時刻は午前0時、君が好きだとお知らせします。

「明日には新年なんて信じられないですね」
「だからといって何が変わるわけでもないがな」
「それはそうなんですけどね」

 相変わらず相澤先輩らしい。この人には情緒というものが欠落しているし、かといってそれを求めるつもりもないけれど。

 十二月三十一日、大晦日である今日は相澤先輩と雄英高校近くの居酒屋“三猿”で飲んでいた。二人で閉店までダラダラと飲み続け、最後マスターに「よいお年を」とご挨拶をしてわたしたちは店を出た。
 相澤先輩はいつも通り送ると言ってくれて、わたしもお言葉に甘えて、静かな夜を二人で歩いている。時折、初詣に向かうであろう人たちとすれ違うと、今日は大晦日なんだな、と感じる。間も無く日付が変わり、今日は明日へと進んで、十二月三十一日は一月一日になる。まあ、相澤先輩に言わせれば、だからなんだという話なんだけど。

「明日は何して過ごすんですか」
「寝てる」

 休日前に聞くと大体帰ってくる答えが、例に違わず帰ってきた。

「いつもと一緒ですね」
「そういうお前は何してるんだよ」
「えー……」

 初詣、初売り……色々やりたいことはあるけれど、どこも混んでるだろうし、と思うと尻込みしてしまう。そうこうしているうちに休みが終わってしまいそうだ。だから結局、こうなるのだ。

「……ゆっくり過ごします」
「それ、俺が言ってたことと変わらないだろ」
「微妙に違いますから! 撮り溜めたドラマ見たり、特番見たり、忙しいんですから。初詣とか初売りとか行きたいんですけど、お正月はどこ行っても混んでますからねえ」

 初詣一人で行くのもなあ。初売りも別に欲しいものはないし、今はネットでも買える時代だ。やっぱり実家にでも顔出そうかなあ、なんて考えていると、いつのまにやらわたしのアパートまでたどり着いた。相澤先輩と一緒に歩いていると、あっという間に家に辿り着くから不思議だ。

「相澤先輩、送ってくれてありがとうございました。そして、今年も大変お世話になりました。よいお年を」
「ん。こちらこそ。よいお年を」

 紋切り型の挨拶を告げて、わたしたちは別れた。わたしはアパートの自分の部屋へと向かいながら、今年最後に会ったのは家族でも友達でもない、相澤先輩だったことに今更ながら妙な感慨を覚えた。
 相澤先輩と一緒にいると気楽だし、色んな話ができて楽しい。でもこうやってふとした瞬間、妙に意識してしまう時がある。一緒に飲んだあと、二人で会話したあと、その余韻に浸っていると温かい気持ちになり、同時にほんの僅か寂しい気持ちにもなる。先程まで隣でわたしと一緒に過ごしていた人が今はいなくて、別々の時を過ごしているという事実。他の人ならば取り立てて思うことではないのに。

「……さーむいな」

 間も無く0時を迎えるこの時間の凍てつくような寒さが風と共に押し寄せて、頬を撫でる。酔いなんてすぐに消えてしまいそうだ。家に帰って、歯を磨いて、お風呂入って、そうしたらもう新年だろう。
 鍵を開けて、誰もいないしんと静まり返った真っ暗な部屋に入る。電気をつけ、あくびを噛み殺しながらブーツを脱いでいると、コートのポケットでスマホが振動していることに気づいた。こんな時間に誰だ、とディスプレイを見たら、「相澤消太」の文字が浮かんでいる。心臓が縮こまり、次の瞬間には体がふわりと浮くような心地になった。さっきまで一緒にいて、別れてからも無意識に考えていた相澤先輩から電話が掛かってきて、一体どうしたんだろう、という疑問と、別れた後、少しでもわたしのことを考えてくれていたという事実が体をふわり宙へと押し上げる。

「もしもし、どうしました」
『すまん、いやなら断って欲しいんだが』

 まだ何も言われてないのに、心臓だけがやけに早く動く。

『一緒に年を越さないか』

 もう少ししたら年が明けて、だから何が変わるわけでもないと言っていた相澤先輩。もしかしたら一緒に年を越すことに対して何の感慨もないのかもしれないけれど、でも、それでも。

「……さっき、よいお年をって言ったのに」
『別にいいだろ、また言えばいい』
「それもそうですね。じゃあ……どうしましょう、どっかいきますか、それとも散らかってますけど、よかったらうちでも」
『いいのか』
「はい」

 どきどき、どきどき、胸が苦しくて、顔中の筋肉が緩んでしまう。相澤先輩はどういうつもりなんだろう、わたしは、わたしは―――
 家に上げるって、わたし的には相当な覚悟を決めているわけで。それに伴った思いもあるわけで。ていうか大晦日、日付が変わる瞬間を二人きりで過ごすって、ただの先輩後輩ではない……よね? 友達同士、何人かで過ごすのとは訳が違う。

『今から行っていいか』

 相澤先輩がどういうつもりかは分からないけれど、でも、わたしは、年が明けるその瞬間、一年に一度しかないそのタイミングを、相澤先輩と過ごしたいと思った。

「はい、暖房つけて待ってます」

 電話を切ると、いそいそとリビングのエアコンのスイッチを入れる。リビングを見渡しながら、掃除しておいてよかった、とホッとしていると、呼び鈴が鳴った。モニターに映るのは目つきの悪い黒猫のような相澤先輩。わあ、本当に来た。
 鍵を開けて迎え入れれば、ついさっきまで一緒にいて、バイバイをした相澤先輩がいた。ああ、すごい。また会えたことがこんなにも嬉しい。細胞ひとつひとつが喜びに打ち震えているみたいで、無性に泣きたくなった。

「どうぞ入ってください」
「お邪魔します」

 相澤先輩と一緒に外の匂いと冷気がやってくる。リビングへ案内して、「飲み直します? それともお茶にします?」と聞けば、「ありがとう、お茶もらえるか」と言われたので、二人分のお茶を用意してソファ前のローテーブルに置いた。
 ソファに二人並んで座る。わたしの部屋に相澤先輩がいるのがなんだか変な感じだった。こそばゆくて、落ち着かなくて、壁にかかった時計を見た。あと十分で年が明ける。と、そこで、同僚であり先輩でもあるマイクのことを思い出す。確か、ラジオで年越しをやると言っていた気がする。

「マイクのラジオでも聞きますか」
「年明ける瞬間をアイツの声で迎えるのなんかいやだな」
「そういうもんですか」
「とか言いながらアプリ立ち上げるな」
「ふふふ。いいじゃないですか」

 スマホでラジオが聞けるアプリを立ち上げて、マイクのラジオを流す。

『―――リスナーたちの一年はどんな一年だった? きっと色んなことがあったよな。いま、働いている人、夢に向かって頑張ってる人、誰かと過ごしている人、ひとりで過ごしている人、色んな人がいると思う。俺はそんなエビバディの幸せを祈ってるぜ』
「なかなかいいこと言ってますよ」
「そうか?」

 とは言うものの、相澤先輩の表情は柔らかい。わたしたちはそのままマイクのラジオを聴き続けた。

『今そばにいる人が、明日一緒にいるかは分からない。来年も一緒に年を越せるか分からない。なんて言ったら暗くなっちまうが、しんみりさせたいわけじゃないんだ。ただ、そいつらがそばにいる奇跡っつーのを忘れないで、大切にするんだぜ。生きて、そばにいるのは当たり前じゃねぇんだ。人間も、もちろんペットちゃんもな』

 ほら、やっぱりいいこと言ってますよ。心の中で相澤先輩に声を掛ける。わたしたちは無慈悲なほど平等な時の中で生きて、出会い、別れを繰り返している。隣にいる相澤先輩が、隣にいてくれる奇跡。

『―――お、いいこと言ってたらもう間も無く年が明けるぜ! ヘイ、気を取り直してカウントダウンだ! ファイブ、フォー、スリー、ツー、ワン……ハッピーニューイヤアアアアア!!!!』

 音割れするほどうるさかったのでラジオアプリを消して、改めて隣にいる相澤先輩に向き直った。

「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「あけましておめでとうございます。今年もよろしく」
「なんか相澤先輩がいうと変な感じです」
「なんでだよ。俺だって言うわ」

 わたしたちはひとしきり笑いあうと、不意に相澤先輩が表情を引き締めた。

「隣にいてくれてありがとう」
「え、何ですか急に。こちらこそです」

 マイクの言葉を聞いてしみじみと思うことがあったのだろうか。可愛がってた野良猫ちゃんが急に姿を消したとか。

「来年も、一緒に年を越してくれるか」

 瞬間、わたしは言葉を失う。どういうつもりで相澤先輩が言ってくれたのか判断に困ったからだ。ラジオを消したからやけにクリアに自分の心臓の音が聞こえてくる。

「……わたしでよければ、はい」

 何とか繰り出した言葉は、恥ずかしいほどか細くて、震えていた。

「俺が……一緒にいたいのは、いつだって名前で、だから、なんというか。すぐじゃなくていいから、今年は俺のことを先輩という枠組みを超えて、一人の男として見て欲しい」
「そ、それはどういう意味でしょうか」

 意味が分かりそうで、でもはっきりとした言葉ではないから確証に欠ける。でももしわたしが考えた通りの意味だとしたら、わたしは、わたしたちは―――

「………俺は名前のことが……好きだ、ということだ」

 ほんの僅か照れ臭そうな顔で、相澤先輩からの突然の告白。時刻は午前0時。わたしは相澤先輩のことが直視できなくて、ウロウロと視線を彷徨わせる。ローテーブルに置いたカップからは白い湯気が立ち上って、揶揄うようにふわふわと漂っていた。

2025-12-31