独占権の行使

 食堂は一日の仕事を終えた沢山の団員たちで賑わっている。ナマエもそのうちの一人で、アトラの作った美味しい夕食を味わいながら食べていた。ユージンとシノが先に食べていたので二人に合流して食べていたのだが、彼らは食べ終わると仕事の続きをするということであっという間にいなくなってしまった。一人取り残されたナマエは、急に寂しくなった食卓で、咀嚼しながら何気なく視線を巡らせれば食堂は既に人がまばらであった。みんなご飯を食べるのが早い。ナマエもなんとなく急がなければと思いつつ、入り口に視線を遣れば、丁度オルガが食堂にやってきたようだった。そのまま何気なく彼を観察していると、オルガはアトラから夕ご飯の載ったトレーを受け取ると、食堂内で視線を彷徨わせて、やがてナマエのことを見つけると淀みない動きでナマエの前に座った。

「よぉ、前いいか」
「いいよって言う前に座ってるし」
「はは。たしかにな」

 オルガと同じ時間に食事を摂ることはとても珍しいことだ。彼は団長という立場上、遅くまで一人、働いていることが多い。対するナマエは自分の受け持った仕事のキリのいいところで食事を摂っている。タイミングは不定だ。つまり、混じり合うことのほうが少ない。オルガにつられてナマエも自然と顔が綻んだ。

「珍しく早いんだね」
「ん。仕事の目処が立ってきたからな。いただきます」

 オルガが食べ始めたので、ナマエも食事を再開する。ナマエが食べ終わるのと同じタイミングでオルガも食べ終わったようだ。

「ナマエ、最近ミカとはどうなんだよ」

 声を潜めてオルガが問う。

「ど、どうって」

 ナマエは周囲を見渡して、近くには誰もおらず、アトラがキッチンで片付けをしているだけだった。それを確認すると、オルガに向き直る。オルガは面白そうに口元を釣り上げている。オルガはナマエのよき相談相手だ。特に恋愛……というよりかは、対三日月の相談は、彼しかいないというくらい適任なのだ。オルガも面倒見が良いものだから、結構気にかけてくれる。

「特になにもないよ。いつもどおりって感じ」
「なんだそうなのか。結構聞かれるんだぜ、お前たちのこと」
「えっ誰に」

 とナマエが聞くと、オルガは片目を瞑って人差し指を唇の前に当てた。そして、間髪入れずに席を立つと「ご馳走さん」と言って食器をアトラに返却した。

「オルガ」

 入り口から淡々とした三日月の声が聞こえてくる。視線を遣れば、三日月が食堂の入り口に立っていた。

「おおミカ。今からメシか」

 あたかも今気づいたようにオルガが三日月に言った。さっきの合図は、三日月が来たからこの話はおしまいという合図だったのだと気づく。と同時になんと勘のいい団長なのだろうと感心する。

「んーん、もう食べた。たまたま通りかかったんだ」
「そうか。俺はもう行くけどミカはどうする」
「ナマエのところ行くよ」
「そうか」

 オルガと三日月の会話を盗み聞きしつつ、三日月が来てくれることに心内で小躍りした。それを悟られないように表情を変えずに三日月の方を見れば視線がかち合う。すると先程の言葉の通り三日月がナマエの前に座った。

「ねえナマエ」
「どうしたの三日月」
「さっきオルガと何話してたの」

 三日月の大きな瞳が探るようにナマエのことを見た。思わず心臓が飛び跳ねて、半ば反射的にナマエは、

「な、内緒!」

 と、言った。するとナマエの言葉に三日月の顔が顰められた。

「なんで内緒なの」

 理解できないと言った様子の三日月の問いかけに対して、ナマエは頭をフル回転させて考えるが、あいにく三日月を納得させられるような理由が見つからなかった。ナマエは考えるのをやめて、それっぽい理由を考えるのを諦めた。

「なんでって……なんでも」
「ふうん」

 承服しかねると言った様子の三日月だが、ナマエだって言えるわけがない。

『わたしが三日月のことを好きで、その恋の進捗をオルガに聞かれていたの』

 そう素直に言えたら、どれほど楽になれるのだろう。けれど楽になったからといって、自分が望む未来があるわけではない。だからこそ当たり前だがそんなことは言えないのだ。いくら三日月に追求されようが、ナマエの口が割れることはない。
 三日月は依然として顰めっ面で、自分の胸のあたりを擦った。

「なんかここらへんが痛いっていうかモヤモヤする、変なの」
「……心臓が?」
「多分。よく分かんないけど、ナマエとオルガが喋ってるの見てたらなんか変になった。それに、内緒って言われた時も」

 三日月の言葉を聞いて、ナマエはピンとくるものがあった。あれしかない、とナマエは半ば確信めいたものを感じつつ、「それはね」と言葉を発する。

「きっとヤキモチだよ。オルガがわたしに取られちゃうと思ったから心臓が痛んだんだよ、ふふ」
「そうなんだ。これ、ヤキモチっていうんだ」

 三日月にとってオルガとは、唯一無二の存在であり、常に最上の存在なのだ。ナマエとてその気持ちは勿論分かっているから、もうそれしか考えられない。

「ナマエは物知りだね」
「そんなことはないよ。いやぁ、オルガには敵わないなぁ」 

 そんなやりとりをしてから数日が経った。ナマエがバルバトスのコックピットで阿頼耶識システムの点検を行っていると、人の気配がした。振り向く前に、凛とした彼の声が聞こえてきて、胸が高鳴る。

「ナマエ」

 ナマエの五感はすべて声の主へと吸い寄せられていく。振り向くとやはり、バルバトスのパイロット、三日月だ。自然と上がる口角をそのままに、ナマエは三日月に言う。

「三日月、どうしたの。なにか気になることあった?」

 バルバトスについてなにかあったのかと思い問えば、三日月は小さく首を横に振る。

「バルバトスじゃなくてナマエに用事。この間、俺がナマエにヤキモチって話してたけどさ、多分違う」
「え……そうなの?」

 ということは心臓が痛みの正体は何だったのだろう。まさか病気だろうか、と三日月の言葉を待ちながら表情が強張るのが感じる。

「俺、オルガにヤキモチをしてたんだと思う」
「……どうしてそう思ったの?」

 心臓が深く脈打つのを感じる。自分の都合のいいように解釈してしまいそうで、一旦冷静になるためにも三日月の真意を確認する。

「だってオルガが他の奴と喋ってても、心臓痛くならないし。それに、ナマエが他の奴と仲良さそうに喋ってるのを見てても同じようなことになる」

 だからそう思った。と三日月は言葉を締めくくる。ナマエは頭の中が白んでいくのを感じた。もう阿頼耶識の点検なんて頭の隅にもなかった。あるのはただ、三日月の言葉を額面通りに受け取った上でのとてつもない幸福感と、しかし勘違いかもしれないと自制する冷静な自分だ。この2つがせめぎ合っている結果、ナマエはフリーズをした。
 三日月の三白眼がナマエを見据えて、「それで」と言葉を続けた。

「ナマエはどうなのかなって気になった。ナマエも同じようなことあったりする?」
「え……と、わたしが、三日月が他の人と喋ってて、ヤキモチってこと……?」
「そう」

 止まった頭をなんとか回転させ三日月に確認すれば、彼は頷く。そんなこと、何度だってある。アトラやクーデリアと仲良さそうに喋る姿を見るたびに、チリチリと焦げ付くこの胸の内を知れば、彼は驚くだろうか。
 アトラやクーデリアみたいに清くて広い心があれば、と何度思ったことだろう。己の心の内の醜さは、己だけが知っていればいい。せめて三日月には知られたくない。けれど……

「……ヤキモチ、するよ」

 それと同じくらい、知ってほしいと思う気持ちもあるのだ。貴方のことを想っている、この宇宙の誰よりも。だからこそ、本心を言えば自分だけを見ていてほしい。それが無理なことは勿論分かっているが、それでも知ってほしいと思う。
 そもそも三日月がヤキモチを焼くなんて言うから、ずるいのだ。彼にそんなことを言われなければ、一生そんな事は言わなかっただろう。けれど彼がそういうから、ナマエも己の心内を知ってほしいと思ったのだ。
 三日月は、意外そうに目を丸くする。

「そうなんだ。俺だけじゃないんだね」
「そうだよ」
「どうして教えてくれなかったの」
「どうしてって……三日月だって教えてくれなかったじゃない」
「確かにそうだね。次からは言うようにするよ」
「う、うん」

 何だこの不思議な会話は、とナマエは思いつつも、三日月は色々と納得したらしい。清々しい顔で「それじゃあ」と言ってコックピットから去っていった。残されたナマエは様々な思いを抱えつつも、仕事のことを思い出して、点検作業を再開した。
 その日の夜、仕事も一段落したところで食堂へと向かった。いつもよりも少し遅めの時間になってしまった。誰かいるだろうかと食堂内を見渡せば、オルガが一人食事をしていた。ナマエはアトラから労いの言葉とともにトレーを受け取ると、オルガの前に座って声をかける。

「やぁ。ここ、座っていい?」
「いいぜって言う前に座ってるな」
「ふふ。お疲れ様」
「お疲れ。今日は遅いんだな」
「うん。気づいたら時間が過ぎてたね」

 「いただきます」と言うと、スプーンでアトラの美味しいご飯を食べる。彼女の作るご飯は美味しくて、ホッとする味だ。絶対に素敵な奥さんになるだろうな、と思いながらも、先程の三日月との会話を思い出して、「そういえば」と声を潜めて口火を切る。

「さっき三日月にさ、わたしが他の人と喋ってるとヤキモチするんだって言われたんだけど……額面通りに受け取っていいと思う?」

 オルガは一瞬目を見開き、次の瞬間にはニヤリと口角を上げた。

「ミカの言葉に嘘はねぇだろ。この間俺とナマエが今日みたいに喋ってたときも、険しい顔してたしな」
「それはてっきり、わたしにオルガを取られちゃうと思ったからだと思ったんだけど」
「んなわけねぇだろ」
「そうかなぁ、だって三日月ってすごくオルガのことーーー」

 と言ったところで、オルガがいつかみたいに片目を瞑り、人差し指を立てて己の唇にやると、すぐに食事を再開する。この合図に思い当たる節があった。

「ナマエ」

 思い描いてた通りの声が聞こえてきて、ナマエとオルガはほとんど同時に食堂の入口を見た。そこにいたのはやはり三日月だった。ナマエの想定と違うことと言えば、オルガを呼ぶと思っていたが、ナマエを呼んだことだった。

「三日月、今からご飯?」
「よぉミカ」

 ナマエとオルガが声をかけると、三日月は淀みない動きで歩み寄り、そしてナマエの隣に腰掛けて、じっとナマエを見据えた。

「俺、今ヤキモチやいてるよ」
「へっ」

 突然の宣告に、ナマエは素っ頓狂な声を上げて、オルガは至極楽しそうな顔で事の顛末を見守っている。

「なっ、え、そうなんだ……なんで急にそんな宣告を……」
「さっき言ったじゃん、次からは言うようにするって」

 確かにそんなようなことを言っていたが、まさかこんなにはっきりと宣言されるとは思わなかった。オルガは面白そうに「でもミカ、」と話し出す。

「さすがに団長として、ナマエと喋らないわけにはいかねぇんだ。それはわかってくれるよな」
「ちゃんとわかってるよ、ただナマエに知ってほしいだけだから」
「そうか。まあ、他のやつからの干渉を最低限にするためにも、そういう関係になっとくっていうのもアリだと思うぜ」
「そういう関係って?」
「ちょ、オルガ!」

 オルガの言葉に三日月が小首を傾げて、ナマエは顔を赤らめつつ口を挟む。オルガは言葉を続ける。

「あとでじっくり教えてやるよ。そんじゃあ俺は仕事に戻る、あとでな」
「うん、またねオルガ」

 トレーを持って立ち上がったオルガを三日月が薄らと微笑んで見送った。このあとオルガが三日月に何を吹き込むのか、その結果、ナマエと三日月の関係がどうなるのか、色々なことを考えると胸が一杯になって、ナマエは急にお腹がいっぱいになった。

「……なんかお腹いっぱいになっちゃった」
「調子でも悪いの?」
「ううん、なんか胸がいっぱいになっちゃった。三日月、食べる?」
「もらう」

 トレーを三日月の前にスライドさせると、三日月はナマエの残したご飯をパクパクと食べ始める。口いっぱいに頬張る様子が小動物みたいで可愛くて、この食べる姿も三日月の好きなところの一つだ。

(あ、間接キスだ)

 少し体温が高くなるのを感じつつ、ナマエは彼を愛おしそうに見つめていた。すると三日月がチラとナマエの方を見て、眉根を寄せる。

「あんま見られると食べづらいんだけど」
「ふふ、ごめんごめん」

 あわよくば、三日月と特別な関係になれますように。彼がしんどいときに、踏ん張れる理由になれますように。