ディオがやってきてから、ぼくの生活は一変した。それまで自分の暮らしが、特別とても幸せだ! と感じる機会はなかったが(勿論、恵まれているとは思っているよ)、失ってから気づくものというのがあるらしい。それまでのぼくの暮らしは、明らかに幸せであった。
ディオの紳士としての振る舞いは、ぼくから見ても完璧で、そんなディオとぼくを比べて、父さんは思うことがあったらしく父さんの紳士指導はより一層厳しくなった。特に、ディオにできてぼくにできないことがあれば、
『今までジョジョのことを甘やかしていた!』
と、口癖のように言っては怒られるようになった。繰り返して言うが、確かに彼は完璧だった。頭もよければ紳士の振る舞いも完璧だ。彼がどんな人間であろうと、それは認めざるを得ない真実だ。
「ジョナサンさま、紅茶でございます」
落ち込んでいるときに、ナマエの顔を見るとホッとする。彼女は、図形で表すならば丸だ。角がどこにもなくて、安心して触れるというか、そういう気がする。
彼女とは生まれた時からずっと一緒にいるからか、それともぼくのすべて受け入れてくれるような気がするからか、つい弱音を吐いてしまいそうになる。
「……ありがとう、ナマエ」
けれどディオのことを喋ったあの時から、ぼくは少しそのことに対して引け目を感じている。一時の感情でディオに対する愚痴を言ってしまったことは、明らかに紳士のすることではないし、ナマエのディオに対して抱くイメージに薄暗い一点を残してしまったことには違いない。
だからぼくは、ぼくの心の中にしまっておけるものは、しまえるだけしまっておこう。そう決めた。
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「ジョナサンさま、ジョースターさまに今晩のご飯を取り上げられたしいわよ」
館の戸締りをしているときでした。わたしよりも年上のメイドさんがそういいました。
「ええ!? 本当ですか!? な、なぜ?」
「さあ……詳しくは知らないけれど」
なんてことでしょう! ジョナサンさまは、今お腹をすかせてお部屋にいるに違いないです。
戸締りを終えると、わたしは断りを入れて、キッチンの残っているものでサンドウィッチを作らせてもらいました。それをお皿に乗せて、こっそりジョナサンさまのお部屋に参りました。ノックをして「ナマエです」と名乗れば、慌てたように「ど、どうぞ!」という声が聞こえてきたので、わたしはドアを少し開けて身を滑り込ませました。ジョナサンさまは明らかに動揺していました。
「ナマエ、ど、どうかしたのかい?」
「あ、わたし、えっと、ジョナサンさまがお腹を空かせているのかなと思いまして……!」
サンドウィッチを差し出すと、ジョナサンさまはぱあっと顔を明るく輝かせました。こちらまで嬉しくなりました。どうやら本当にご飯を取り上げられたみたいですね。
「いいのかい……!?」
「はい! もちろんでございます!」
「ありがとう!!」
わたしはジョナサンさまサンドウィッチを手渡しました。が、さっきまでの満面の笑みはどこへやら、顔が一気に曇りました。
「……てことは、今日のぼくの失態、もう知ってるのかい?」
「失態……ですか? わたしは存じ上げませんが」
「本当かい?」
珍しくジョナサンさまが窺うように言いましたので、わたしは安心させるように深く頷きます。
「ええ、本当ですよ。それではわたしはこれで」
「待って!!」
帰ろうとしたところ呼び止められました。振り返りますと、何か言いたげの表情でした。
「……一人でご飯って、寂しいだろう? その、ぼくが食べている間、一緒にいてくれないかい?」
「も、もちろんです!」
なんてことでしょう!! 願ってもないチャンスです……! ジョナサンさまと今夜も一緒にいられるなんて。予想していなかったので、その分衝撃は大きく、嬉しさも倍近いです。物凄い嬉しい顔をしてしまったに違いありません。
いつもお話をするときのようにわたしたちは座りました。
「実は今、偶然食べ残したチョコレートを食べて空腹を紛らわしてたとこなんだ。そんな時にナマエがやってきたから、すごく動揺してしまったんだ」
「ああ、だからあんなに焦ったような感じだったんですね」
「ばれてたか」
照れたように笑ったジョナサンさま。そんな表情に胸がきゅっと締め付けられます。―――そう、このままでいいの。こうやってジョナサンさまのおそばにいられればそれで。
「なんか、ナマエの顔を見るとほっとするんだ。緊張が解けるというか……。君がジョースター家にいてくれて本当によかったよ」
とくん、と心臓が深く脈打つのを感じました。これは、どういう意味なのでしょう。愚かな頭が勘違いをしてしまいそうです。そういう意味で言っているわけじゃないってわかってるのに、どうしても期待してしまいます。けれど期待が裏切られるは火を見るより明らかですよね、そんなわけがないと、きちんと自分を納得させます。
「あ、はは……そんなっ」
けれど、胸の中で今にも飛び出そうな気持ちは誤魔化せません。ああ、好きです、ジョナサンさま。大好きです。ジョナサンさまは、いただきます、と言ってサンドイッチを頬張りました。
「しかし、本当においしい。空腹のときって、より美味しく感じるんだね」
「ふふふ。ほかにも何か作ればよかったですね」
「ナマエは何が作れるんだい?」
「えっと……何が作れるんでしょう?」
「ははっ! ぼくが聞いているっていうのに」
言葉を発しては、わたしの言葉を聞きながらむしゃむしゃとサンドウィッチをほおばるジョナサンさまからは紳士さはありませんが、そんなジョナサンさまもいいと思います。たまには、いいんじゃないでしょうか。ありのままのジョナサンさま。
「ごちそうさま。本当にありがとうナマエ。これで明日も頑張れそうだよ」
「それはよかったです」
わたしの方こそ、明日どころかこの先一年くらい頑張れそうです。ありがとうはこちらがいいたいくらいです。なんて、心の中でひとり呟きます。
