里そのものが芸術作品だと言ったのは誰だったか。眼前に広がる美しいゾーラの里を見てナマエは、言い得て妙だ、としみじみ思った。ゾーラの里にやってきて早一ヶ月ほど。毎日が刺激的で、学ぶことだらけだ。
ラネール地方にあるゾーラの里は、川の上流の文字通り上にある、水と調和した美しい人口都市だ。そしてその都市を囲うように高い山々が峰を連ねていて、山間から水が落ちてとても長い滝を形成している。なんとも荘厳なこの光景は見るものを圧巻させ、また里にいるとどこにいても絶え間なく聞こえる水の音が耳を癒やしてくれる。
長く大きな橋が里のメインストリートで、それを暫く進めば大きな広場が広がる。そしてそれを囲うように美しい曲線を描いた水の通路が掛かっている。さながら羽衣のようなそれはシンメトリーに作られていて、そこもまた緻密な造形美が垣間見えるところだ。
里の中心であるその広場には英傑ミファー像があり、慈愛に満ちた表情で里を見守っている。その広場の両側に大きな階段が掛かっていて、その先の階には、ゾーラ族の居住区がある。そこには3つの大きな丸型の堀があり水が満たされていて、ゾーラ族はそこで浮かびながら寝ている。
居住区の手前には大きな階段があり、その先には尾ひれが天に向いた大きな魚が大きく口を開けた形の建造物がある。その魚に飲み込まれるように階段を上がっていけば、そこは玉座だ。ドレファン王が里を見守っている。勿論、行ったことはないし、王のお姿を見たこともない。
そして何と言っても、一番の特徴とも言えるのが、この都市は主な建材として夜光石を使っているのだ。夜光石……それは夜になると、青とも緑ともつかない淡い光りを放つ美しい石だ。昼間は太陽の光を受けて美しく光り輝く里は、夜になると淡く光りそれはそれは幻想的な姿へと変わる。
と、里に見入ってしまったが、両手に抱えた夜光石の存在を思い出し、ナマエは慌てて工房ーーーマルートマートーーーへと急いだ。お店の前ではマルートがいて、ナマエに気づくと手を振った。
「おかえりナマエちゃん! そんなにたくさん夜光石持って、重くないのー?」
マルートはこのマルートマートの客引きをやっているとても愛想のいいゾーラ族の女の子だ。初めて里にやってきたときに色々と案内してくれたのもマルートで、一方的に姉のように慕っている。ちなみにマルートマートというのはよろず屋と工房を合わせた総称らしく、お店の手前がよろず屋、コーラル・リーフで、ヘオンとトオンという兄妹が切り盛りしている。その奥がナマエが働かせてもらっている工房だ。
ナマエは夜光石の入った箱を持ち直して答える。
「はい! これくらいどってことないですよ」
「小さいのに、見かけによらず力持ちなんだね! すごいなー」
ゾーラ族は長命で、体格も大きい。ハイリア人のナマエはゾーラ族からすれば小さな子同然なのだ。マルートも可愛い顔してナマエの身の丈の倍までは行かずとも、それに近いくらいは大きい。
本当はこのたくさんの夜光石、結構重いが、笑顔で応えて歩みを進める。よろず屋で店番をしているヘオンに挨拶をしつつ、そのまま通り過ぎるとナマエの勤務先である工房に辿り着く。工房では皺の刻まれたゾーラ族が作業台の前で眉間を揉んでいるところだった。
「ロスーリ師匠、夜光石持ってきました」
「ウム。資材庫に置くゾラ」
言われた通り、資材を置く場所に格納していく。歳を重ねたこのゾーラ族こそが、ナマエが師事しているロスーリで、先程朗らかに話しかけてくれたマルートの祖父だ。明るくお喋りなマルートとは対照的で、口数が少ない職人気質なゾーラ族である。
夜光石の格納が終わり師のもとへと向かえば、作業台にはゾーラの槍が置かれていた。それを横目に次なる指示を請う。
「師匠、次は何をすればいいでしょうか」
「午後はレトーガンと火打ち石を探してくるゾラ」
「わかりました!」
レトーガンは兄弟子のゾーラ族だ。工房に仕事がないときは主に師匠の指示で里の補修活動を行っていて、石工に関してはレトーガンに教えを仰ぐことが多い。傷んでいる所があれば修繕し、汚れている所があれば掃除する。そういった地道な活動が、ひいては建物を永きに渡って残すことに繋がっていくのだ。
ゾーラの里での鍛冶師の仕事は多岐に渡るので、。弟子入りしてからというもの、工房で使う材料を探しに行ったり、里の修繕をしたりと、なかなか本業の方には携われていないが、これも大事な仕事だ。地味な仕事は嫌いじゃないため、それはそれで気に入っている。
そしてロスーリは、「ああそれから」と作業台の上のゾーラの槍を手にとった。
「明日からはゾーラの槍の作成に入るゾラ」
「は、はいっ! わかりました」
この里にやってきて初めての鍛冶仕事だ。無意識に背筋がぴんと伸びる。ゾーラの槍は特殊な金属を使っていることから見た目によらず軽く、その先端は錨型で、漁にも使われる量産型の槍だ。ゾーラの兵士たちには最も馴染みがあるというそれは、これからたくさん作ることになるだろう。このあたりにはリザルフォスが棲み着いていて、旅人を襲うこともあることから、ゾーラの兵士たちは定期的に退治をしている。リザルフォスは素早く機敏に動くため、迎え撃つ側も迅速に攻撃をできるように槍を使うことが多いとのことだった。
お昼を食べたあと、里の入口付近にいるレトーガンと合流すると、早速火打ち石を探しに向かう。鉱床を見つけては、レトーガンは豪快に採掘用の槍で突いて火打ち石を探す。ナマエはそんな力はないため、タガネを鉱床に添えて、それにハンマーで打ち付けて割っていく。
レトーガンは真面目で礼儀正しい男だが、時折癖の強さを見せつける時がある。
「ひとぉ〜つ! ふたぁ〜つ! みぃ〜つ! よぉ〜つ! おお、ナマエ! 一つの鉱床から4つも火打ち石がでてきたであります!」
「大当たりですね!」
地面に散らばった火打ち石をひとつひとつ丁寧に数えながら両手のひらに載せると、ナマエに見せてくれた。ナマエは採掘する手を止めて拍手を送る。するとレトーガンは嬉しそうに破顔して、背中に背負った籠に火打ち石を入れた。ロスーリに弟子入りして早一ヶ月。百歳以上は離れている兄弟子に対して抱く感情ではないが、レトーガンはとても可愛いところがある。
鉱床には本当に時折、宝石が入っていることがある。それは自分のものにしてよいらしい。今日はサファイアが一つ見つかったので、有り難く頂戴して後でヘオン買い取ってもらうことにした。二人で夢中になって火打ち石を探していると、あっという間に太陽が燃えるような橙色に染まって沈んでいく時間になった。キリのいいところで切り上げて工房に戻り、資材庫に火打ち石を格納して今日の仕事は終わった。ロスーリを始め、マルートマートの従業員たちは居住区に戻っていく。ナマエはというと、水の中で寝ることはできないため、有り難いことに工房の資材庫を一部間借りして寝泊まりをさせてもらっている。所狭しと資材が置かれている片隅がナマエの居住スペースで、小さなテーブルやら布団セットやらを置かせてもらい、そこで生活をしている。
皆に挨拶をして見送り、コーラル・リーフで買った材料を調理して食べたあと、さてこれからどうしようか、と考える。このまま寝てもいいが、明日からついにゾーラの槍の鍛冶が始まる……と考えたら気持ちが高揚してじっとしていられなかった。そこで、どうせなら夜のゾーラの里を見学しようと考えた。
思い立ったが吉日、早速ナマエは店を出てゾーラの里へと繰り出す。夜の闇に包まれたゾーラの里は、淡く光っていてとても幻想的だった。
「それにしても本当に綺麗な壁ですね……夜光石を混ぜるとこんな風に発光するとは」
夜光石。それ単体だともっと強い光を放つが、石材と織り交ぜることで仄かに光を放ち幻想的な雰囲気を醸し出す。里全体がこの優しい光に包まれることによって、夜でも灯りがいらないくらいには明るい。火や電気に頼らずとも光源を確保できるわけだ。その昔、夜光石がたくさん取れたから使ったと聞いているが、きっとそれそう言った意味もあるのだろう。里を建設したゾーラ族はかなり頭がいいな、と思案する。自分だったら思いもつかないだろう。
里のメイン広場へと続く長い橋。夜の帳が落ちて人気のないそこで、淡く光る柱に手を添えながら無意識に零れ出た独り言は、尚も続いていく。
「夜光石を刀身に織り込んだらどうなんでしょうか……やっぱり脆くなるんかね。お師匠様に聞いてみるわいさーーー」
すかさずメモ帳を取り出して、薄明かりを頼りに乱雑に文字を書き連ねているときだった。
「こんな夜にハイリア人の少女とは珍しいな!」
一際大きな声が聞こえてきて、肩が跳ね上がる。ハイリア人の少女とは間違いなく自分のことだろう。少女と言われるのはやや複雑な年齢ではあるものの、振り返った先には、声同様一際大きいゾーラ族がいて、やはりナマエのことを見ていた。もしかしたら意識していなかったが訛りが出た独り言を呟いていたかもしれない、というか呟いていたに違いない。そう思うと冷や汗がたらりと背中を流れる心地がした。
ゾーラ族の男はナマエの手元のメモを気づくと、おお! と再び声を上げる。
「もしや書物をしていたか、邪魔をしてすまないゾ!」
「あ、いえ、全然……」
大きな男の声と対象的に、ナマエの声はまるで声量を吸い取られてしまったかのように小さくなっていく。ゾーラ族はハイリア人と比べて体躯が大きいが、このゾーラ族は他のゾーラ族と比べてもかなり大きかった。ざっと目算した感じ、ナマエの身の丈の倍以上はある。ナマエを覗き込むその瞳は琥珀色で、随分と高いところから見下されているにも関わらず、不思議と怖くはなかった。それはきっと、彼の瞳がとても優しげだったからだろう。男は他のゾーラ族と比べて、頭から腰から身につけている装飾品が多く、胸元にはホイッスルまであった。随分とオシャレなゾーラ族のようだ。
彼はハイリア人がここにいることが珍しいのか、会話を続けた。
「何を書いていたんだ?」
「ええと、夜光石を刀身に入れたら強度はどうなんでしょうか……と書いてました」
「あぁ、実はオレも気になって調べたことがあるんだが、やはり脆くなってしまうらしいゾ。やはり金属の純度が高い方がいいとかなんとか」
「そ、そうなんですね! 勉強になります!」
「ハハッ、オレに分かることならなんでも聞いてくれ。可能な限り答えるゾ!」
「ありがとうございます」
思わず鵜呑みにしてしまうほど壁を感じさせない気さくな話し方で、ナマエは自然と笑顔になっていた。見た目もそうだが、喋り口調からもおそらく若いゾーラ族なのだと推察する。そしてその腰に剣を携えているのを見て、彼は武器を扱うものだと判断した。そこでナマエはお言葉に甘えて質問させてもらうことにした。「それでは……」と口火を切る。
「ゾーラの槍は軽さが特徴ですが、一撃に力を籠めるのならば重いほうが良いのかなと思ったんです。軽いことで扱いやすく、素早く攻撃を繰り出せると思うんですが、相手によっては重い槍を使ったほうが良いときもあるんじゃないかなって……例えば硬い装甲をしてる魔物と戦うときとか。そういうときってありますか?」
聞きたいことを投げかけて、男の回答を貰う前に断るべきことを思い出し、「あっ」と声を漏らすと、手のひらを突き出した。
「わたし、実は武器を作ったりするんですが、使うことについては素人同然ですので、変なこと聞いてしまっていたらごめんなさい。大目に見てくださりますと助かります。呆れないでほしいです」
こんな事も知らないのかと呆れられてしまうのが怖くて尻すぼみになりながらも言ったのだが、男は優しく眼を細めた。その瞳を見ているだけで、ナマエが恐れていることなんて起こるわけがないと思わせてくれた。
「なるほど、だから夜光石のことを話していたんだな。随分とマニアックだと思ったが。呆れるわけなんてあるわけないだろう。寧ろ、なんと勉強熱心なんだと感心したゾ」
「いいえ、そんな……」
彼の真っ直ぐな瞳に見つめられて告げられた言葉はナマエの身体の芯にじんわりと沁みていき、温めてゆく。お世辞だとは思うが、その言葉が単純にとても嬉しかった。どんな表情をして良いのか分からず、繋がった視線を断ち切ると、俯いて自身の爪先を見た。
「先程の質問の答えだが、確かに相手によっては重さが必要なときもあるゾ。例えばだが、雷獣山というところに、ライネルがいる。今のところ里を襲う様子はないが、もしライネルが襲来してきたら、それを討つには相応の重さと強度が求められるだろう」
ゾーラの里の北東に位置する山岳の一角が雷獣山だ。そこにはライネルという、四足でさらに二本の腕を持つ恐ろしい巨躯の獣人が棲んでいる。獅子のような頭に双角が生えていて、ナマエは絵でしか見たことがないが、その絵ですら身が竦むのだから、実物と対峙したらきっと身じろぎ一つできないだろう。それが襲来する可能性は確かにないとは言い切れない。百年前、耐厄災兵器として配備されたガーディアンが、まさか厄災に乗っ取られるなんて誰が予想しただろうか。
そしてその“まさか”が、ナマエが里にいる間に起こらないとは限らないのだ。思わず表情を固くしたナマエを見て、男は安心させるように、握り拳を作った腕を折り曲げ、歯を見せて笑う。
「安心しろッ! その時はオレが退治するから、キミは何の心配もいらないゾ!」
「……はい、安心しました」
実際、彼ならなんとかしてくれそうな不思議な安心感があり、ナマエもほほえみ返せば、男は満足したように頷いて、「ところで」と言い、
「キミは旅人か? 見たところとてもその、若そうだが」
と、問うた。言葉を選んでいるが、暗に子どもがこんなところでどうしたのだと心配しているようだ。この男を驚かせてやりたい気持ちが湧き出てきて、ナマエは首を横に振る。
「いいえ。期限付きですが、鍛冶師のロスーリ様に師事しています」
案の定男はとても驚いた顔をして、ナマエは内心でほくそ笑む。
「そうだったのか! それは知らなかったゾ。なるほど、今に至るまでの話が色々と繋がった。点と点が線になった気分だゾ」
「そうですよね。突然夜光石がどうとか槍がどうとか言われたらびっくりしますよね。すみません。まだひと月ほどなので、知らなくて当然だと思います」
「その……なんというか、ロスーリではなくて、もし他のゾーラのものから失礼があったらいつでもオレに言うんだゾ」
ロスーリは老齢なゾーラ族で、明らかにそのロスーリよりも若そうなこの男が師匠のことを呼び捨てにしていることが多少気になりつつも、その言葉の真意の方を探る。
「あの……ハイリア人のわたしに、ということでしょうか」
マルートからもそれとなく聞いていた。ナマエの言葉に、男は「既に知っていたか」と苦い顔をして話し始める。
「昔に色々あってな、のゾーラ族は、ハイリア人というだけで冷たい言葉を浴びせるかもしれない。だが、全く気にしなくていいからなッ!」
「わかりました。お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。気にしないですから」
全く気にならないと言えば嘘になる。現に今日に至るまでにも、冷たい言葉はなくとも、冷たい視線を感じたことは幾度もある。けれどゾーラ族のみんながそういうわけではないと分かっているから、ナマエはそんな視線にもへこたれず頑張ることができる。
「キミは強いんだな。……では、キミの作る武器、楽しみにしているゾ!」
ぽん、と大きな手がナマエの肩に置かれて、男は再び笑ってみせた。その笑顔は、音が鳴るわけがないのにキランと輝くような音が聞こえた気がした。
