理科室へ連れて行くと、三谷を見るなり名前は「あ」と声を漏らした。名前は「祐輝とは同じクラスなの」と説明した。ヒカルは名前の、三谷を下の名前で呼び捨てにしていることに引っかかりつつも、三谷のほうも名前に気づくと、驚いたような表情をした。
「名前。なにお前、囲碁に興味あるわけ?」
「え、いや、そういうわけじゃないけど……。成り行きで入部することになったの」
「……ふうん。まあ、いいけど。おれのほうが先輩なんだから、敬えよな」
「嫌。なんで祐輝の事敬うしかないの!」
心なしか、名前と会話する三谷の表情が柔らかいのは、気のせいだろうか。それに、当たり前のことだが、名前はヒカルと話すときよりも砕けていて、仲の良さが窺えた。だがそのことについては深く考える事もなく、ヒカルはそういえば、と部長である筒井の姿を捜した。筒井は窓際の席であかりと碁を打っていた。
「筒井さん。新入部員だよ」
筒井———眼鏡をかけた優しそうな男子生徒は、詰碁集を理科室の実験机に置くと、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「あ、進藤君。女子部員? すごいや! ありがとう!」
「名字、あの人が部長の筒井さん」
「わたし、名字名前っていいます。ヨロシクお願いします」
「よろしく、名字さん。筒井公宏です」
「んで、隣の女があかり。仲良くしてくれよ」
あかりの中で、先ほどヒカルを連れて行った謎の女子と目の前の名字名前の姿が重なり、同一人物であることを認識した。
「藤崎あかりよ。よろしくね! さっきすれ違った子だよね?」
「そうそう! よろしくね、何て呼べばいい?」
「あかりでいいよ、私も名前って呼ぶね!」
「わかった! よろしくね、あかり」
あかりの気さくな性格もあり、女子同士はすんなりと仲良くなる。
こうして名前は囲碁部に正式入部することになった。筒井がヒカルに、名前に囲碁の基本を教えるように言ったので、今日のヒカルの部活動は名前の先生だ。誰かに囲碁を教える、ということをしたことがなかったヒカルなので、その活動はとても新鮮に感じた。そして教えた事を素直に汲み取っていく名前に、深く親しみを感じた。
「よし、じゃあ今日のところは帰ろうか」
オレンジ色の柔らかい光が理科室に差し込むようになってきたところで、部長筒井の一言で今日の部活はお開きになった。
「今日はありがとう、ヒカル」
「どってことねーよ。また明日もいろいろ教えてやるよ」
「うん。わかった。じゃあ、また明日ね。 ――祐輝、一緒に帰ろう」
「しゃーねえな」
名前と三谷は理科室を立ち去った。それを確認し、あかりがヒカルのもとへやってきて、小さな声でおもしろそうに言う。
「ねえ、ヒカル、あの二人つきあってるのかしら?」
「さあ。同じ小学校で、家が近いとか、じゃないの?」
なんとなく、なんとなくだけれど、彼らが付き合っている、という可能性が嫌で、そんなことを口にした。あかりは残念そうに、そうかもね。と呟いて、私たちも帰ろうか。と微笑んだ。
例えるならそう、彼らの関係は自分とあかりのような関係であってほしい。なぜかそう願っている自分がいた。
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『ヒカル』
「ん?」
『私の話を聞いてくれますか?』
「いつだって聞いてんだろうよ」
ごろん、とベッドで寝返りをうち、床に正座している佐為を見た。彼の表情は、碁を打つときのようなピンと張りつめた真剣な顔をしていて、ヒカルは佐為のこれからする話に興味を持った。
『昔、まだ私が生きていたころ、私には将来を約束した女性がいました。もう、声も、顔もぼんやりとしか思い出せなかったのですが……名前を見た瞬間、声を聞いた瞬間、ふと私の中に蘇ってきたのです。彼女が……』
「なんで? 名字がその人に似てるの?」
『ええ。似てるなんてものじゃありません……。あれはそう』
生き写し。
『そのような言葉を使うのが適切だと思います』
「へえ……」
『そして、名前には私が見えたと言う事実……これはもう』
「もう?」
『運命、としか言えません!』
立ち上がり、本当に嬉しそうにぴょんぴょんとジャンプする。そんな佐為の様子を見て、ヒカルは苦笑いする。
(コイツ、囲碁だけがすべて……ってわけでもなかったんだな)
そのことに妙に安心感を抱いた。
「三谷と付き合ってないといいな」
『ああ……そうですね。でも、名前が幸せなら、それでもいいような気がします』
「へえ、お前って大人なんだな」
『ヒカルとは違いますからねっ。ふふんっ』
「んだとてめー!」
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(ふじわらのさい)
生まれて初めて見た幽霊の名を心の中で呟いて、自然と口角が上がる。あんなに綺麗な人を、生まれてはじめてみた。最初見たときは、ただ単に恐ろしくて意識を飛ばしてしまったが、二度目会ったときの、あの息が止まりそうな感動は死ぬまで忘れられそうにない。少しだけ残った桜の花びらが舞う、春の日のこと。きっとあの日のことを、忘れることはないだろう。
「佐為……」
明日から、楽しみだ。
