その日のディオさま歓迎パーティは滞りなく終了しました。
ディオさまは人当たりがよく、よく気が利くのでわたしたち使用人は一様に嬉しがりました。正直みんな、ディオさまがどんな人か心配でした。気難しい人でしたらどうしよう、と。ジョースターさまもジョナサンさまもとても優しい方々なので、使用人一同なにひとつ不満なくやってきましたので。
しかしパーティの片づけの際も、ディオさまは「手伝おうか?」と一声かけてくださりました。わたしは勿論それを丁重にお断りました。
そしてその日の業務をすべて終わらせたのち、静かにジョナサンさまの部屋に参りました。相変わらず夜の寝静まり返ったジョースター邸を気配を消しながら歩くのはドキドキします。辺りを警戒し、誰もいないことを確認すると、ノックをします。どうぞ、と聞こえてきたのでわたしは滑り込むようにジョナサンさまの部屋に入り込みました。
「やあナマエ、今日もお疲れ様」
ジョナサンさまは今日は机に向かっていました。くるっと振り返って、綺麗にほほ笑まれました。それだけで今日一日の疲労がすべて回復するような気がしました。
「はい、お待たせしました」
「どうぞ座って」
言われていつものようにイスに座り込むと、ジョナサンさまもいつもの場所に座ります。そして、ジョナサンさまは話したかったであろうことをすぐに話し始めました。
「今からぼくがしゃべることは、紳士として恥ずべきことかもしれない。けれど、ナマエに聞いてほしいんだ」
「もちろんです、ジョナサンさまのお力になれるなら……」
わたしは頷きました。
「ありがとう。……ディオが、やってきただろう。父さんが向かわせた馬車でやってきたんだ。ぼくはちょうど通りかかったので、挨拶をしたんだ。そしたらダニーが駆け寄ってきてね、ぼくがダニーをディオに紹介したんだ。そしたら彼が、急にディオはダニーを蹴り上げたんだ」
と、ジョナサンさまは浮かない顔でおっしゃいました。ジョースター卿がおっしゃっていた、ダニーのことはもういいね? というのは、このことだったのでしょう。蹴られたダニーのことを思って胸を痛めつつ、傾聴を続けます。
「ディオは、急に犬が駆け寄ってきたものだから、反射的に蹴ってしまったというんだ。それならそれでいいんだ。でも、一言謝ってほしいと思ったんだ。まあそれくらいは仕方がないと思ったのだけど―――」
それからジョナサンさまが語ったことはこういう内容でした。ディオさまの荷物を運ぼうとしたジョナサンさまの手を、ディオさまはつねりあげて、「汚い手で触るな」といったそうです。それから、「この家に厄介になるからと言って、威張ったりするな」とも言ったそうです。
おおよそ予想のつかないことばかりでした。なぜならディオさまのわたしのなかのイメージは、気さくで優しい人でしたから。
「ディオはナマエに何か嫌がらせをしたりしてないかい?」
「は、はい、してません。それどころかとてもよくしていただきまして……」
「そうか……。こんなことをいって、ナマエがディオのことをそういう風な目で見てしまうのはとても嫌だ。ぼくがこぼした愚痴はすべて君の心の中にしまっておいてくれないかい? そしてできれば、この話を聞く前と変わらない接してあげてほしい」
「勿論でございます。今聞いたことはすべて忘れます」
「すまない。どうしても感情が抑えきれなくて、ナマエに聞いてもらってしまったよ」
とても申し訳なさそうな顔のジョナサンさまに、わたしは精一杯頭を振ります。だって謝られる筋合いなんてないのです。嬉しくて仕方ないんですから。
「そんな! わたしは、ジョナサンさまの素直な感情を聞けて大変嬉しいですよ。ジョナサンさまの言うとおり、わたしの心の中だけにとどめておきますし、そんな目でディオさまのことを見ないようにします」
「そっか、ありがとうナマエ。君ってやっぱり、とってもいい子だ」
「あ、あはは! そんな……」
やっぱりわたしは、笑うことしかできなくて。どきどきとうるさい心臓を抑え込むように、胸の前で両手をぎゅっと握りました。と、そこで、ジョナサンさまがぼろぼろになっていたことを思い出して、改めてジョナサンさまを見ます。
「そ、そういえば、お怪我をなされているようですが、どうなさったんですか?」
「ああ、これかい? 女の子がいじめられていたから、助けようとしたんだ。結果はこのざまだけどね。真の紳士は、負けるとわかっていても戦わなければならないときがあるからね」
ずきっと、胸が痛むのを、誇らしげに語るジョナサンさまの顔を見ながら感じました。女の子……見知らぬ女の子のためにジョナサンさまがその身を呈したんです。そう考えると、勝手ながら胸が痛みます。ジョナサンさまにとってわたしは、ただの使用人なのに。そんな感情を抱くことすら許されないのに。
「名誉の、負傷ですね」
うまく、笑えたでしょうか。
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ぽつりぽつりと会話を広げていると、いい時間になってきたので、わたしは燭台の火を分けてもらって、ジョナサンさまの部屋からでました。歩いて自室に戻ろうとすると、廊下で人影のようなものがゆらりと動くのが見えました。まさか、おばけ……? なんて恐ろしい考えが浮かんで、心臓が飛び跳ねます。おばけにしても、人にしても、こんな時間に誰かが燭台を持たずに出歩いているということは、不審者の可能性もあります。意を決して、人影の方へと恐る恐る近づいていきます。ばくばくと飛び出てしまいそうなほど心臓が早鐘を打ちます。
しかし近づくにつれ、その人が自分の知っている人だということに気が付きました。
「ディオ……さま?」
「ああ、ナマエ。こんな時間にどうしたんだい?」
蝋燭の火が映し出したのは、先ほどまで話題に上がっていたディオさまです。なんとなく気まずいですが、不審者ではなかったことにひとまず安堵します。
「えと、その、見回りを」
適当なウソをつくろいます。
「そうか、メイドも大変だなあ」
相変わらずわたしの前のディオさまはとてもよい人で、とてもジョナサンさまが言っていたようなことをやるようには見えませんでしたが、ほかならぬジョナサンさまの言っていたこと。
「なあんて、実はぼく、ナマエがジョジョの部屋に入っていくのを見たんだぜ」
目をひん剥いてわたしは驚きました。まさか誰かに見られているとは……! 言葉が何も出ませんでした。ここで先ほどみたいに適当なウソをつければいいのに、生憎そこまで器用ではないようです。ディオさまは綺麗に微笑みつつ、
「ナマエとジョジョはそういう関係なのかい?」
と、問われました。わたしは一瞬夜だということも忘れて大きな声を出しそうになりますが、寸のところで抑えて、冷静に言葉を紡ぎます。
「い、いえ。違います、断じて。わたしはメイドですっ、ですが、ジョナサンさまは年が近いわたしによくしてくださって! た、ただそれだけです」
「ふうん……。だが蝋燭に照らされていると言うだけでは説明がつかないほど顔が真っ赤だぞ、ナマエ」
「そ、んなこと、ありま、せん……っ」
何度も瞬いて視線をウロウロ彷徨わせます。ディオさまは今日来たばっかりだと言うのに、わたしの気持ちに気づかれたというのでしょうか。だとしたらなんて鋭いのでしょうか。もう今すぐ駆け出したい衝動に駆られました。
「はははっ、君はどうやら、隠し事が苦手なようだね?」
見上げれば、なにもかもを見透かすようなその目に見つめられて、思わず再び俯きます。
「……ジョナサンさまには、何も言わないでくれませんか? わたし、今のままで幸せなんです」
「もちろん言わないさ」
気づかれてしまった。わたしの気持ち。
愚かで、身分をわきまえない、わたしの気持ち。
「ジョジョのやつが羨ましいな、こんなにナマエに思われてるなんて……ね」
ディオさまが、それはそれは妖艶にほほ笑まれました。その妖艶さは明らかにディオさまから溢れ出ている色気から出るもので、男の人から色気を感じるのは初めてでした。
「なぜジョジョなのだ?」
「なぜ……って、ジョナサンさまはとても素敵な人です」
「ほう」
そう相槌を打つと、ディオさまは突然、わたしのことを抱き寄せました。咄嗟に燭台をあげましたが、突然のことに声も出ませんでしたし、何が起こっているのかもよくわかりませんでした。
「ぼくがすべて奪ってやる」
そっと囁いたディオさまの真意が見えません。この状況に混乱しているわたしは、何もできずにただなされるがままそのまましばらく過ごしました。
