彫刻師と王子9

 翌日、幸いなことに風邪を引くことはなかったが足は一日二日で治るものではない。当然のようにまだまだ足は痛くて、歩くのもやっとだ。残念ながら毎朝の日課である英傑ミファー像の掃除は断念せざるを得なかった。仕事として言いつけられていることではなく、自主的にやっていることだが、だからこそ今までずっとやってきたそれをやらなくなるのはなんだか居心地が悪かった。一日でも早く足を治さねば、と改めて思う。
 朝、工房へやってきたロスーリに、昨日足を怪我してしまったことと、友達のゾーラ族が助けてくれた、ということを掻い摘んで説明すれば、深く考えるような様子で俯いて、やがて「そういうことだったか」と納得したように言った。ナマエはロスーリが何を考えているのかはよく分からなかったが、口数が少なく表情も乏しい師匠からすべてを読み取るのは無理だということをわかっている。だからこそ弟子であるナマエはロスーリの発する言葉ひとつひとつに一生懸命考えを巡らせるが、今回のことは仕事とは関係のないナマエの日常の些細な出来事であるため、深くは考えなかった。
 そういうわけで暫くは外での仕事ーーー鉱石を取りに行くことや里の修繕作業ーーーはお休みとなって、完全に内勤のみとなった。里を見て回ったり、鉱石を探しにいくことは気分転換になるし、いい刺激になるのでとても残念だが、こればっかりは足を早く治して問題なく歩けるようにしなければ話にならない。
 仕事を終えると宿屋「サカナのねや」の料理鍋を借りて、料理をさせてもらった。コダーが足を心配してくれたので、仔細は話さずにただ「ちょっと足を挫いちゃって……」とだけ言った。料理を作ると、それ以上の追求を受けないように、逃げるように資材庫へと戻っていった。雨具も持たずに山に入って挙げ句滑って転んだなんて格好が悪すぎるのであまり言いたくなかったのだ。
 それから夜ご飯を食べて一段落ついたところで、何をしようかと考えを巡らせる。あとは寝るだけだが、寝るにはまだ早い時間だ。いつもなら夜の散歩に出るところだが、生憎そうもいかない。手持ち無沙汰に資材庫を見渡せば、沢山の鉱石が置いてある。そこでハッと閃いて自分の荷物の中から夜光石と、彫刻道具を取り出した。
 こんな時こそ、彫刻だ。里に来て三ヶ月ほどが経つが、鍛冶や彫金に夢中で、すっかり彫刻のことをおざなりにしていた。感覚を取り戻す意味でも、この里にやってきて初めて彫刻をしようと思った。
 ナマエの家は祖父の代で稼ぐための仕事を彫金や鍛治にしたわけだが、本業は彫刻であり、彫刻師なのだ。技術を繋いでいくためにも、大体が小さなものだが彫刻作品を作っている。その中でも、ラブポンドーーーカール山の頂上にあるハート形の池ーーーを模った木彫り彫刻はたまに訪れる観光客へのお土産としてなかなか人気だ。なんでも持っていると運命の相手に出会えるとか、恋が実るとか、出会った相手を運命するとか、なんとか。実際に作っているナマエたちは特に何を意図したわけではないのだが、そういう噂が回って、その筋では有名なものとなっている。
 恋人のいない息子のためにわざわざ買いに来るひともいれば、縁談がうまく行くようにと験担ぎに来るひともいるし、ラブポンドで運命の相手に出会ってその記念に買って帰るひともいるし、出会えなくて買っていくひともいる。その悲喜交交たるや、一言では語れない。

 そもそもラブポンドというのは、東フィローネの果ての海岸沿いに位置するウオトリー村の唯一と言っていいほどの観光名所だ。カール山の山頂にハート型の池、ラブポンドがあり、そこで運命の相手と出会える、という伝説があるのだ。これをラブポンド伝説と言うらしい。故に、辺境の地であるウオトリー村にはたまに運命の相手を求めた男女が訪れる。そこで実際に結ばれるものもいれば、そうでないものもいる。
 ウオトリー村に住んでいて、カール山には何度も遊びに行っているナマエからすればラブポンドの伝説は眉唾ものだ。しかし、それはそれは幸せそうに連れ立ってやってくる男女を見ると、ナマエの胸の内から羨望の気持ちがオクタ風船のようにムクムクと膨らんでいくを感じた。いつか、自分も運命の相手と出会えるのだろうか。と、らしくもないことを考えては、その度にオクタ風船に針を刺して萎ませたものだ。

 ーーーと、引き摺られるように思い出したことに思考が逸れてしまったので、思考を現在に戻し、目の前に夜光石と向き合う。大きく深呼吸をすると、ナマエは最も作り慣れた彫刻作品を夜光石で作ることにした。
 材料を持って早速作業台に向かうと、夜光石をハートの形に削って行く。いつも使っている木材と違って石材は硬くて、思うようには行かない。気がつけば無我夢中で石を削り続けていた。静かな空間に、石が削れる音だけが響くが、ひたすら石を削ることに集中していたナマエの耳にはもはやその音は通り過ぎていくようだった。
 慎重に、丁寧に削り続けてどれくらい時間が経ったか定かではないが、僅かに集中力が削がれてきたタイミングで、ノックの音が聞こえてきた。途端、集中は糸が切れたようにぷつんと途切れる。ひとつ瞬きをすれば、目が乾燥して痛い。どうやら瞬きを忘れていたようだ。夜に訪ねてくるなんて一体誰が、と思いながら、瞳を潤すために瞬きを繰り返した刹那、扉の奥から声が聞こえてきた。

「シドだ。ナマエ、いるか?」

 来訪者の正体はシドだった。変な人ではなかったことにホッとしつつ、ナマエは扉に向かって声をかける。

「います。どうぞどうぞ」

 と言って、ぐっと伸びをしつつ扉の方へと身体を向ければ、扉が開かれてシドがやってきた。一日ぶりに見たシドの顔がとても懐かしく感じる。ナマエは近くにあった木製のスツールを勧めると、シドはそこに腰を落ち着かせた。彼が座るとスツールがより小さく見える。座って早々にシドは身を乗り出してナマエへ心配の言葉をかけた。

「ナマエ、体調はどうだ? 今日一日、キミのことが心配で気が気でなかったんだゾ」

 まさかそんなに心配してもらえるとは思わず、ナマエは申し訳ない気持ちになりつつも、彼へ体調の報告をする。

「この通り元気です。まだまだ足は痛いですけど」
「本当か? 無茶をしていないか?」
「信用ないですね。大丈夫ですよ」

 肩を竦めて言えば、シドはなおも食い下がる。

「キミの大丈夫はあてにならないんだゾ」
「失礼な。お陰様でだ・い・じょ・う・ぶです!」

 胸を張ってわざと“大丈夫”を強調して言えば、シドは諦めたように身を引いて、「わかったゾ」と言う。と、そこでシドは作業台の上に夜光石が置いてあるのを見て、目を留めた。

「なにか作っていたのか?」

 ナマエは頷いてみせる。

「今は彫刻をしていました」
「おお! キミの本業は彫刻だと言っていたもんな」
「はい。久々に作ってます」

 作業台の上に置いてある作りかけの夜光石を手にとってシドに見せれば、彼は食い入るように見つめた。まだまだ全体を粗く削って形を作っている段階のものだが、穴が開くほど見つめられるのは正直恥ずかしい。が、その瞳の色に好奇心を見つけて、自分の仕事のことに興味を持ってもらえることは単純に嬉しかった。

「これは夜光石か?」

 夜空に瞬く星のように輝いた瞳が今度はナマエに向けられた。同意を示すように頷けば、シドは「おぉ」と感嘆の声を漏らして、

「夜光石をこんなふうに活用することもできるのだな! ナマエはすごいな!」

 そう言った彼は真っすぐで、眩しくて、その眼差しだけでナマエのことを鼓舞してくれる。単純なナマエは彼の一言で、なんの気無しに作っていた掌の上の作りかけの夜光石を誇らしく思うし、早く完成させたいと思うのだ。自分のことを誰かに認められて、褒められるということは思わず飛び跳ねたくなるくらい嬉しくて、胸がくすぐったくて表情を緩めてしまいそうになる。しかしそこはグッと堪えて、調子に乗らないように、「いえいえ」と首を横に振って言葉を続けた。

「誰にだってできますよ」
「いや。少なくともオレには絶対できない。キミは本当にすごいゾ!」
「もう、褒めすぎです、恥ずかしいですよ」
「だが本当にそう思ってるのだから仕方あるまい。出来上がりが楽しみだな」
「初めて夜光石で作るんで、上手くいくかはわかりませんよ」
「上手くいくに決まってる。なぜならナマエが一生懸命作るのだからな!」

 全然理由になってないけれど、握り拳を作って大真面目に言ってくれるシドが嬉しくて、ナマエは結局、自然と笑顔になっていた。彼の一言に、眼差しに、以前よりも親しみや信頼のようなものが籠められているような気がして、その事に気づいた瞬間、僅かに体温が上がるのを感じた。
 ナマエはその熱に背中を押されるような形で、気がつけば言葉を発していた。

「もしよかったら、ですけど。出来上がったらシドに差し上げますよ」
「え、いいのか!?」

 今日一番目を輝かせているシドは、とても自分よりも長生きしているとは思えない少年のような顔をしていた。彼がスツールに腰掛けていて視線の位置がいつもよりも近いため、尚更そう感じる。こんな眩しい笑顔をされてしまっては、きっと大抵のことに頷いてしまうに違いない。そういうわけで、ナマエはにこにこと頷いた。

「はい。ちょっと今日は難しいですが、明日にはできると思います」
「おお! そしたらまた明日、来てもいいか?」
「勿論ですよ」

 二つ返事で頷いて、ふと気づいたことがある。その事に気づいた瞬間、頭の中がぽわぽわとして、日向ぼっこしているような穏やかで満ち足りたような心地になった。そんな気持ちが滲み出た声色でナマエが言葉を紡ぐ。

「わたしたち、約束をして会うの、初めてですね」

 シドとはいつもぱったりと里で会う。だから会う約束を取り付けるのが初めてで、なんだか不思議だったのだ。言葉にしてみればなんてことのない有り触れたことだが、そんなことだってどこか幸せに感じてしまう。
 シドはこれまでの記憶を手繰り寄せるように斜め上を見上げて、「あぁ」としみじみ呟くと、

「言われてみれば、確かにそうだな」
「ですよね」
「これからは、きっと約束が増えていくゾ」

 この里から帰る時、二人は一体どれくらい約束を交わして、その先でどんな友達になっているのだろうか。どうか結ばれた紐が解けることのないように、その先もずっと結ばれ続きますように。そんな祈りに似たことを思う。

「記念すべき初めての約束ですね」
「あぁ! 今後は武器制作の話もあるから、数え切れないほどの約束を交わすことになるゾ」
「そうですね。そしたら明日、具体的に武器制作のお話をしてもいいですか」
「わかったゾ。あぁ、それから」

 このあとシドが紡いだ言葉に、ナマエは目をひん剥くことになる。 

「今後はキミの休みの日と予定も把握したいゾ!」
「はーーーへ? 把握? わたしの休みを?」

 殆ど反射的に『はい』と言いそうになったが、彼の発した言葉をきちんと咀嚼した結果、言葉を失った。そして理解すると同時にナマエの目は点になり、彼の言葉をただただ繰り返す。シドは当然と言わんばかりに「あぁ」と言い、言葉を続ける。

「昨日はオレがたまたまキミが休みということを知っていたから駆けつけられたわけだから、キミが里から出てどこかへ行くのであれば、それは把握しておきたいんだゾ。早めに分かっていれば付き添うことだってできる」
「えっ?! でもそこまでしてもらうのはーーー」

 確かにシドの言う通り、彼がナマエの休みのことを知っていて、機転を利かせたからこそ足を怪我するだけで済んだのだ。とは言え少々過保護な気もするし、そこまでいくと彼を縛り付けてしまうみたいで気が引けた。それに、休みの日といっても結局仕事の延長線上のことをしていることが多く、里を出る用事といえばルト山に食料を獲りに行くぐらいだ。けれど昨日、食料はオレが届ける! と宣言されたので、山に行く回数は多少減るだろう。では他に何かあるか、と考えて、パッと浮かんだ疑問を、何も考えずに投げかける。

「で、デートするときは、どうするんですか」
「なっ、恋人がいたのか!?」

 シドが腰を浮かせて唖然としている。答えは否だ。恋人なんているわけがない。自分はゾーラの里に恋人を探しに来たのではない、修行をしに来たのだ。だが咄嗟にそんなことが思い浮かんだのは、きっと先ほどラブポンドのことを思い出していたからだ。
 とはいえ、そんなに驚くかというくらい顔一面に驚愕を表しているシドの残酷なほどの素直さには少々むっとする。故郷に置いてきた恋人がいるかもしれないのに、と口には出さずに心の中で反論するも、思わず腰を浮かせてしまうほど、ナマエには男っ気がないということだ。悔しいがその事実を飲み込んで、渋々ではあるが正直に白状した。

「いないんですけどね」
「なんだ、焦ったゾ!」

 シドは安心したように腰を落とした。なぜシドが焦るのかは疑問だが、やはり絶対に恋人がいないと思われていたのは癪だ。ムキになって言い返す。

「で、できるかもしれないじゃないですか」
「そ……そしたら、その役目は恋人に譲るゾ」

 そう言ってシドは腕を組む。恋人になる前にもデートってするんじゃないだろうか、なんて思いつつも、恋人なんてできる予定もないナマエにとってはこのタラレバの話は無意味だ。そんなナマエに追い打ちをかけるようにシドは両手を膝の上において、姿勢を改めた。

「……やっぱり嫌か? オレは少々空回りをしてしまう時があるから、本心を言って欲しいんだゾ」

 窺うように言われて、ナマエは堪らず言葉に詰まる。もしもシドが犬だったら、彼の尻尾はシュンと垂れ下がっているに違いない。先ほどは、シドの笑顔には敵わない、と思ったが訂正だ。そもそも彼には敵わないらしい。彼からお願いされては、頷くほかなさそうだ。
 それに、シドにこんなにも心配されることに対して、申し訳ない気持ちの裏で、とても嬉しいと思っている自分がいた。そして結局は嬉しいと言う気持ちの方が大きい。ナマエは上がりそうな口角を必死に抑えながら、神妙に言の葉を紡いだ。

「……嫌じゃありません」

 ヨシ、とシドは嬉しそうに破顔して力強く頷いたので、ナマエはつられて、結局口角が上がってしまった。
 彼とはナマエの思う友達と比べるとだいぶ距離感が近い気がするも、それがシドだったら悪くない、と思う。そしてシドも同じように思ってくれているから、少しずつ二人の関係が濃くなっている、と考えてよいのだろうか。
 そうだったら、そう。

(幸せだな)