その日A組は、峯田のタレコミでとてつもない衝撃に包まれていた。
「オイラ、見ちゃったんだよ。日曜日、相澤先生が女の人と歩いてて、すっげーいい顔で笑ってたんだよ!」
え、相澤先生って笑うの?! 彼女!? 女に興味あるの?! 朝のHR前に一気にざわめきだす教室は、一部生徒は興味ねェと仏頂面だったが、ほとんどの生徒が担任のゴシップに色めき立っていた。
A組の生徒たちは正直、彼女がいるどころか恋愛に興味があるとすら思えなかった。どちらかといえば、非合理的だ、とバッサリ切り捨てているイメージだ。だからこそ、休日に笑顔で女性と歩く担任の姿がうまく想像できずにいた。
と、そこに、扉を開けて担任であり噂の渦中の人物である相澤がやってきた。相澤は教室に入るなりその異様な空気を察知して、足取りがぴたりと立ち止まる。
「……なんだよ、お前らのその意味ありげな顔は」
「先生! 日曜日、誰と一緒にいたんですかー?!」
芦戸が挙手をして、ドストレートに尋ねる。相澤は日曜日のことを思い出すように視線を斜め上にして、「あぁ」と呟くと、
「俺の妻だよ」
と、こともなげに言った。途端、割れんばかりの歓声が上がって相澤は顔を顰める。
「相澤先生結婚してたんですか?! ズリィ!」
上鳴が悲壮感たっぷりに言う。
「ズリィってなんだよ」
「聞いてないっすよ!」
切島の言葉を聞きながら相澤は歩き出し、教壇に向かう。
「別に言ってないからな」
仕事柄指輪をつけていないが、やはり妻帯者感が希薄なのだろうか、と相澤は考える。とはいえ聞かれてもないのにわざわざ結婚していることを伝えるのは、相手からあからさまな好意を感じた時くらいだろう。
「奥さん、可愛いですか?!」
教壇に着いて早々、芦戸が瞳を輝かせて尋ねた。
「可愛いよ」
相澤の回答に女子から、きゃああああ! と歓声が上がる。芦戸はそのまま追撃する。
「好きですか?!」
「好きだよ」
先ほどの歓声を上回る歓声が上がり、飯田は「始業のベルが鳴っているんだぞ、静かにしたまえ!」と至極真っ当なことを言う。その傍ら、緑谷はぶつぶつ呟きながら使い込まれたノートにものすごい勢いで情報を書き込んでいく。
「……もういいだろ、HR始めるぞ」
言わなきゃよかった、なんて軽く後悔しながら、相澤はガシガシと首をかきながら言う。
「相澤くん、こう見えてすごい愛妻家なんだよね」
いつの間にやらやってきてダメ押しの追撃をしたのは、副担任であるオールマイトだ。廊下から教室の様子を伺うように身体を傾けている。それを見た相澤が充血した瞳でじろりと睨み、
「余計なこと言わないでください」
「でも本当のことだからね!」
相澤先生は愛妻家、という噂はその日のうちに広まったという。
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「聞いたよ。消太くん愛妻家なんだって?」
どこから聞いたのか、帰宅して早々妻が揶揄うように瞳を細めて言った。情報の出所は差し詰めオールマイトだろう。たどたどしくフリック入力をしている姿が目に浮かんだ。
「知らん」
愛妻家かどうかを判断するのは自分ではない。
「えー。わたしのこと、好きじゃないの?」
「さぁ。どう思う?」
ニヤリと笑んで問い掛ければ、「ずるい、質問で返すなんて」と妻がむくれる。ああ、可愛いな。一日の疲れが妻の可愛さの前に霧散していくのを感じる。
「好きに決まってるだろ。分かれよ」
妻は面食らったように目を丸くして、何度か瞬いて視線を移ろわせて、「へえ、そう」と呟いた。なんてことないような顔をしているらしいが、喜びを噛み殺せていない表情だ。
―――好きに決まっている。
好きで好きで堪らなくて、誰にも渡したくない。誰の目にも触れさせたくないし、誰とも連絡を取ってほしくない。なんて、深い独占欲じみたものを結婚した今も抱えている。結婚したらこのタールのようにドロドロとした黒い感情も少しは落ち着くかと思いきや、全くそんなことはない。
この胸の内が晒されれば、愛妻家なんて耳障りのいい言葉ではきっと表現できないだろう。
妻のこととなるといつも余裕がなくなってしまうし、冷静な判断が下せない時がある。今だって本音を言えばオールマイトと……むしろ男と連絡取るのやめろ、と言いたい。勿論言わないけれど。けれど男の影がチラつくたびに、相澤の胸には嵐が来る前のような不穏な風が立ち、さざなみが立つ。なんと非合理的なのだろう。けれどそう言うものなのだから仕方ない、と言うことも相澤は知っている。
「で、お前は俺のこと好きじゃないの?」
相澤の心のうちはおくびにもださずに尋ねる。
「……わたしも好き」
はい、優勝。
