彫刻師と王子13

 シドが王子だと知ってから二人の距離に変動があったかと聞かれればそれは否だった。最初は戸惑ったが、時間が経てば二人は殆ど元通りだった。変わったとすれば、シドという呼び名がシド王子に変わったという点のみだ。本当だったら王族に対して敬意を示した行動をするべきだが、シドが頑なにそれを拒否するので、仕方がない。それについて戸惑いが大きいものの、距離をあけようとしないその姿勢に、嬉しい思いも確かに感じた。
 幸いだったのは、もともと敬語を使っていたことと、二人は誰かの目があるところで会うことが殆どないことだ。勿論、人目があるところで会うようなことがあれば、それ相応の態度を取らせてもらうが、二人で資材庫で過ごす時間はシドの望んだ通りこれまで通りだった。そしてそれはナマエにとってもありがたいことだった。

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 シドが王子だと知ってから数日が経った。里全体が英傑祭に向けて日を追うごとに色めきだっている最中、ナマエの足は完全復活を遂げたので、久しぶりに鉱石採掘へと行くことになった。
 里を出て、レトーガンと二人でセラの滝の前に到達した時だった。最近何かと話題に上がる英傑祭のことが例に違わず二人の間でも持ち上がった。

「英傑祭の時期が近づいてきたでありますなぁ」

 滝の前で足を止めてレトーガンがしみじみと言うので、ナマエも足を止めて尋ねた。

「セラの滝も何か関係してるんですか」
「英傑祭で歌われる唄に、セラの滝が登場するのでありますよ」
「そうでしたか。ではとても大切な滝ですね」

 セラの滝は里の中央広場から玉座を正面に見た時に、左側―――大きく言えば西側―――へ歩いて橋を渡り少しばかり山道を登った所にあるが、ゾーラ族のように滝登りの技術がなくても自分の足で行くことができる。
 そしてセラの滝の背後には何度見ても惚れ惚れするほど美しいゾーラの里が広がっていて、一望できる。
 ナマエは振り返り、その荘厳な景色に目を遣ると、涼しげな風が吹き抜けて、頬を、髪を撫でていく。
 と、その時。ナマエの頭に一つの情景が浮かび上がってきた。

 ―――夜、空には星々が瞬いている。そしてセラの滝の麓には、夜光石で作ったいくつもの飾りが青緑色に輝いて、大地を幻想的に彩っている。

 英傑祭は亡き英傑ミファーの魂を偲ぶものだ。そして夜光石は、死者の魂の灯火と言われている。その夜光石を、先日シドに贈ったように形を加工し、滝の麓に散りばめれば、幻想的で神秘的な雰囲気を醸し出すことができ、英傑祭の夜を彩ることができるのではないだろうか。
 一度思いついたアイディアにかなりの手応えを感じ、身体の奥底から高揚感が湧き上がるのを感じつつ、頭の中では努めて冷静にぐるぐると考えを巡らせる。
 幸いこのあたりは夜光石がたくさん採れる。作り上げるのにはかなり時間がかかりそうだが、今から始めればギリギリ間に合いそうだ。複雑な形に削らなくとも、単純に小さく加工していくつも置いておくだけでもかなり良さそうに思えた。
 ロスーリから祖父の話を聞いた日からずっと漠然と考えていた。自分にも何かできないだろうか、と。なぜそう思うのかは分からないし、何がしたいのかも分からない。だが些細なことでいいから自分にできる何かを彫刻師として成し遂げたいと思ったのだ。そしてその“何か”がたった今頭の中に啓示が如く舞い降りてきたような気がした。

「ナマエ?」

 不意にレトーガンの声が聞こえてきて、ハッとする。隣を見ればレトーガンが不思議そうにナマエを見下ろしていて「大丈夫でありますか?」と心配そうに言葉を続けた。どうやら考え事に集中してしまったらしい。夢中になるとつい一人の世界に入り込んでしまうのは悪癖だ。

「なんでもありません、行きましょう」

 頭を振ってレトーガンと鉱石採集に向かった。
 その日の夜、シドが資材庫にやってきた。シドの武器のラフ案ができたので見てもらうことになっていた。ラフ案は祭事の槍を参考にして作らせてもらったのだが、決定的な何かがまだ足りていない気がしていた。言うならば、シドらしさのようなものだ。それを見つけるためにも叩き台として紙に書き起こしたのだが、それを見るとシドは目を輝かせた。

「おお! とても良いではないか!」

 聞いて確かめたわけではないが、きっとシドはこれまでロスーリを始め、著名な方に武器や防具、装飾品を誂えてもらったことがあるに違いない。にも関わらず、修行中の身であるナマエの書いたラフ案にも色良い反応を示してくれて、有り難い反面少し申し訳ない気持ちにもなった。

「ありがとうございます。もう少しシド王子らしさを出せるように、シド王子のことをもっと知りたいなって思ってます。シド王子も何かこうしたらいいんじゃないかっていうところがありましたら仰ってくださいね」
「いっぺんにシド王子とたくさん言われて面食らってしまったが、分かったゾ。少し考えてみる」

 一旦武器の話は終わったので、ナマエは心臓が早く動くのを感じながら「あの」と例の話を切り出す。

「それとは別でひとつ思いついたことがありまして。シド王子に聞いていただきたいことがあるのですが」

 ナマエが居住まいを正して言えば、釣られたようにシドも背筋を伸ばした。

「ム。改まってなんだろうか。何なりと言って欲しいゾ」

 僅かに顔を強張らせて言う。その姿はさながら今からクレームを聞かされるのを覚悟した店員のようだった。

「実はですね」

 ナマエは、昼間にセラの滝を見て思いついたことを話していくと、シドの瞳はみるみるうちに輝いて、姿勢もどんどん前のめりになっていく。彼の表情を見ているだけで、賛成してくれているに違いないと手応えすら感じるものだった。

「―――というわけで、英傑祭の夜、セラの滝の麓に彫刻した夜光石を飾るのはいかがかなと思いまして。率直に、どうですか……?」

 と、言葉を結ぶと、シドはナマエの前に跪いてナマエの両手をぎゅっと握りしめて、声高に言った。

「ナマエ、最高だゾ!!!」
「あ、ありがとうございます」

 最高、ということは、悪くないとは思ってくれているということだろうか。シドの勢いに若干気圧されつつ礼を述べると、彼は今度は立ち上がり、ぐっと握り拳を作って言った。

「ぜひ、やろうではないか!! 間違いなく最高の景色になるゾ! 父上を含め関係するすべてのものをオレが必ず説得してみせよう!」
「心強いお言葉をありがとうございます、シド王子!」

 力強い言葉をいただいて、ナマエの頬も緩む。許可が下りればあとはひたすら夜光石を集めて彫るだけだ。一旦武器制作のことは中断せざるを得ないが、優先順位は間違いなく英傑祭の準備だろう。
 シドはスツールに腰掛け直すと、嬉々とした表情で言った。

「一人で全て作るのは大変だろう。オレもナマエと一緒に作るゾ!」
「え……と、ですが、王子様にやっていただくわけには」

 ありがたい話ではあるが、王子自ら作るようなものでもないし、大変失礼ながらシドが器用に夜光石を削るイメージがどうしても浮かばなかった。どちらかといえば一削りごとに夜光石を粉々にしてしまいそうなイメージだ。
 だがあくまでそれはナマエのイメージである。決めつけは良くない。一人でやる作業も、二人でやれば時間も短縮されるだろうし、シドと会える時間も増えるから嬉しいことだらけだ。
 ―――嬉しい? なぜ?
 と自分の考えに疑問が浮かぶが、今はそのことは置いておく。

「ダメか? オレも力になりたいんだゾ!」

 自分の中の芯が呆気なく揺さぶられるのを感じる。結局、シドのお願い事にナマエは悉く弱い。彼にお願いされれば、大体オッケーしてしまいそうだ。そしてそれは今回も例外ではない。観念したナマエは口を開いた。

「でしたら、一緒にやりましょう。夜光石を集めるのも手伝ってくれますか」
「当たり前だゾ! というか、オレが夜光石は集めてくる。キミに重いものを持たせるつもりは露ほどもないからな」
「いえ、わたしも一緒に集め―――」
「気持ちは嬉しいが、力仕事はオレの出番だゾ。次の休みは確か……三日後だったか」

 有無を言わせぬ言葉だった。そしてきちんと休みを覚えていることに驚きつつも、ナマエは同意を示すように頷けば、シドは言葉を続けた。

「ではそれまでにオレは父上や周りのものたちを説得し、夜光石をこの資材庫に持ってくる。そして休みの日に一緒に彫刻をしようではないか! ナマエはロスーリに話をしておいてくれるか」
「わかりました! 明日お話ししておきます」

 ふと思いついたアイデアが、シドのおかげで急速に現実味を帯びて顕現していく。胸がワクワクして仕方がなかった。
 翌日、早速ナマエはロスーリに昨日の夜のことを話した。英傑祭にセラの滝の周りに夜光石を加工したものを飾りつけることをシドに話して、賛成してもらったこと。今、シドが関係各位を説得していること。夜光石の保管を資材庫にさせて欲しいこと。
 話を聞いたロスーリは驚いた様子を見せながらも、資材庫の件を快諾し、さらには資材庫にある夜光石も使っていいし、仕事中も時間があれば作業をしていいと言ってくれた。有難い申し出に、ナマエは遠慮するのも忘れて気がつけば「ありがとうございます!」と礼を言っていた。
 その日の夜、資材庫にやってきたシドとお互いの進捗報告をした。ナマエはロスーリの協力を取り付けることができたことを。シドはドレファン王の反応はとても良かったということ。明日は元老院の説得をしてまわるということを伝えてくれた。

「父上にナマエからもらった夜光石の彫刻を見せたら、とても驚いていた。今までにないアイデアだ、とキミのことを褒めていたゾ」

 まるで自分が褒められたかのように誇らしげにいうシドにつられて、ナマエの嬉しさも大きくなる。シドの話から察するに、ナマエのアイデアとして今回の件を紹介してくれているようだ。そう考えれば、ハイリア人嫌いが集まっているという元老院の説得は時間がかかりそうだと思った。シドが話をしてくれなければ門前払いもいいところだろう。

「むしろシド王子がいなければ、この案は案のままでした。何もできなくてすみません」

 発案者であるものの、この案を実現にするにはシドの協力が不可欠だ。何もできないことを謝れば、シドは「何をいう!」と大きな手をぎゅっと握りしめて、

「キミのアイデアがあるからこうして動けるんだ! オレだったら絶対に思いつかない。オレに出来ることとキミに出来ることは違うのだから、謝ることなんて何もないだろう」

 と、きっぱり言った。その言葉は真っ直ぐにナマエの胸に突き刺さる。
 シドは決して驕らない。それに種族や立場などをすべて度外視して自分の眼で見て、いいところは褒めて、ダメなところは叱ってくれる。
 きっとそんなところがシドの慕われるところであり、親衛隊までできる理由なのだろうと思った。

「……ありがとうございます」

 彼に見合う自分でいたい。そんなことを思った。

 翌日、シドは昼間の工房へとやってきた。彼が昼間にやってくることはとても珍しい。まさかの展開に、ナマエは心臓がどきりと飛び跳ねた。
 シドはどこか興奮した様子で工房内を見渡してナマエの姿を認めると、ぱあっと顔を綻ばせてすぐ近くまで駆け寄る。そして興奮をそのままに口を開いた。

「ナマエ、元老院の賛成を勝ち取ってきたゾ!」

 届いた福音にナマエは目を見開く。まさかこんなに早く賛成をもらえるとは思わなかった。ハイリア人の案なんぞと言われて一蹴されることから始まり、交渉は時間がかかると思っていたが、シドは意外と交渉上手なのかもしれない。ナマエは仕事中だということを忘れて気がつけば嬉々とした声を上げていた。

「そうなんですか! すごいですシド王子!」
「ああ。父上の後押しもあって了承してくれた。これで晴れて準備に取り掛かれるな!」
「ですね! わあ、すごく嬉しいです」
「オレもだ! 少しでも早くナマエに伝えたくて、すっ飛んできたんだゾ!」

 二人で喜びを分かち合うように言葉を重ねていると、シドが何か思い出したようにハッとして、バツが悪そうに里一番の鍛治師に向き直った。
 
「ロスーリ、すまない。工房の主に挨拶するのも忘れて喋り込んでしまうとは、礼に欠いていたな」
「いえ。童心に帰ったようなシド王子を見ることができて、このロスーリも嬉しいゾラ」

 珍しくロスーリがその顔に微笑みを滲ませていて、ナマエは驚く。シドは気恥ずかしそうに首に手をやった。

「ム……童心か、確かに。なんだか恥ずかしい気もするな。……ああ、そういえば色々と便宜を図ってもらったとナマエから聞いたゾ! 何から何までありがとう」
「弟子の修行にもなりましょう」

 かくして、英傑祭に向けて忙しくも充実した日々が幕を開けたのだった。その日々の果て、朧げで不確かだったものが、少しずつ形をなして、確かなものになっていくこととなる。
 それは望んだわけではないのだが、一度空から零れ落ちた雨粒を止めることができないように、どう足掻いても止めることができないのだ。