街路樹の隙間、枯れ葉の絨毯

 踏みしめるたびに、ざく、ざく、と乾いた音がする。ついこの間まで、木々は相澤の頭上で青々と葉を茂らせていたというのに、季節はいつの間にやら秋に進んでいる。改めて見渡せば、街並みはセピアに彩られてすっかり秋めいていた。長らく伸ばしっぱなしだった髪を切ったから、首元を通り抜ける風が殊更冷たく感じる。

「もう秋だねえ」

 同じようなことを考えていたのか、隣を歩く名前がしみじみと言う。

「そうだな」
「睡さん、もうすぐヒレ酒の季節よ! ってはしゃいでるだろうね」

 ミッドナイトのことを話す名前の顔に、もう悲しみは見えない。古いアルバムを眺めて懐かしむような、愛おしむような、そんな表情に見えた。 

「ヒレ酒で済むならいいけどな」
「ふふふ。確かに。色々トッピングしちゃうからね」

 けれど彼女にとってミッドナイトはアルバムの中にしまっているような存在ではなくて、今でも胸の真ん中の深い場所にいる。そしてそれはきっと、死ぬまで変わらないのだろう。それはミッドナイトが故人で、永遠に叶わぬ恋となったからではなくて、彼女にとってミッドナイトとは最初から最後までそういう存在であり、そこが彼女の中のミッドナイトの居場所なのだ。過去も現在も未来も、ただひたすらにミッドナイトを愛しているから、想いの成就は関係ない。

「落ち着いたら飲みに行くか」

 相澤の誘いに、名前は「いいね」と声を弾ませる。

「そしたらひざしも誘おっか」
「デートだからダメ」
「わたしたちって付き合ってたっけ?」
「いいや。俺が一方的に好きなだけ」

 そんな名前を、相澤は想っている。こんなに近くにいるのに、絶対に手の届かない彼女のことを、どうしようもないくらい愛している。彼女がミッドナイトを愛しているのと一緒で、相澤は名前のことを愛しているのだ。名前も今更驚かない。それが二人の間の“普通”だから、

「どうしてそんなにわたしのこと好きでいてくれるの? わたし、絶対に睡さん以外好きにならないんだよ?」
「知ってるよ。でもそれとこれとは関係ないだろ」

 名前がミッドナイトを好きなことと、相澤が名前を好きなことは関係ない。名前が相澤のことを好きになる可能性がないからといって、好きな気持ちを消せるわけではない。勿論、叶わないと知ったら消える想いだってあるだろうが、相澤はそうではないというだけだ。彼女がミッドナイトを想うように、相澤も名前のことを想っている。そこに想いの成就は関係ないのだ。

「そうだよね、それが消太なんだよね。わたしが睡さんを好きなように、消太もわたしのことを好き」
「そういうこと」

 はたから聞いたらとても不可解な会話であることは分かっているが、実際にそうなのだ。高校時代から、もうずっと変わらない事実。
 最初の頃、何度も何度も想いを告げる相澤に対して、名前は自分が相澤に対して思わせぶりなことをしているから、いつかは振り向くと信じて告白しているのかもしれないと思ったらしい。だから彼女は距離を置こうとしていたのだが、それを相澤は拒んだ。

『距離を置かれたところでどうしたって俺はお前のことが好きだから、どうせならこれまで通りの関係でいよう』

 そう提案すれば、彼女はもう色々と諦めたらしい。「分かったよ」といって、そこからは“こういうやりとり”が普通になったのだ。そこからもう、何度季節を通り過ぎたのだろうか。
 これからも相澤は名前のそばにいるだろう。春には桜吹雪に吹かれながら、夏には突然のスコールに傘を差しながら、秋には枯れ葉を踏みしめながら、冬にはヒレ酒を飲みながら、彼女の横顔をじっと眺めるのだろう。決してこちらを見ない、その横顔を。
 そんなことを考えていたら、名前が不意に立ち止まり、「ねえ、消太」と相澤を見上げた。相澤も足を止めて、「ん?」と耳を傾ける。

「結婚しない?」
「は?」

 今なんて? 結婚? 何の冗談だろうか。

「わたしのこと、好きなんでしょ? わたしが好きな睡さんごと」

 じっと見つめる名前の視線は、相澤の心を読み取ろうとしているようだった。突然のことに、流石の相澤も混乱したが、真剣な名前の表情を見ていたら徐々に落ち着きを取り戻していった。

「好きだよ。お前が誰を好きだって、それごと愛してる」
「それで、これから先もずっとわたしの隣にいるんでしょ」
「そうだよ」
「なら、結婚しようよ」

 それはあまりに突飛した結論のように思えた。

「ちょっと待て。お前は香山先輩を好きなんだろ、いいのか」
「いいの」

 やけにキッパリと言い切る。何かが吹っ切れたような、そんな表情だった。

「いやだめだろ。俺はいいけど、名前はそれでいいのか。本当に好きな人がいるのに、俺なんかと結婚するなんて」

 名前が後悔するようなことは絶対に避けたい。結婚しなくたって相澤は今まで通り名前のそばにいるのだから。けれど名前は「いいの」と肯く。

「……わたしね、これから先も、当たり前みたいに消太と一緒にいる未来しか考えられなかったんだ。わたしは睡さんを好きで、消太はわたしのことを好きで、付き合ってるわけでもないけどわたしたちは一緒にいる。四十代になっても、プロヒーロー引退しても、しわくちゃのおばあちゃんになっても、きっと一緒にいるんだろうなって。ていうか、そうであってほしいなって。消太の隣以外考えられなくて。それってもしかしたら、睡さんへ向ける気持ちとはまた違うけど、愛してるってことなのかなって思ったんだ」

 名前の言葉に、相澤は何も返すことができずただただ見つめることしかできなかった。たくさんの気持ちや言葉が相澤の中で渦巻いていたが、そのどれもが矛盾していて、支離滅裂で、とても言葉にできるようなものではなかった。
 けれど名前はそんな相澤の迷いや戸惑いを、蝋燭の火でも消すようにふっと一息で飛ばしてしまうのだ。

「わたしのなかの睡さんごと愛して結婚してくれませんか」

 気が付けば相澤は、名前のことを抱きしめていた。この気持ちをどう形容すればいいのだろう。寂しくて、嬉しくて、切なくて、恋しくて、苦しくて、愛おしくて。

「当たり前だろうが……!」

 街路樹の隙間から風が吹き抜けて、枯れ葉の絨毯が舞い上がる。その風に乗って、青くさ……という声が聞こえた気がして、不覚にも相澤は目頭が熱くなるのを感じた。

2025-11-08