういんりょう?」
「マジかよ」
三谷は名前の手に取ったものを取り、しげしげと見つめると、「見てみ」と指さす。それを見れば、確かに『乳飲料』と言う文字。
「乳飲料と牛乳は違うんだぜ。牛乳はこっち」
別のゾーンからとってきたパックを見せられると、確かにそこには『牛乳』の文字があった。もう色々なことに感心してしまう。
「わたし、祐輝のことは結構知ってるつもりだったけど、まだまだ知らないことがいっぱいだったみたい」
「はあ? 牛乳のことじゃなくて?」
「祐輝のことだよ! 祐輝がこんなに家庭的でいろんなこと知ってるなんてわたし凄く驚いてる」
「べ、別に家庭的とかじゃねえわ! バカ名前」
三谷が身長のことを気にしているなんてことは、名前には及び知らない話だ。
「で、どっち買うんだよ」
「牛乳!」
「ん、ほら」
牛乳を渡されて、名前たちはレジへと向かった。
会計を済ませてスーパーを出ると、「ん」と言いながら手のひらを見せられる。名前は首を傾げる。
「持つよ」
「え、これくらい持てるよ」
「いーから」
問答無用で三谷からスーパーの袋を引っ手繰られた。そして歩き出す。女の子扱いされて、嬉しいやら恥ずかしいやら、なんだか胸がくすぐったい。
少し進んで、三谷が振り返る。
「置いてくぞ」
「待ってよ祐輝」
三谷は誤解されやすいけれど、本当に優しい。彼の優しさを、みんなに知ってほしい気もするけど、自分だけが知っていたい気もするのだ。
