※オールマイト赴任直後の時系列
「あっ、あ、相澤先生……!」
「ん、どうしたんだ」
放課後の廊下でたまたま出会ったナマエは、ただならぬ様子だった。普段なら会釈ぐらいで通り過ぎるのに、目が合うなり相澤の元へと駆け寄ってきた。とても興奮気味で、何が起こっているのかと相澤は不思議に思う。夕日に照らされているからか、彼女の顔は赤みを帯びていた。
彼女が興奮をそのままに、唇を震わせる。
「オ……オ………」
「オ?」
「オールマイトに握手してもらったんです……ッ!」
恋する乙女のように頬を紅潮させたナマエが叫ぶように言った。何事かと思えば、そんなことか、と相澤は思う。ナマエは興奮をそのままに、それでね! と続ける。
「さっき、そこでお会いして、それで、わたし、見惚れちゃって……! そしたら、わたしに気づいてくれて、それで、近寄ってきてくれて!! それで、それで!」
「分かったから落ち着け」
「は、はい!」
とはいえ、力強く拳を握りしめている彼女は未だ鼻息は荒く、頬は紅潮したまま落ち着く気配はない。ナマエはそれから、オールマイトとの会話を事細かに説明した。相澤は半分聞き流しながら、ときに相槌を打って聞いていた。なぜ目の前の恋人は、異性の話を興奮気味に恋人にするのだろうかと冷静に考える。あれだろうか、アイドルとかを推す感覚と似ているのだろうか。いずれにしろ、相澤には理解のできない感覚なのは間違いない。
相澤が考えを巡らせてる間も、ナマエは熱量を上げに上げまくって尚も喋り倒している。
「生オールマイトほんとやばかったです、噂には聞いてたけど本当に画風が違いすぎますね! てか消太さん毎日オールマイトさんとお話してるんですよね? ずるいずるいずるい!」
心底羨ましそうにナマエが言うので、相澤の中にもたげていた疑問をそのまま放った。
「お前そんなにオールマイトファンだったか?」
相澤の中のナマエは、特にオールマイトを好きな印象はなかった。どちらかと言えば、同性で活躍するヒーローを可愛いだのかっこいいだの美人だのいいながら応援しているイメージだった。だからこそこんなに興奮して喋っているの理由がよくわからないのだ。確かに平和の象徴として君臨し続け、不動の一位の座を確立している誰もが知っている国民的、いや世界的なヒーローだが。
「そういうわけじゃないんですけど、でもやっぱあのオールマイトですからね! しかもファンサも手厚いし……サインももらっちゃいましたぁ」
でへへ、と締まりのない笑顔を浮かべて仕事で持ち歩いている見慣れたノートを相澤に見せつけた。ノートの右下にはオールマイトのサインが書かれていた。
随分と嬉しそうだな、と相澤の中に靄が立ち込める。
「雄英の教師になったわけだし、これからはそこらへんでしょっちゅう会えるから、そんな騒いでたらアホみたいだぞ」
「そうなんですけどねー。あー、幸せ……暫く手、洗いません」
「いや洗えよ、汚ねェな。洗わなくてもいいが俺に触れるなよ」
「嘘! 洗うし触れます!」
手をひらひらさせているナマエは相も変わらずデレデレと締まりのない顔をし続けている。このデレデレ顔の要因が自分以外の男だというのは、どうしたものか。相澤は自然と眉根を寄せていた。
と、そこでふと思いついたことがあった。相澤は「因みに」と覇気のない声を発する。
「俺もプロヒーローだぞ」
「もちろん、知ってますよ。抹消ヒーロー、イレイザー・ヘッド!」
相澤に向けてピースサインを突き出して、ナマエは笑顔を浮かべる。
「俺のサインも書いてやるよ」
「え、相澤先生にサインとかあるんでしたっけ?」
ひったくるようにナマエからノートを取ると、空の手のひらをナマエに見せてペンを要求する。ナマエは怪訝そうな顔をしつつも、持っていたペンを相澤の手のひらに乗せると、ノートの表紙にサラサラと文字を書き連ねていく。
「ん」
ナマエは戻ってきたノートを見て顔色を変える。
「ちょっと! なんでオールマイトのサインの上に書いてるんですか!?」
ノートに書かれた相澤のサインは、オールマイトのサインを上書きするように書かれていた。悲鳴混じりに抗議の声を上げるが、相澤は悪びれる様子も、反省する様子もない。
「あースマン」
限り無くフラットな声で相澤が心の籠もっていない謝罪を口にした。
「えー絶対わざとでしょ!? 酷い、こんなデカデカと消太さんの名前書いたら消太さんのノートみたいじゃないですか!」
不満そうにナマエがノートの表紙に書いた『相澤消太』の文字を指さして、文句を言う。ナマエの言う通り、の下段いっぱいにデカデカと書かれた相澤のサインは、もはや持ち主を表す名前のようだった。
「いいじゃねェか。俺のもんだろ」
ニヤリと笑んで言いながらも、『マーキング』そんな言葉が相澤の脳裏をよぎり、うるせェと自分で自分に悪態をつく。
「なんです! そのお前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの理論」
そんなんじゃない、お前は俺のものだってことだ。
―――なんてことは勿論、死んだって言わない。キャラじゃないし、つまらない嫉妬をするような男だと思われるのも癪だ。
「新しいノート買ってやるから」
ぽん、と肩に手をおくと、相澤は歩き出す。
「結構です。これはこれで宝物ですから」
思わず相澤は振り返ると、大切そうにノートを抱えたナマエが、はにかむように笑っている。「でも」とナマエは続ける。
「今度は色紙買ってオールマイトにサインお願いします」
「……あっそ」
