彫刻師と王子15

 それからの日々は時間が許す限りとにかく夜光石の加工に没頭した。今回の案件は試験的な試みではあるものの王子が自らが説得して回ったと言うこともあり優先度も高く、ロスーリからの許しもあるので、仕事中も夜光石を削り続けて、腱鞘炎になったりもした。少しでも時間があれば手を動かしていないとなんだか落ち着かなかったのだ。
 そして時間を見つけてはシドも手伝ってくれるのだが、最初は力加減を忘れて大粉砕するのがお決まりになっていて、その度にナマエは大爆笑してしまう。この時ばかりは、王子様に対して失礼かな、なんていう考えはどこか果てまで飛んでいってしまい、心の底からひたすら笑い続ける。
 粉砕した瞬間のシドのあの“またやってしまった”という表情が、疲れたナマエにはたまらなく面白いし、今日もまた粉砕するのだろうかと思うと粉砕する前から笑いが込み上げてくるのだ。

「今日こそは大丈夫だ、見てくれ!」

 もはやフリにしか思えないセリフを大真面目に言って、きちんとフラグを回収するのだから、困ったものだ。

「本当にシド王子は最高です」

 笑いすぎて目尻に溜まった涙を拭いながら言えば、シドは複雑な表情になる。

「それは褒めているのか」
「はい、それはもう」
「褒められている気はしないが、ナマエが笑ってくれるなら、オレも嬉しい」

 大変だけど幸せで穏やかな日々が過ぎていく。その日々にはシドがいて、益々ナマエの中にシドの存在が根付いていく。そのことに気づくたび、細い針で刺されたような痛みに苛まれた。
 まるで、決して存在してはいけない感情がすぐ後ろに立っていて、早く認めてと囁かれているようだった。振り返ってその姿を認めた瞬間、たちまちその感情は実体を持ち、もう後には戻れないような気がするのだ。
 そんな感情を振り払うためにも、とにかく作る、作る、作るという日々を過ごし、資材庫はさまざまな形の夜光石で埋め尽くされて、夜は眩しくてアイマスクをしなければ眠れないくらいになった。そんな話をすればシドは王室の空いている倉庫を使うといい、と提案してくれたので、最初は遠慮してたものの、いよいよ置く場所がなくなってきて背に腹は変えられなくなってしまったので、使わせてもらうことにした。
 そうして英傑祭まであと四日と迫る頃に、最後の一つである星のかけらの形を作り終えた。感慨や、達成感、何より安堵が込み上げてきて、ナマエは堪らず感嘆の声を漏らす。
 良かった、これでなんとかなりそうだ。あとは実際に飾り付けてみて調整をするだけだ。
 締め切りに追われ、何かに駆り立てられて焦るような日々が終わると、自身を保っていた糸のようなものがぷっつりと切れてしまい、翌日熱を出して寝込んでしまった。今まで散々身体を酷使したツケが回ってきたのだろう。やっている時はわからなかったが、今思えば少し無理をしていたようにも思える。
 最後の飾り付けが三日後には待っているので、熱なんか出している場合じゃないのに、と歯噛みするが、今できることはひたすら回復を待つのみだ。
 仕事を休んで一日寝込んでいたが、翌日になっても体調は思わしくない。焦る気持ちを抱えながらもひたすら寝込んでいると、片手に大きな袋を持ったマルートが訪ねてきたので起き上がった。身体が怠くて仕方がない。

「あのね、たくさんお見舞いに来たんだけど、あんまりお邪魔しちゃ悪いでしょ? だからね、まとめてお見舞いの品を預かって、届けに来たんだよ!」
「えっ、そんなにですか?」
「みんな、ナマエちゃんがほとんど休みなくやってるのも、セラの滝と工房をたくさん行き来してるのも知ってるよ。ナマエちゃんが頑張ってるの見てたから、心配してたんだよ〜」

 マルートの言葉を聞いた瞬間、鼻の奥がつんとするのを感じた。ナマエのことを心配して、見てくれるひとがいるなんて、正直思わなかったのだ。
 それだけでもう、やって良かったと思えるのだ。
 目の前の景色が滲んで、音もなく雫がこぼれ落ちた。

「ナマエちゃん!? ごめんね、身体が辛いのにお邪魔しちゃって」
「ちが、違うんです! その、皆さんに心配してもらえるなんて思わなくて……嬉しくて」
「そんなの当たり前だよ! 私が怪我したらナマエちゃん心配してくれないの?」
「勿論、するに決まってます!」
「でしょー? だからほら、そう言うことなのっ」

 ねっ? と首を傾げたマルートに、ナマエはただただ涙を流しながら頷いたのだった。いつもマルートは、何気なく、さりげなくナマエのことを助けてくれる。きっと本人にはそんなつもりはないのかもしれない。誰かを笑顔にすることを自然とやってのける、それがマルートの素晴らしいところなのだ。いつの日かマルートにお返しができますように、そんなことを思った。
 なんて感慨に耽っていると、あ、そうだ。とマルートが何か思い出したように言って、袋の中からコルクで蓋をしてある小瓶を出した。中には液体が入っていて、深緑色をしている。

「これね、ヘオンさんから。なんかね、萬屋のコネを使って手に入れた特製ドリンクなんだって」
「す、すごい色ですね」
「飲んだら身体の不調がたちまち良くなるんだって。さすが萬屋だよね!」

 蓋を開けて小瓶の匂いを嗅ぐと、これまで嗅いだことのないなんとも形容し難いものがギュッと凝縮された匂いが漂ってきて、たまらず顔を仰け反らせる。一口含むのですら躊躇ってしまうようなものだが、これを飲めば体調が良くなると言うのなら、藁にも縋る思いで飲んでしまおうか。幸い、水筒の中にはまだ水が残っているから、流し込むことは可能だ。

「大丈夫、ヘオンさんの目利きは確かだよっ」

 マルートからの援護射撃を受けて、ナマエは堪らず生唾を飲む。震える手で小瓶を口へと近づけて、もう片方の手で鼻を摘むと、深緑色の薬を一気に煽った。

「おおっ! いい飲みっぷりだね〜!」

 マルートの歓声を受けながら、すぐさま飲み干した瓶を置いて水筒を手繰り寄せて、水を大量に飲んだ。そうして漸く一息つくと、まだ残っていた薬の残り香が鼻を抜けて吐きそうになるが、なんとか抑える。

「ゆっくり休んでねっ、ナマエちゃん」
「はひ……」

 なんだか一気に疲れてしまった。ナマエは再び身体を横たえて、瞳を閉じた。

「あ、この……なんだけどね…………が………で」

 マルートの声が、まるで水の中に入り込んでしまったかのようにどんどんと遠くになって、うまく聞き取ることができない。今果たして夢を見ているのか、はたまた現実なのか、それさえも曖昧な中で、やがてナマエは微睡の海へと沈んでいった。

 そして英傑祭まであと一日と迫った翌朝、ぱちりと目が覚めて身体を起こすと、昨日までの不調が嘘かのように身体中の調子が良い。昨日一日中苛まされていた身体の怠さがまるで消え去っている。
 ああ、ヘオンさん、いえ、ヘオン様!! ありがとうございます! と、両手を祈るように組んで心の中でコーラル・リーフの店主に感謝する。ヘオンがやってきたら、ありとあらゆる言葉で感謝を伝えよう。
 熱が下がったと言うことで、これで明日の英傑祭に向けて飾り付けができる。その事実に今すぐありとあらゆるすべてのものに対して感謝の言葉を叫びたいくらい気持ちが高揚した。だがかろうじで残っている理性が叫びたい衝動をなんとか抑え込み、まだ早い時間ではあるものの昨日やむなくお休みしてしまった朝のミファー像掃除に向かおうと歩き出したその時、作業台の上に見慣れないものが見えて思わず足を止める。
 そこには花瓶が置いてあり、一輪のゴーゴーハスと、それを囲うようにたくさんのゴーゴースミレが生けられている。

「なんでゴーゴーハスとゴーゴースミレがあるんさ……?」

 確かゴーゴーハスはゾーラの里の下層にある祠の周りに生えている。何かを待つようにじっと佇んでいる祠はナマエの目には少々不気味に映り、あまり近づいたことはない。
 ゴーゴースミレはコーラル・リーフで扱っている商品だったはずだ。店先にすみれ色の可憐な花が並んでいるのをよく見ているから間違いない。
 意図はよくわからないが、昨日マルートが飾ってくれたのだろうか。あとで聞いてみよう、ということで謎の花瓶は一度置いておいて、改めてミファー像へと歩き出した。

 早朝の静かで澄んだ空気が漂う中央広場はいつもの活気は引っ込んで、水の音だけがこの世界に満ちている。辺りを見渡しても、見張りの兵士がいるくらいで、誰もいない。こんなに美しい情景と音を独り占めしてしまっていいのだろうかと申し訳なくなるくらい、贅沢なひとときだ。
 とはいえ、いつまでもその世界に浸っている時間はない。今日はやることが山積みなのだから。
 さて、始めるか、と雑巾を握りしめたその時だった。

「ナマエ!」

 静寂と、水だけの世界に、ナマエの名前を呼ぶ声が降り注いだ。反射的に見上げれば、今ナマエがいる広場より一つ上の階層の、ちょうどミファー像を真後ろから見下ろせるような場所に声の主はいた。驚いたような表情でこちらを見下ろしている。

「シド王子……」

 ナマエが呟く間に、シドはものすごい勢いで左右二股に分かれた階段を駆け降りていく。そんなに慌てて降りたら転んでしまうのでは、と言う心配をよそに、あっという間にナマエのもとへとやってきた。

「ナマエ、体調はどうだ? 熱は下がったかのか!?」
「あ、えっと」

 どうやら昨日の体調不良はシドの耳にも届いていたらしい。シドの勢いに気押されてまごついていると、シドは待ってられんと言わんばかり、「少し失礼するゾ」と言って、大きな手がナマエの前髪をかきあげて、露わになった額にひんやりとした数本の指が当てがわれた。

「ム、やはりまだ熱があるな……! 寝てなくてはダメでないか!」

 シドはパッと手を離してそういうと、今にもナマエを担ぎ上げて資材庫へと運ぼうとしそうな勢いだ。ナマエは慌てて口を開く。

「あ、あの、これで平熱です。ハイリア人なもので」

 シドははっと瞠目し、バツが悪そうに笑った。
 
「そうだったな。これが平熱なんだな」
「はい、なので元気です。ご心配おかけしました」
「ナマエが元気になって一安心だ。昨日は心配で心配で……そうだナマエ、もう一度触らせてくれないか。ナマエの温度を覚えておきたい」

 その言葉を聞いた瞬間、胸がぎゅむっと潰れそうになる。
 ナマエの温度を覚えておきたい、だなんて。どういう意味なのだろう、どうして覚えたいのだろう。考えれば考えるほど、ドキドキが加速していく。惚けるナマエは何もいえないまま、シドの動きを眺めていた。
 シドの手は、言葉の通り体温を溶かし込むかのようにナマエの額に触れた。そしてゆっくりと目を閉じた。
 再び訪れた静寂と水の音のみの世界で、刹那とも永遠とも思える時の果て、「うん」と微かな声が聞こえて、手が離れた。
 
「よし、これで覚えたゾ」

 心臓が暴れて、どうにかなってしまいそうだ。ナマエは唇を噛んで目を逸らす。シドの顔が直視できないのは、色んな感情が溢れて無性に泣きたくなってしまったからだ。ささっとミファー像の正面へと移動して、彫像の台座を拭き始める。そして何事もなかったかのようにナマエは言葉を紡いだ。

「シド王子に心配してもらえるなんて光栄です。ありがとうございます」
「心配するに決まっているだろう! 昨日も訪ねたんだが、門前払いを食らってしまってな」

 まさかシドもきてくれていたなんて、嬉しくて口元がニヤリとしてしまうが、慌てて引き締める。門前払いをしたのはマルートだろうか。弱っている姿をあまり見せたくはないので、配慮が有り難かった。
 けれどシドは明日の英傑祭に向けて忙しいだろうに、それでもナマエのために心を砕いてくれるのは本当に幸せなことだが、申し訳なくも感じる。
 シドはナマエが何か言う前に言葉を継いだ。

「ハイリア人は風邪をひいた時に花を持って見舞うと聞いたので、花を探したんだが、生憎なくてな。代わりにゴーゴーハスを持っていったんだ」

 その言葉を聞いた瞬間、ナマエの頭の中で点と点が物凄い勢いで繋がるのを感じた。作業台に飾ってあったゴーゴーハスはシドが持ってきてくれたのだ。
 確かに、病気になった時に花や果物を持って見舞いに行くと言うのを聞いたことがある。

「そうしたら、コーラル・リーフでゴーゴースミレが売っていてな! なんでもゴーゴースミレには滋養作用もあるから、お見舞いにうってつけだとヘオンがいうので、全部買い占めたんだゾ」

 だからゴーゴーハスとたくさんのゴーゴースミレがあったのか、とすべての謎が解けた。ヘオンの商売上手さも去ることながら、それにしても。とナマエは雑巾を動かす手が止まった。
 
「ふふ………ふふふ……!」

 気がつけば笑い声が漏れ出ていた。
 お花の代わりにゴーゴーハスを持っていこう、という発想がなんだか面白かった。少し発想がずれれば、シノビタケを持ってきた可能性もあるのだろうか、なんて考えれば考えるほど面白くて、笑いが止まらなくなる。
 けれど何よりも、そうやって一生懸命考えてくれたことが本当に嬉しい。自分はとんだ果報者だ。幸福感に満たされて、ナマエの瞳には涙が滲んだ。王子様がただのハイリア人のためにこんなに時間を使ってくれて、夢みたいな話だ。
 一頻り笑い涙を拭うと、改めてシドと対峙した。シドは先ほどまで一人で大笑いしていたナマエを不思議そうに見下ろしている。

「不躾に笑ってしまい、大変失礼しました。シド王子が心配してくれたのが本当に嬉しいのと、シド王子の発想の大胆さが本当に大好きです」

 自然と口走った“好き”という言葉に、自分で驚いた。他意はない、シドにはいつも驚かされるし、ナマエにはない視点を持っている。そんなところが好きだし、尊敬している。けれどやはり目上の存在に対して“好き”という言葉を使うのは失礼極まりないのではないだろうか。百歩譲って二人しかいない資材庫の中ならいいかもしれないが、ここは誰が聞いているかわからない場所だ。
 急に不安になったナマエに対してシドは惚けたような顔だ。

「好き……なのか?」

 改めて聞かれたので、ナマエは声をひそめて「そうです」と頷いて、

「でも、王子様に対して礼に欠いたことを言ってしまいました、申し訳ございません」

 と、真摯に謝罪するものの、シドにはナマエの声は届いておらず、

「そうか。好きなのか……そうか、そうなのか」

 と、顎に手を添えてまるで独り言のように呟いている。

「シド王子?」
「……ん、いやなんでもない。今日はいよいよ飾り付けだな。力を合わせて頑張るゾ!」
「はい、よろしくお願いします」

 ついに、明日は英傑祭だ。果たして受け入れてもらえるだろうかと不安も残るが、ここまできたらあとは最後まで走り切るのみだ。