彫刻師と王子2

 ここ、ゾーラの里は、ゾーラ族が住まう都市でありながら、彫刻師を名乗るのならば、ゾーラの里を一度は訪れろ。と言われているほど、その界隈ではとても有名な場所だ。彫刻技術も去ることながら、里を造った石工技術もこのハイラル随一と言われている。
 彫刻師の端くれであるナマエは、父のすすめでゾーラの里へ修行させてもらうことになった。里の工房の鍛冶師のもとで働かせてもらいながら学んでいく形だ。
 師事しているロスーリは、祖父がその昔懇意にしていたらしく、ナマエのことを特別に受けてくれたようだ。それがなければハイリア人がゾーラの里で住み込みで働かせてもらえるということは、なかなか難しいらしい。詳しい事情を聞いた訳では無いが、百年前の大厄災で英傑ミファーが命を落としたことに由来するらしい。
 ナマエの家は代々ハイラル王家直属の彫刻師。だったらしい。というのも、そうだったのはナマエの祖父の代までだからだ。約百年ほど前に、ハイラルが大厄災で壊滅状態となったので、必然的にその肩書も消滅し、元・ハイラル王家直属の彫刻師となったのだ。
 唯一それを証明するものといえば、ハイラル王家の紋の入った彫刻刀だろう。これがなければナマエとて信じられなかった。代々受け継がれているそれは、昔は実際に使っていたらしいが、今は家宝として大切に保管されている。
 先の大厄災ではたくさんの数のハイリア人が亡くなった。ハイラル城を中心に、周辺の集落は暴走したガーディアンに蹂躙された。そんな中で生き残れたのは本当に幸いなことだ。とは言え仕事がなければ食べていけない。祖父は今まで培ってきた技術を守りつつ、一般向けに彫刻細工を作ったり、旅人向けに凝ったデザインを施した武器を作ったりなど彫金も嗜み、生計を立て始めた。つまり、技術を応用して手広くやり始めたというわけだ。それが今の家業となっている。魔物が跋扈するこのハイラルでは、武器はとても大切な商材なのだ。そして祖父に彫金技術を授けたのが他ならぬロスーリというわけだ。祖父、父、そしてナマエと、三代に渡ってロスーリには面倒を見てもらっている。

 まるで審判を待つような気持ちだった。今からどんな判定が下されるのか、師匠の口が動くまで、時間にしてみればほんの数秒。けれど体感で言うと何時間にも感じたその間、ナマエの心臓は爆発しそうなくらい早鐘を打っていた。

「……フム。まずまずゾラ」
「ありがとうございます!」

 下された審判……もとい判定に、ナマエは頭を下げて礼を述べる。ロスーリがその手に持っているのはナマエが初めて造ったゾーラの槍だ。
 初めての鍛冶は純粋にとても楽しかった。楽しかったという感想を抱いているようでは職人としては失格なのだろうけれど、それでも金属を伸ばして造形し、美しい飾りを施すのはとても気持ちが高揚した。もっと作りたい、ゾーラの剣も、ゾーラの大剣も、それ以外も。たくさんたくさん作ってみたい。

「とはいえ、まだルピーをもらえる代物ではないゾラ。作り込みに甘さがあるゾラ」
「……精進します」

 ロスーリの言う通り、武器として到底お店に並べられる代物ではない。特に装飾の部分は左右非対称で全く美しくない代物だ。それからロスーリは、改善点だらけのナマエの槍をどうすればいいものになるか、言葉少なではあるが丁寧に指導してくれた。それらすべてをメモする。

「あの、師匠。この槍はわたしが買い取ってもいいですか。記念にとっておきたくて」

 本来ならばこのハリボテ同然のこの槍をもう一度溶かして作り直すのが通常だが、どうしてもこの初号機を取っておきたかった。武器として使われることはなくて、この初号機の本懐ではないかもしれないが、ナマエにとっては大切な初めての作品だ。
 ロスーリは作業台に向き直り、自身が受け持っている槍の彫金をしながら、

「先程いったゾラ、ルピーをもらえる代物ではないと。とっておくゾラ」
「あ、ありがとうございます!」

 師匠のなんとも粋な物言いに、ナマエは手に持った初号機を大切に抱えながら、上擦った声でお礼を言った。初号機はナマエの居住スペースの一角に大切に置くことにした。里から帰る時に、自身の腕がどれほど上達したのか見比べるのが楽しみだ。
 それから数日が経った。武器を作ったり、鉱床に行ったり、里の修繕をしたりと充実した日々の傍ら、夜は余力があればゾーラの里に散歩に出ていた。今日作ったゾーラの槍はなかなかいい出来だったというのもあり、高揚した気持ちを持て余した結果、夜ご飯を食べたあとにゾーラの里へ繰り出していた。
 長く里へと伸びた橋の上、手すりに肘をついて身体を預けて橋の下を流れている川に視線を落とす。夜光石が淡く光る幻想的なゾーラの里で水のせせらぎを聞きながら大きく深呼吸すれば、清涼な水の匂いで鼻腔を満たされる。身体でゾーラの里を感じながら思考はここから遠く離れた自分の故郷へと馳せていた。

 波が打ち寄せる音、潮の匂い、足にまとわりつく砂粒、宵闇に揺らめく篝火。目を閉じれば今すぐにでも潮騒が聞こえてきそうだ。
 と、その時だった。

「キミは、この間の少女ではないか!」

 この声で、この呼び方で、ナマエもつい先日のことを思い出した。故郷で満たされていた脳裏には、オシャレでやけに爽やかな長身のゾーラ族の男の姿が思い浮かんだ。その答え合わせをするように振り返れば、やはり思い浮かんだ男がそこにいた。そういえば先日男と邂逅したのもこの場所であったことを今更思い出す。ナマエはペコリと頭を下げる。

「先日はどうもありがとうございました」
「礼には及ばないゾ。いい武器は作れたか?」
「いやぁ、頑張ってはいるんですけどなかなか難しいですね。ロスーリ師匠の凄さと、ゾーラの技術の高さを思い知る日々です」
「ロスーリは年季が違うからな。すごくて当然だゾ。オレの父上の代からずっと彫金師として仕えているからな」

 ゾーラ族は長命なので、この男の父の代……というと、かなり大昔ということになる。それにしても自分の父を“父上”と言うとはお坊ちゃんなのだろうか。とはいえレトーガンも

 男は自然な流れでナマエの隣へ赴いた。長身な男にとって、手すりの位置はもはや手すりではなく、意味を成していないことに気づいた。橋から落ちてもゾーラ族は困らないので、他種族やゾーラ族の子供用なのだろう。そんな事を考えていると、ゾーラ族の男はナマエが先程していたように、橋下の川へ視線を落とした。

「今日は何を見ていたんだ?」
「川の流れを見てました」
「今日といい、この間といい、キミはいつもあまり注目されないものを見ているな」

 この里に住むものからしたら当たり前の存在だから、注目をされないというのも無理はないのかもしれない。しかしナマエからしたら、この里自体がナマエの当たり前とかけ離れているため、何を見たって新鮮に思うのだ。

「わたしの故郷には川もないし、夜光石を材料に使った建物もないので、とっても新鮮なんですよ」
「そうなのかッ! すると、たしかにキミにとっては珍しいものなんだな。キミはどこから来たのだ?」
「ええっと……」

 川を見ていた琥珀色の瞳が、今度はナマエに注がれた。ナマエは思わず言い淀む。別になんてことない話題で、さらっと答えればいいのだ。逆に詰まることでかえって怪しまれ、興味を持たれてしまうというのに。
 ナマエは逡巡したのち、白状する。

「東フィローネにある……ウオトリー村というところです、ご存知ないですよね」

 ナマエに言わせれば、何もないただの田舎の漁村だ。コンプレックスとは言わないが、どうせならハテノ村の方に生まれたかった……と思うのは、ないものねだりなのだろうか。ウオトリー村はヤシの木を原材料にした木造建築の家しかない。このゾーラの里やハテノ村に見られる石工技術とはまるで無縁な場所だ。だからこそ、ハテノ村やゾーラの里がより一層お洒落に見えるし、憧れを感じる。と同時に、自身の出身地のコンプレックスを感じるのだ。すっかり染み付いてしまったウオトリー訛りを隠すのも大変だ。
 どうせウオトリー村なんて知らないだろうと思ったが、男は以外な反応をした。

「おお、聞いたことあるゾ! 海辺にあるハイリア人の集落だな」
「え! よくご存知ですね」

 ゾーラ族は淡水域に棲んでいるので、てっきり海とは無縁かと思っていた。

「昔にそっちの方の海へオクタロックを退治しに行ったことがあってな」

 オクタロック……タコのような姿で水中に潜んでいる魔物だ。頭に草を生やしていて、一見すると水草が生えているように見えるのだが、油断して近づけば口から岩を吐いて攻撃してきて、吸い込もうとしてくるのだ。漁の邪魔をしてくることもあるため、村の男達が退治をすることもあった。そんなオクタロックをわざわざこのラネール地方から東フィローネ地方まで行って退治しに行くとは、一体どういう状況なのだろうか。興味にかられて、気づけば男にその先の話をせがんでいた。

「わざわざあんな遠いところまで行くなんて、一体どんなオクタロックだったんですか」
「それはそれは巨大なオクタロックでな、身の丈はそうだな……山に見間違うくらい大きかったゾ」
「ええ、そんな大きなオクタロックがいたんですか?」

 普通のオクタロックはナマエの身の丈の半分くらいだろうか。男の言ったことは御伽話のような話で思わず口角が上がるが、男は大きく頷く。ナマエはその先を聞くことにした。

「ウム。その山のようなオクタロックが民を苦しめていると聞いて討伐に向かったんだ。オレもそんな大きなオクタロックがいるのかと半信半疑だったが、本当に大きかったんだゾ。……その顔、信じてないな?」

 表情に出したつもりはないが、ナマエの表情が“信じられない”と言っていたらしい。男は最初活き活きと語っていたのだが、ナマエの表情を捉えた途端、ニヤリと笑んで腰に手をやり、ナマエの顔を覗き込んだ。ナマエは慌てて首を横に振り、

「そんなことは! ない! とも言えない! です。……だって山のように大きいんですよ? 見たことも聞いたこともないですもん」
「全く。キミにも見せてやりたかったゾ」
「この目で見たら絶対信じるんですけどね」

 男は一瞬何か閃いたような顔をしたが、すぐに柔らかい笑えを浮かべて「次そのようなことがあったらキミを連れて行くことにするよ」と言い、クスクスと一頻り笑い合う。すると、男は何か思い出したように「ム」と苦い顔をして呟くと、

「オクタロックで思い出したゾ。まだ仕事が残っているのだった。ではまたな、ハイリア人の少女よ」
「大変ですね。頑張ってください」

 オクタロックで思い出す仕事とは一体どんな仕事なのだろうか、と思いつつも、男は爽やかに手を振りつつ走っていったので、ナマエもつられて手を振って、走り去ってゆく背中にぺこりと頭を下げた。

(またな、か)

 次を予感させるその言葉を受けて、ナマエの脳裏にはやることリストに書き込んだひとつが浮かんでいた。

(もしまた会うことができたら……)

 よし、と意気込んでナマエは工房へと戻っていった。