彫刻師と王子11

※途中に、モブゾーラ族に当たりの強いことを言われる苦しい展開がございますので、ご注意願います。

 きっと槍がいいと思っていたから、シドから槍はどうだろうかと言われた時は、宝箱屋でアタリを引いた時のような、心臓が弾んでそれに釣られて身体が地面からふわっと浮いたような心地がした。
 作る武器は槍、シドに似合う美しくて実用性のある槍だ。
 その日の夜はあれこれ考えてしまってなかなか寝付けなかった。目を瞑ると、使う素材はやはりゾーラの槍と同じものがいいかな、とか、装飾はどんなものがいいかな、とか、気が付けば色々と考えてしまうのだ。
 明日も仕事なのだから早く寝なければいけないのに、頭の中で空想の設計図を描いては消し、描いては消しを繰り返し、いつの間にか眠っていた。

 それから数日が経ち、足首にはまだ痛みは残っているものの、多少気を遣えば歩けるくらいには回復していた。これなら毎朝の日課も再開できそうだ、ということで、朝食を食べ終えると掃除道具一式を持って英傑ミファー像へと急いだ。
 久々に触れたミファー像は、朝日に輪郭を彩られて美しく輝いている。目立った汚れが殆どないのは、それだけ英傑ミファーが民から愛されているということだ。そんな彫像を作ることは、彫刻師冥利に尽きるというものだろう。
 掃除を終えると、百年経っているとは思えない目の前の彫像に最後一礼をして工房に戻った。

 そしてロスーリにも足がほとんど治ったことを伝えていつでも外に出れると言ったが、しばらくは安静にして中作業ゾラ。と言われた。最初は、もう大丈夫なのに……なんて思ったが、時間が経てば、確かに鉱石を背負って山に行くのは大変かもしれない、と納得するに至った。さすが師匠だ、と同時に自分の思慮の浅さを反省した。
 その日の午後、華やかな槍を持った老齢なゾーラ族がやってきた。名をモルデンというらしい。
 ロスーリは、祖父のことを絡めてナマエを紹介すれば、最初こそ怪訝な目を向けていたモルデンは、合点が言ったように

「おお、あやつの孫かゾラ」

 と言い、その視線はまるで昔を懐かしむような色になる。まるでナマエを通して祖父を見ているようだった。
 元気にしているかと尋ねられたので、亡くなったことを伝えれば、痛ましげに目を細めて尋ねたことを詫び、

「あの若造がな……」

 と寂しげに零した。
 ナマエにとっての祖父は、歳を取った好好爺だが、モルデンの中では、かつて里を訪ねた若い時のまま、時が止まっているのだろう。二人で同じ人物の話をしながらも、その脳裏に浮かんでいる姿は異なっている。それがなんだか不思議だった。
 ロスーリはモルデンが帰った後に、彼が持ってきた槍のことを教えてくれた。
 この槍は祭事の槍と言い、来月に控えた英傑祭で使うものとのことだ。祭事の槍を作ったのはロスーリで、その手入れをするのもロスーリなので、モルデンはそのお願いに来たのだ。
 ナマエはロスーリから祭事の槍を持たせてもらい、改めてじっくりと観察する。
 祭事の槍は先端が三叉に分かれたフォーク型の槍だ。形は珊瑚礁のようで、穂は見る角度を変えれば桃色の箇所もあり、それもまた珊瑚礁を思わせた。三叉に分かれた穂の両脇には雫型の飾りがあしらわれていて、槍の動きとともに揺れる様がとても優雅だった。気品に溢れていて、祭事の槍という名前にも頷けた。デザインをスケッチしてシドの槍の参考にしよう、と頭の中で考える。
 と、そこでナマエは英傑祭のことをふんわりとしか知らないので、祭事の槍を何に使うのかよくわからないことに気づいた。

「師匠、英傑祭というのは、亡き英傑ミファー様を偲ぶ鎮魂祭だと聞いています。この祭事の槍は何に使うのですか」
「ミファー様役の子が、祭事の槍で舞を披露するゾラ」

 詳しいことはマルートに聞くゾラ、と言うのでナマエは祭事の槍を師匠にお返しして、言われた通り今日も元気に店番をしているマルートの隣に立って尋ねると、可愛い笑顔を浮かべて説明してくれた。

「英傑祭? そうそう、ミファー様を偲ぶためのお祭りでね、小さな子が歌を唄ったり、舞を踊ったりするんだよ。私も昔やったなー。コーラル・リーフはお客さんがたくさん来るから、大忙しなんだよ!」

 成る程、祭りとなればたくさんのひとが里の中を回遊するのだろうから、それに伴って食べ物や飲み物が売れたりするのだろう。ナマエはマルートに質問を続ける。

「他の種族の方もきたりするんですか」
「たまに旅人がやってくるけど、やっぱり殆どはゾーラ族かなあ」

 そうでしたか、とナマエが相槌を打ちつつ、無意識に己の身の振り方について思案していた。
 年嵩のいったゾーラ族はハイリア人を毛嫌いしているひとが多い。曰く、英傑などと祭り上げてミファー様はハイリア人の事情に巻き込まれ、挙句の果てに厄災の強靭の餌食になったのだ、と。
 憎しみの元凶であるハイリア人がうろちょろしていれば、冷たい視線を浴びることは間違いないし、場が白けてしまう可能性が十分過ぎるほどある。
 英傑祭の周辺は休みをもらってどこか散策にでも行ってみようか、と考えたが、すぐにシドが黙っていないだろうと思った。そもそも里を離れるにはシドの許可が必要だ。
 と考えて、そこで改めて気づく。いつの間にやらこの里での生活に、シドが深く根付いていて、それが当たり前になっていた。
 込み上げてくる感情は、くすぐったくもあるが、温かかった。

 それから暫く経ち、足はすっかり復活を遂げた。
 この日は珍しく昨日の夜からの長雨がしとしとと降り続いていて、里の床はいつも以上に滑りやすい上に、鈍色の分厚い雲に阻まれて朝日は薄陽しか届いておらず、辺りは薄暗い。滑らないように足元に気をつけながら、英傑ミファー像の掃除に向かった。
 雨合羽を着ながら像の立つ台座を黙々と磨く。手を動かしながらも、頭の中では昨日のつまらないミスを思い出していた。資材を無駄にしてしまったことも、そのせいで槍の完成が遅れてしまったことも、その尻拭いを師匠にしてもらったことも、苦い経験となった。今日はその挽回しなければならない。
 だがその前にこの手入れをひとが多くなる前にしっかりとやり終えなければ……と思った矢先だった。

「ハイリア人が触っていいものではないと何度言えば分かるゾラ」

 ナマエの背後から声が聞こえてきて、一気に肝が冷えた心地がした。降り注ぐ冷たい雨が、まるでナマエの身体の内側に直接降り注いでいるような錯覚に陥る。ナマエは一瞬手が止まったものの、聞こえないふりをして黙々と作業を続ける。このまま立ち去って欲しい、そんな望みを抱くが、それは敢え無く砕かれた。

「聞こえているのであろうハイリア人。いっとき見かけないと思ったら、また始まったゾラ。毎朝毎朝、目障りゾラ」

 今までは独り言のように呟くだけだったこのゾーラ族は、ついにナマエに直接敵意を浴びせようとしている。

「……すみません」

 ナマエは立ち上がり振り返ると、頭を下げる。

「一刻も早く、この里から立ち去るゾラ」

 容赦ない言葉は、きちんとナマエの耳に届いているのにどこか他人事のようにも思えた。否、平静を保つために、そう思おうとしていた。けれどやはり悲しくて、辛くて、一体どうしてこんな風に言われなきゃいけないんだろう、と涙が出そうになる。
 ―――敵意を向けられて気にならないときもあれば、気になるときもある。
 どうやら今日は、後者らしい。昨日いつもしないような失敗をしてしまったこともあるだろう。今日が雨ということもあるだろう。色々な要因が重なって、彼の言葉はナマエの胸を容赦なく抉る。
 ナマエは目の前の老齢なゾーラ族の顔を見ることができず、俯いたまま自分の爪先を見つめるが、どんどんと視界が狭く、暗くなっていく。うまく呼吸ができなくて、頭も痛くなって、ぐわんぐわんと耳鳴りまでする。

「―――、――――! ―――」

 そして、まるで水の中に入っているみたいに、様々な音がくぐもって、聞こえなくなった。どんどんと冷たい水の底へと沈んでいくようだった。呼吸が苦しい。息を吸っても、吸っても、まるで酸素の取り込み方を忘れてしまったかのように、苦しい。
 もう嫌だ。帰りたい。どうしてこんな思いをしてまで修行をしなきゃいけないのだろう。そうだ、もう帰って、父のもとで修行をすればいいんだ。こんな敵意をぶつけられながらここにいるなんて、耐えられない。ロスーリもハイリア人の女の面倒を見るなんて、きっと迷惑に思っているに違いない。
 抑えていた負の感情が溢れて、飲み込まれてしまいそうなその時だった。

「今、何と言った」

 大きくて、それでいて鮮やかな声が突如ナマエの耳に届いた。霞んでいた意識が急速に現実に戻ってくる。

「こ、これは……」

 老齢なゾーラ族が焦ったように言う。

「このハイリア人を侮辱するとは、何事だ」

 低く、怒りを抑えたようなシドの声。顔を上げれば、視界がまるで絵の具で塗り潰されたみたいに薄暗く滲んでいて、そのキャンパスの中に鮮やかに咲いている紅がある。そこで己の瞳から涙が溢れていることに気づいて、ナマエは涙を拭い取る。
 やはりそこにはシドがいて、彼の表情は、怒りに染まっているようだった。静かな怒りを湛えた瞳が老齢なゾーラ族へと向けられている。

「シ……ド………?」

 水の底へとどんどん沈んでいくナマエを引き上げてくれたのは、シドだった。
 安心感に包まれるとそれまで張り詰めていた糸が切れたかのように、身体から力が抜けて地面にへたり込んだ。
 そこからナマエは目の前で繰り広げられる光景を眺めるも、そこで交わされていた会話を記憶に留めておくことはできなかった。ただ音として、耳を通り過ぎていく。

「ですがハイリア人はミファー様を……」
「それは違う。本当はきちんと分かっているのだろう。姉さんの命を奪ったのは、百年前の厄災だ。それなのに、何の咎のないこのハイリア人の娘を憎むというのはお門違いというものだろう。ただハイリア人だという理由でそのような悪辣な言葉をこの娘を浴びせるというのならば、オレが許さないゾ」

 低く、有無を言わせぬシドの声。

「……申し訳ございませぬ」

 ぼうっとする意識の中、シドが庇ってくれていた、という事実だけが頭に残った。

「大丈夫か、ナマエ」

 気がつけばシドが目の前にいて、琥珀みたいな瞳と視線が混じり合った。彼はわざわざ跪いて、ナマエと目線を近づけてくれていた。
 大丈夫か―――シドからの問いを己に投げかける。
 呼吸ができる。暗く塗りつぶされていった世界は色を取り戻している。シドの声が、雨粒が雨合羽に当たって弾ける音が、ちゃんと聞こえる。
 ―――大丈夫だ、と思った。
 ナマエは頷いた。

「……はい」

 絞り出した声は思ったよりも力なく、シドに心配をかけないように言葉を重ねた。

「大丈夫です。ありがとうございました」
「そうか。……立てるか」

 シドは手を差し出したので、ナマエは頷いて、その手を取って立ち上がった。シドの手はやっぱり冷たくて、でも胸が温かいもので満たされるのを感じた。

+++

 それからぼんやりとするナマエの手を引いてもらう形で工房までシドが送り届けてくれた。

「オレが話しておくから、ナマエは休んでいるといい」

 と言って、シドはナマエを工房の奥の資材庫へと追いやった。抵抗する気力も理由も見当たらなかったので、ナマエは雨合羽を脱いで、自身の居住スペースに布団を敷くと、そこで膝を抱えてぼうっと座り込んでいた。
 時間の経過とともに段々と落ち着きを取り戻していく中で、控えめに資在庫をノックする音が聞こえた。返事をすれば、ひょこっと顔を出したのは、コーラル・リーフを切り盛りするヘオンの妹であるトオンだった。意外な訪問者にナマエは目を丸くする。

「ナマエちゃん、もしよかったらホットミルク飲まない?」

 よく見れば、トオンはトレーを持っていて、その上にはマグカップが載せられていた。
 ホットミルクと聞いて、ナマエの脳裏にはシドが浮かんでいた。
 トオンがナマエの隣に座り込むと、マグカップから立ち上る湯気と一緒に甘いミルクの匂いがふわっと漂ってきた。
 ホットミルクを見て故郷ではなくてシドを思い出したことに驚きつつも、コーラル・リーフでフレッシュミルクなんて取り扱っていたっけ……なんて疑問が浮かんだのを見透かしたように、トオンが説明をする。

「お試しで仕入れたハテノ村のフレッシュミルクなんだけどね、もしよかったらってお兄ちゃんが」

 先日やってきて、フレッシュミルクを試飲させてくれた行商人の顔が思い浮かんだ。

「いいんですか? ルピーをお支払―――」
「いいのいいの! はい、どうぞ」

 財布を取り出そうとしたナマエを遮るように言葉を重ねて、トレーをずいとナマエの方へと差し出す。ナマエはおずおずと受け取ると、マグカップからじんわりと暖かさが広がっていく。

「それでは、いただきます」

 一口含めば、身体の内側からほっと安らぐようだった。ホットミルクが冷えた身体を通っていき、疲れた心にもとても沁みた。

「お兄ちゃんね、レディの部屋に男は入ってはいけないって言って、慌ててを呼びにきたのよ」

 その時のことを思い出したのか、トオンはクスクスと面白そうに笑う。ヘオンが真面目に言っている様は想像するに容易い。ここは資在庫なので、勿論入ってきてくれて問題ないのに、紳士な振る舞いをしてくれる優しいヘオンの配慮が嬉しかった。ナマエもつられるように微笑めば、トオンはトレーを胸に抱えて、「あのね」と表情を引き締めて、

「詳しいことは全然わからないんだけど、これだけは伝えさせてほしいな。ナマエちゃんのこと、ここの皆は大好きよ」

 少しずつ、ナマエの心が陽の当たる温かい地上へと浮上していくのを感じる。種族の違いで傷つけられたのも事実だが、そんなこと関係ないと言わんばかりに温かい言葉をまっすぐに伝えてくれるひとがいるのも事実だ。
 愛を与えてくれるひとに、愛をあげたい。
 そんなことを思った。そこに種族なんて垣根を、ナマエは作りたくない。

「ありがとうございます……わたしもみなさんが大好きです」
「嬉しいっ! でもシド王子が庇ってくれたなんて、羨ましいなあー」
「はい……はい?」

 何の気無しにトオンの言葉を聞いて、僅かな違和感を感じてもう一度トオンの言葉を脳内で繰り返す。なんだか有り得ないことを口にしたような気がする。聞き間違いだろうか。聞き間違いであってほしい。そんな願いを込めて、ナマエはトオンに尋ねる。

「すみません、今なんて……?」
「え、だから、我らがシド王子に庇ってもらったなんて、羨ましいなって! さすがシド王子だよね。すごくかっこよかったんだろうなぁ。……ナマエちゃん?」

 ナマエはトオンの言葉を改めて聞いた瞬間、まるで床が抜けてそのまま落ちていったような恐ろしい感覚に襲われた。悲鳴は声にならなかった。
 固まってしまったナマエに、トオンは「おーい」と声をかけて目の前で手を振るが、ナマエの耳にはもはや何の音も届いていなかったし、何も見えていなかった。

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嫌な役回りをさせてしまった名もなきモブゾーラ族への申し訳なさを昇華させるための、誰得ご都合SSを置いてあります。書いてる本人はすごく楽しかったのですが、何でも許せる方のみご覧ください……! もちろんご覧いただかなくてもストーリーにはまっっったく問題ありません!!

モブゾーラ族への申し訳なさを昇華するための誰得ご都合SS