「ただいまー! もう、突然雨に降られてやんなっちゃうね」
水をかぶって男になってしまった名前の低い声が、ガラガラと天道家の玄関の引き戸を開けた音と同時に居間まで聞こえてきた。先に帰って居間でくつろいでいたあかねだが、名前の声を聞いて、胸が締め付けられるような感覚がした。
「あらあら名前ちゃん、大丈夫?」
すかさずかすみがバスタオルを持って玄関へ向かっていった。タオルを受け取った名前は「ありがとうかすみさん」と礼を述べて、まず頭を拭いて、次に露出している部分を拭き、ふう、と息をついて、かすみに問いかけた。
「お風呂って沸いてますか?」
「あらごめんね、今日ちょうどガスが故障しちゃっててお風呂が使えないの……」
「そうなんですか。じゃああとであかねと一緒に銭湯にいってきます」
かすみと話しながら名前は靴を脱いで、ぱたぱたと居間まで早歩きする。居間に入ると、あかねと目が合う。しかしあかねは目を見開いて顔を赤くすると、ふい、と視線を逸らした。そんなあかねを不思議に思いつつも、名前は声をかける。
「ただいまあかね、乱馬はまだ帰ってないの?」
「う……ん」
男になった名前はとってもかっこよくて、直視できない。それだけじゃなくてどきどきするんだ。いつもと違って低い声、程よく筋肉がついた体つき。けれど中身は女の子で、物腰柔らかい喋り方をするからかっこよくて優しい男の子そのもの。つまりあかねは、名前を目の前に、ときめきを覚えているのだ。
「そっか、じゃあ乱馬も雨に降られてるね。しかもお風呂に入れないから、ずっと女の子だ。ふふ」
「そうね」
名前があかねの隣に座る。どきどき、どきどき、と心臓がこれ以上にない早さで動く。この音が聞こえてしまわないかと焦り、それがまた心音を加速させた。そんなあかねの心を知るすべのない名前は、
「あ」
と言ったと思ったら、あかねをじっと見つめた。なにかと思い名前をちらと見ると、名前は笑みを浮かべている。
「あかね、目を瞑って」
えええええ!?!?!? と、内心で大焦りするあかね。名前の笑顔からは何も窺えない。言われた通り、あかねは目を瞑る。いまの名前は男の子で、だからつまり、それがいま、すべてで、つまりその……と物凄い勢いで思考が巡る。
「……あかねって、まつ毛長いんだね」
「へ?」
目を開けると、楽しそうな顔であかねを見ている名前がいた。
(どうしよう、いまわたし、キスされるって思った……)
しかも、されてもいいって思ってた。
(ねえあたし、どうしよう)
