彫刻師と王子10

 シドが帰った後は彫刻の続きに勤しんだ。誰かに渡すとなったら、自然と気合が入るというものだ。丁寧に形を削り、少しずつ手直しを重ねていく。そうして彫り終えて最後に全体を磨き上げればようやく納得のいくものが出来上がった。
 ハート型に削られた夜光石は、淡い青緑色に光っていてとても幻想的だ。こんな風に夜光石を色々な形に彫って飾れば、部屋の中だけでなく、夜の大地を美しく彩ることができるかもしれない。それを脳裏に浮かべてみればなかなか情緒が溢れていて、悪くはない。これは新しい商材としていいかもしれない。
 夜光石というのは、死者の魂の灯火とも言われている。そこから枝葉を伸ばして考えてみれば、色々と活用する方法はありそうだ。例えば何がいいだろうか……と考えを巡らせようとするも、頭の芯がぼんやりとしていて、いくら考えても何のアイデアも出てこず思考は取り留めのないものとなる。作業に没頭していた反動でとてつもない疲労感に苛まれているため、集中できないのだ。これではいくら唸っていても何のアイデアも浮かびそうもなかった。こういうときは寝るに限る。
 ナマエは布団に身体を滑らせて目を瞑ると微睡が待ってましたと言わんばかりにやってきた。心地よい達成感に包まれながら、殆ど気絶に近い形で眠りについた。
 翌朝、足の痛みが僅かに和らいでいることに気づいて、人体の治癒能力にひとり感動した。そしてシドに巻いてもらった包帯を解いて新しいものに巻き直すが、シドが巻いてくれたようにはできず、不格好な有様となった。
 そんな話を一緒にお昼休憩をとっていたよろず屋「コーラル・リーフ」の店主ヘオンにすれば、なんと「私がやりましょうか」と申し出てくれた。渡りに船とはまさにこのことだ。ナマエは食い気味にお願いをして、ヘオンに包帯を巻き直してもらった。
 ヘオンが丁寧な手つきでナマエの足に包帯を巻いていく。仕方ないとはいえ、ヘオンを跪かせるような真似をしてとても申し訳なく思いつつも、ヘオンが巻いた包帯の出来上がりの美しさにナマエは惚れ惚れした。

「すごい! ありがとうございますヘオンさん!」
「いえいえ。困ったときはお互い様ですよ。今後もコーラル・リーフをご贔屓に」

 物腰の柔らかい喋り方に穏やかな声はヘオンの好青年さを引き立てている。そして最後にちゃっかりと商売人らしさを出しているところも流石だ。ナマエはもちろん何度も頷いた。
 里を照らしていた太陽が山並みの向こうに沈んで、夜の帳が下りる。里が夜光石の淡い光で包まれてしばらく経ったころ、シドは約束どおりに現れた。昨日と同じようにスツールに座ってもらって、ナマエは作業台のイスに座ると、完成したハート型の夜光石をシドに差し出す。

「これが昨日言っていたものです。貰ってくれますか」

 シドはそれを受け取ると、口を僅かに開いて何か言いたそうに、手に取った夜光石と、ナマエの顔とを見比べた。その表情は心なしか困惑を浮かべていて、ナマエは内心で首を傾げる。てっきり、シドのことだから大きな声で「おお! ありがとうナマエ!」と言ってくれると思ったのだが、想定とは違う反応だ。思わず尋ねる。

「どうかしましたか? 何か、変でしたか」
「あ……いや、その、深い意味はないと分かっているのだが……」

 何やら歯切れが悪いが、シドは何か引っかかりを覚えているらしい。心臓が嫌に早鐘を打つのを感じつつ、シドの言葉の続きを待つ。
 シドは視線を彷徨わせて何度か瞬くと、意を決したようにナマエを見つめた。

「その……ハート型だったので、ちょっとドキッとしたんだゾ」
「なん−−−ッ!」

 なんでですか、と尋ねかけて、息を呑んだ。端的に言えば、ナマエがハートをシドに送ったのだ。貰ってくれますか、などと言いながら。深い意味など勿論ないが、シドからしたら驚いたのだろう。
 ナマエは弁明をするべく、その作品の説明を早口に捲し立てた。

「あの、深い意味はないんです、えと、わたしの故郷にラブポンドっていう観光スポットがあるんですけど、それが、ハート型の池で、それを象ったものなんです! それ持ってると、運命の相手に出会えるとか、意中の相手に渡すと恋が叶うとか、言われてまして!」

 慌てて説明するあまり、説明しなくていいところまで説明してしまった。これでは深い意味があるようではないか。案の定シドの顔に驚きが滲んでいる。まずい、と混乱を極める頭でなんと言って誤解を解こうか考えるが、考えれば考えるほど焦ってしまい思考が複雑に絡んで適切な言葉が浮かばなかった。だからナマエは、

「とにかく、深い意味はないですのでご安心ください!」

 と言い、強引に終わらせた。恥ずかしくて、目も合わせられない。穴があったら入りたいとはこのことだろう。

「深い意味があろうとなかろうと、オレはこんなに美しい作品をキミから貰えてとっても嬉しい。ありがとう、ナマエ。大切にするゾ」

 シドの声色は凪いだ水面のように穏やかだ。ナマエは、ですから深い意味はないんですけどね。と心中で呟きつつも、

「いえいえ」

 と言い、チラと彼の様子を窺うと、シドは親指と人差し指で夜光石を摘んで楽しそうに眺めていた。どうやら喜んでもらえたようだ。ナマエも幾分落ち着きを取り戻して、一つ息をついた。
 それから武器制作の方の話を進めるために、ナマエは作業台からスケッチブックを手繰り寄せて新しいページを開いた。

「早速ですが、武器制作の方、お話進めさせてもらいますね。まず初めにシドの姿をスケッチしたいのですが」

 彼がいないときでも彼のことを想像できるように、彼のことを描いたスケッチが欲しかった。

「おお、わかったゾ。どうすればいい」
「直立不動で立っていただけるとありがたいです」

 シドは立ち上がり、手に持っていた夜光石をスツールの上に置くと、姿勢を正した。

「こうか」

 シドはただ立っているだけでも“威風堂々”と言った言葉が似合う立ち姿で、きっと彫刻にしたらさぞ美しいだろうな、と思いつつ、上から下まで熱い視線でじっと見やる。

「とってもいいです。最高です。では、動かないでくださいね」
「ウム、任せろ!」

 ナマエは白いスケッチ用紙に、木炭でシドの全体像を描いていく。描いていくごとに、当たり前のことではあるが、彼はゾーラ族なのだと改めて実感する。額はブーメランのような形で大きくせり出ていて、頭は魚類の尾ひれのように伸びている。胸の横にはエラがあり、腕や腰にはヒレがついていて、足は水かきのようになっている。姿かたちが違うだけでなく、色も、質感も、どれをとってもハイリア人のナマエとは全く違う。

 シドはゾーラ族で、ナマエはハイリア人。

 それは当たり前のことで、分かりきっていたことで。それなのに、スケッチをする傍ら、なぜかナマエはそのことが無性に切なく感じた。彼の道とナマエの道は平行線で、どれだけ進んでも決して交じることのないのだと痛感するようだった。チクリと針が刺さったように傷んだ胸に、内心で首を傾げる。
 そもそも自分が何を望んでいるのだろうか。よく分からなかったし、分かりたくないような気がした。雑念を追い払い、スケッチに集中する。
 彼の身体の細部を見ようとナマエは腰を浮かせて歩み寄ろうとするも、シドに「オレが近寄る」と先制されて、結局それに甘えさせてもらった。
 そうして前の立ち姿をスケッチし終えたので、今度はくるりと回転してもらい、後ろ姿のスケッチを続けていく。
 全体をざっくり書いたところで細部を見るために再び彼に近づいてもらい、腰回りのヒレを仔細に書き込んでいく。と、そこでふと好奇心が首をもたげた。スケッチブックと木炭を作業台に置くと、何も考えずにそのヒレに手を伸ばして質感を確かめるように触れば、シドがぴくりと身体を揺らして首だけ振り返る。

「む、ヒレを触ったのか、擽ったいんだゾ」
「ごめんなさい、つい出来心で」

 口では謝罪しつつも、ヒレを触るの擽ったいんだ、と悪戯心も膨れ上がるのを感じる。それを察知したのか、シドは「悪い顔をしているゾ、ナマエ」と指摘する。

「だってわたしにはヒレがありませんから。不思議なんです。わたしたちは違う種族なんだな、と改めて思いまして」
「確かにな。キミはハイリア人で、オレはゾーラ族。違うところが多いな」

 それは他意のない言葉だが、胸に岩が載ったかのようにずんと重くなるのを感じた。シドは言葉を続ける。

「だが、同じところだって多い。ホラ」

 そう言ってシドは跪いて目線を近づけると、大きな掌をナマエに突き出した。「重ねてみてくれ」とシドが言うので、ナマエは言われた通り自分の掌を彼のそれに合わせる。シドの手はひんやりとしていて、ナマエと比べて大きさは二倍近くある。
 ナマエの視線の先では大きさは全く違うものの、同じような形の掌が二つ重なっていた。シドは重なった二つの手を見ながら口を開いた。

「指は五本あって、目も二つ、口もあって、同じ言葉を喋っている。そして何より今同じ場所で同じ時を生きて、同じ目標に向かって頑張っている。見た目や種族の違いなどというのは、些末なことだゾ。ナマエもそうは思わないか」

 まただ。以前ミファー像の前でも彼は淀みなく希望を口にした。そしてその言葉にナマエは鮮やかな希望を見出した。彼の紡ぐ言葉は自信と希望に満ち溢れていて、根拠がなくともそうだな、と思わせる不思議な力があった。
 今だって彼の言葉ひとつで、先程まで彼との違いばかりを見つけていたナマエの瞳は、シドと同じところを見つめている。
 重なった掌から流れてくるシドの冷たい体温はナマエの体温と混じり合って、重なり合ったそこは今は同じ温度になっている。
 ナマエは彼の言葉にゆっくりと頷いて、同意を示した。

「……そうですね。全く、シドには敵いません」
「ム、オレはキミと戦う気はないゾ」
「ですね」

 極めつけにシドが大真面目な顔でずれたことを言うものだから、なんだかいい意味でどうでも良くなった。種族の違いなんて、今更何だというのだ。シドはゾーラ族で、ナマエはハイリア人。それは絶対に変わることはないし、それでいいのだ。大した問題では無い。
 ナマエが掌を離そうとする刹那、シドの太い指がナマエの指の間に入り込んで、シドが指を絡めてナマエの手を握るような形になった。シドの意図が分からず、ナマエは堪らずシドを見る。
 跪いてなお目線がナマエよりも高いシドの瞳がナマエを捉えて、「ほら」とシドは言葉を続けた。

「キミは温かくて、オレは冷たくて、でもこうやって重ねればオレたちは同じ温度になるな」

 口角が上がり、彼のギザギザの歯が覗いた。薄々勘付いてはいたが、シドは無自覚だがひととの距離が近い。忙しなく動き出す心臓を鎮めるすべは、絡み合った指を解くことなのだが、石になったように身体が動かない。
 ナマエは目の前の天然たらしに何を言おうかと考えを巡らせている間に、天然たらしことシドはハッと驚いたように目を見開いて言葉を紡いだ。

「ああすまない。デッサン中は動かない約束だったな」

 こんなに意識してしまっているのはナマエだけなんだと思うと無性に悔しくて、シドにも同じ気持ちになってほしい、と一矢報いてやる気持ちでナマエも指を折り曲げた。二人はまるで恋人のように手を繋いだ形になり、手を離そうとしたシドは目を見開いた。

「なっ、これは」
「シドがやったことをわたしもやっただけです」

 目的を達成したナマエは、瞠目したシドの顔を見てしてやったりと思うも、そこから先は羞恥心が勝った。そそくさと手を離して、作業台からスケッチブックを持ってくると、平静を装いつつ「さあ」と仕切り直す声を上げる。

「続きを描きますね」

 それから続きを描き、後ろ姿のスケッチも完了した。あとは背が高い故に細部が見えなかった顔周りを描くだけだ。シドには再度スツールに座ってもらって、顔周りのデッサンを始める。
 ところが先程あんなことがあったせいで、顔を見るのが妙に緊張してしまう。それはシドも同じらしく、ムズムズと視線を彷徨わせている。こんなことなら顔周りを先に書いてしまえばよかったと後悔するが、後の祭りだ。
 このむず痒い雰囲気を打破するために先に口を開いたのはシドだった。

「そういえば固定した包帯は巻き直したのか」
「あ、はい。自分でやったら全然ダメで……」
「慣れないと難しいだろうな。あとでオレが巻き直すゾ」
「それがですね、その話をコーラル・リーフのヘオンさんにしたら、巻き直してくれたんです」

 嬉しさが滲み出た声色でナマエは語る。

「ヘオンに……」
「ヘオンさん、すごく優しいですよね」

 喋り方も穏やかで、ザ・好青年って感じです。と言葉を続けてシドの顔を見れば、シドの顔色に僅かだが翳りが差したような気がして、思わず口を噤んだ。
 ナマエは頭の中で自分の発言を反芻する。変なことは言っていないはずだ。シドはヘオンと仲が悪いのだろうか、それとも、熱血のシドに対して穏やかなヘオンを持ち上げたのがまずかったのだろうか。
 ぐるぐる考えるナマエの傍ら、シドは口を開く。

「それならよかったゾ。安心した」

 そう言ったシドはいつも通りだった。だがなんとなくその話題を続けるのは憚られて、ナマエは相槌を打つのみにした。
 それから黙々と描き進めていくと、シドの顔の左横に垂れているヒレに傷跡があることに気づいた。その傷は見たところ古そうだが、くっきりと刻み込まれていた。

「この傷は、古いものなんですか」
「ん、ああ。もう随分昔になるな。……未熟さゆえについた傷でな」

 細められた目は、過去へと思いを馳せて記憶を辿っているようだった。それは到底ナマエでは追いつくことができないような深い、年月という名の隔たり。彼はナマエが生まれるずっと前から生きていて、ナマエの知らない人生を歩んできて、ここにいる。今一番近くにいるはずなのに、その実とても遠いところにいるようで、ナマエは胸が切なく疼くのを感じた。
 シドはそれ以上語らなかったし、ナマエも尋ねなかった。