諸伏高明にプロポーズされる話

注意事項
・映画「隻眼の残像」ラストのネタバレが間接的にあります。
・映画鑑賞記念で持て余した気持ちを発散するために書きました。解釈違い等ありますのでご注意ください……!
・夢主は長野県警と幼馴染設定。上原刑事よりも一つ年下です。(ネームレス)
・色々気にならない人向けです。

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 風が吹き抜けて、病室のカーテンが揺らめいている。白が多い病室はそれでなくても寒々しいけれど、空気の入れ替えのために窓を開けたのだが、閉めるのをすっかり忘れるくらい高明の話に夢中になっていた。

「へえ、由衣ちゃんったらそんなこと言ったんだ!?」

 つい先ほど、病院のロビーで繰り広げられた由衣ちゃんと敢助くんの騒動を聞いて、お見舞いのお花を花瓶に移していたわたしの手は完全に止まった。

「ええ。まったく、間に挟まれてしまいましたよ」

 ベッドの上、上体を起こしてふっと口角を上げる高明は、楽しげでもあった。

「それはそれは。高明はとってもおじゃま虫だったね」

 きっと由衣ちゃんも敢助くんも、間に高明がいることなんてその時ばかりは忘れていたに違いない。
 それにしたって、敢助くんの反応を聞く限り、全くもって予想外だったのだろう。鈍そうだとは思っていたけど、まさかそんなにとは思わなかった。

「でも、由衣ちゃんの気持ち分かるなあ」

 一度は雪崩に巻き込まれて敢助くんは亡くなったと思い、深い絶望の淵に立たされた由衣ちゃん。そして今回の一連の事件。想いを伝えられるうちに伝えることの大切さを痛感したに違いない。
 かくいうわたしだってそうだ。高明が崖から落ちたこと。ぶ厚い氷が張り巡らされた川の中に落ちてしまい、いまにも溺れて死んでしまいそうだったこと。ギリギリのところ、発砲で場所を知らせてくれて、どうにか助かったこと。
 由衣ちゃんから電話をもらった時、わたしの世界は色も音も全てをなくした。ただただ、心臓が凍りついて静かに壊死していくような心地だった。
 命に別状はないと聞いて安心したけれど、絶対安静を言い渡されているのにもかかわらずもぬけの殻となったベッドを見て、再び身体中の血液が凍りついたものだ。
 彼を失うかもしれない、そう実感するたびに、まだわたしは高明に何も言えてない。と焦燥に駆られた。警察という職業上、命が危険に晒されたことは今までも何度だってあった。その度同じように後悔しては、けれども伝えなかった。今まで散々機会があったくせして、どうして言わなかったんだろう。今まで通りの関係でいられなくたって、わたしは自分の気持ちを伝えるべきだった。

「亡国は復た存すべからず、死者は復た生くべからず」
 
 不意に高明が呟いた。いつものやつだ。そこから続く言葉を待つようにわたしは高明を見やれば、その藍錆色の強い眼光に捉えられて心臓が飛び跳ねる。

「崖から落ちて死を意識した時、無我夢中だった私の頭の中を殆ど無意識に駆け巡った後悔がありました」

 後悔。由衣ちゃんの告白に関係のあることなのだろうか。高明が何かを伝えようとしている。わたしはその言葉を余すことなく受け取れるように、耳を澄ませる。
 高明は大きく息を吸う。病院着の隙間から見える高明の白い肌が大きく上下する。……生きている。

「貴女に伝えていないことがあります」

 ほんのわずか、期待がわたしの心を膨らませる。だって、似たようなことをわたしも思っていたから。それでもわたしと高明は違う人間だから、違うことを考えているかもしれない。そこから続く言葉は、一体なんだろう。

「私は貴女のことをお慕いしています。結婚してください」

 高明からの言葉は矢みたいにわたしの胸を貫いた。痛いけど、痛くない。甘くて切ない想いが溢れ出てきそうだ。高明がわたしのことを好きだと言っている。結婚してくださいと言っている。こんな幸せなこと、あるだろうか。瞬間、花瓶から花の匂いがしてきて、祝福の花束すらあるように思えた。
 もう一度噛み締めるように高明からの言葉を反芻する。ん、ちょっと待て。……結婚? プロポーズされた?

「あの、わたしたち、付き合ってすらないよ……ね?」
「ええ。ダメですか」

 いかにも不思議そうに高明が首を傾げた。低くて甘やかな彼の声がわたしの耳朶をくすぐるのが心地よくて、うっとりと頷きそうになる。が、待て待て。

「だ、ダメではないけど。でもお付き合いをすっ飛ばして結婚って、いいの? 急いては事を仕損じるっていうじゃない」
「急いてなどいません。私はこれまでずっと好機を伺っていました。貴女が私のことを兄のように思っているのか、一人の男として見てくれているのか分かりませんでしたから。それが仇となりました。好機などなくとも、攻め入るべきでした。ですからむしろ、遅すぎるくらいです」

 高明もわたしのことを思ってくれていたのだ。わたしが高明を好きで、でも幼馴染という距離を壊すのを恐れていたように、高明もわたしとの関係を大切に大切にしてくれていた。
 けれど、即結婚って、いいのだろうか。

「だからといって、即結婚って……」
「嫌ですか?」

 高明はずるい。やっぱり高明は策士だ。こうやって聞きながらも、わたしが嫌なんていうわけがないってわかっているんだ。

「嫌じゃない、です……」

 午後の病室、カーテンを揺らす風が運ぶ匂いは、冬のツンとしたものから、春の到来を予感する暖かなものが少し混じり出したのを感じる。

「貴女も私のことを、好きでいてくれていますか」
「好き……だよ」

 高明が目を細めた。それはとても幸せそうな表情で、わたしの胸がギュッと締め付けられる。

「指輪もないですし、こんな場所で申し訳ありません。私は貴女のことを愛しています。この愛を、もっと伝えたいのです。どうか近くに寄ってくれませんか」

 心地よい低音が奏でるのはまるで美しい音楽だ。そしてその音楽に呼応して、わたしの心臓の音も空気を伝って聞こえてしまうのではないかというくらい、高鳴っている。
 ゆっくり、距離が縮まるのを確かめるように、わたしは近寄り、やがてベッドに腰掛けた。
 見つめ合うと、高明はわたしを抱き寄せた。くす、と高明の淡い笑い声が聞こえてきて、身体中が切なくなる。

「心臓、とても早いです。貴女が生きている証が聞こえてくる」
「だって……しょうがないじゃない」

 病院着越しに伝わってくる細いけれど引き締まった筋肉をまとった身体。高明の心臓の動きも伝わってきて、それはやっぱり早い。もしかしたらわたしの心臓の音かもしれないけれど、もうどっちでもよかった。わたしたちの心臓が、お互いの存在を意識して強く高鳴っている。
 高明の大きな手がわたしの後頭部を添えられて、撫でるように優しく動いた。わたしたちは至近距離で見つめ合う。

「キスしても?」

 一つ頷いて、「うん」と呟けば、その呟きごと飲み込むように、わたしの唇を塞いだ。一度、二度、三度と唇の感触を確かめるようなキスを繰り返すたび、高明の口髭が当たって少しだけくすぐったい。

「諸伏けい……ッ勘ちゃん! やっぱ戻りましょう!」

 由衣ちゃんの声が聞こえてきたので反射的に顔を離そうとしたけれど、後頭部に添えられた高明の手がそれを許さない。

「はあ? んだよ……えっ?」

 続いて敢助くんの声。うわあ、間違いなく二人に見られたよねこれ。そして高明は気づいて続けているよね。
 怪我人とは言え、非常事態である。高明の肩に手を置いて必死に離れようとするのだけど、ぴくりともしない。それどころか力を入れているから、わたしの口からは「んっ」だとか、「ふっ」だとか、鼻から抜けるような声が漏れ出て恥ずかしいばかりだ。
 ようやく高明のキスが終わった時には、わたしの息は上がっていた。

「ちょっと……」

 非難を込めて睨めば、高明は涼しい顔のままだ。

「見せつけられたのですから、見せつけ返さないといけませんからね」

 何それ…‥という呟きは、再び抱き寄せられた高明の胸の中に溶けていった。

「早く退院します。貴女の艶やかな声を誰にも聞かせたくありませんからね」
「……そうですか」

 春が来る。季節は巡り、わたしたちの関係は一歩どころか、百歩くらい進んでいく。こうと決めたらズンズンと我が道を進み続ける高明に手を引かれて。

2025-05-12