君と夢を叶える 1

 技巧科というのはいわば縁の下の力持ちというやつで、前線に出ることもなければ人前に出ることもほとんどない。執務時間の大半を研究や開発、武器の作成及び修理に費やしている。
 わたしが技巧科を志望した理由は、幼馴染の夢を叶える手伝いをするためだ。その幼馴染の好奇心は人並み外れていて、一度やると決めたら何がなんでも実行する行動力もある。
 その幼馴染は、生き物の解剖はしょっちゅうしていたし、壁を叩いて壊そうとして怒られたこともあるし、穴を掘って壁を越えようとしたこともある。そのたび大人に怒られて、でもなんで怒るのか、その理由に納得できなくて、全然反省なんてしない。わたしにとって幼馴染―――ハンジ―――は、好奇心と自由の象徴だった。
 対するわたしは堅実で、真面目で、ハンジに比べれば視野の狭い凡人だ。わたしたちは家が近いというだけで、性格は真逆で掠りもしないけれど、だからこそハンジの常識に囚われない豪胆さや信念を貫く強さが眩しくて、つい追いかけてしまう。ハンジという閃光はあまりに鮮烈で、眼裏に焼きつく。
 わたしはハンジに手を引かれて、ずっと走って来た。ハンジの背中を見つめて、これまでもこれからもそうやって生きていくのだと思っていた。でも訓練兵団を卒団するときに、わたしはその手を離した。
 いつしかわたしはハンジに連れられて後ろを走るのではなくて、共に手を取って隣を走りたいと思っていたのだ。
 わたしは、ハンジが唱える一見不可能だと思われるようなことも、実現させたい。わたしにはハンジのような想像力も発想力もないけれど、それを形にするための道のりを考えることができる。ゼロから一を生み出すのはハンジで、一を実現たらしめる道筋を見つけるのはわたしだ。そう胸を張って言えるように、わたしは技巧の道へと向かった。生まれて初めてハンジと初めて袂を分かちた時だった。
 まだまだ修行中の身ではあるが、わたしとハンジはいいパートナーだと思う。いや、思っていた。少なくとも、わたしは。

「失礼しまーす」

 聞き慣れた声が執務室の沈黙を切り裂いた。技巧科には殆ど人が訪ねてこない。兵器に関わることを司っているがゆえ機密事項が多く、同じ組織と言えど基本的には立ち入りを遠慮してもらっている。だが禁止しているわけではないので、ハンジは割と技巧科にやってくるし、技巧科も容認している。立体機動装置をはじめ、兵器の改良について、現場からの意見を的確に伝えてくれるので、助かる部分も多いのだ。実際のユーザーの意見というのは机上で唸っているわたしたちよりも遥かに的確だ。
 それまでわたしは新しいブレードの素案を作るため図面を書いていたのだが、ハンジの声に顔を上げて声のした方を見やる。するとやっぱりハンジがいて目が合った。ハンジは軽く手をあげると、昔から変わらない笑顔を見せてわたしのもとへと迷いのない足取りでやってきた。

「やあ。今日は何書いてるの」
「新しいブレード。女性用に軽量で短いものを検討してるの」

 大柄な男性もいれば小さな女性もいて、ブレードの振るい方だって千差万別だ。ともすれば、それに合わせた多種多様なブレードの形が必要となる。流通している汎用型とはまた別のカスタマイズ用を検討をしていたのだった。

「ああなるほど、それはいいかもね。同じ班の新兵の子が身長小さくてさ、明らかにブレードを持て余してるから意見聞いておくよ」

 口ぶりから察するに、おそらく女の子なのだろう。瞬間、胸が絞られたかのように痛んで、戸惑う。班は数人で構成されるのだから、その中に後輩の女の子がいたところでなんら不思議ではない。なのになぜ、水面に水滴が垂らされたみたいに、胸に波紋が広がったのだろう。

「そうなんだ、よろしく」

 己の中に渦巻く不思議な感情に引っ張られて、声が不自然に平坦になっていた。どうかハンジに気づかれませんようにと祈る。ときどきわたしの機微に物凄く敏感な時があるから、ちょっと怖い。

「その子のことを私が見ることになってるんだけどさ、なかなか面白い視点の持ち主だからきっといい話が聞けると思うよ」

 言いながら、ハンジは柔らかく目を細める。どうやらハンジは気づいていない。

「へえ」

 声に温度があるとしたらきっと零度を下回っているだろうし、色があるとしたら寒色に違いない。自分でも驚くほど低くて感情のない声が出てきて、それを掻き消すように慌てて言葉を連ねた。

「随分と信頼してるんだね」
「まあね。同じ班だし、一緒に過ごす時間も長いからね」

 その言葉に、それ以上の意味もなければそれ以下の意味もないのだと思う。ハンジとその子は同じ班で、一緒に過ごすことが多くて、その子のことを信頼している。ただそれだけだ。それに、調査兵団にとっての一緒に過ごす時間というのは、わたしたちのような内地の勤務とはまた違うのだと思う。命を預け合い、時には命を賭して助け合う。それは信頼がなければできないことだから、ハンジが信頼を寄せているというのは当然と言えば当然だ。
 それなのに。―――羨ましい。そんな気持ちが身体の内側を迫り上がって来た。自分の浅ましさに辟易する。

「……そうだよね。さすが調査兵団だよ」

 ハンジの隣はいつだってわたしで、一番近い存在だと思っていた。けれどそれはとんだ思い上がりだ。過ごした時間の長さは、密度には敵わない。
 ハンジと違う道を選んだのは自分だ。こうなることはわかっていたはずなのに、未練がましく胸がジクジクと痛む。まさか嫉妬? わたしは顔も名前も知らないハンジの部下に嫉妬をしているというのだろうか。

「今度紹介するよ。それじゃあ」

 そう言って、あっさりと立ち上がったハンジ。

「え、何か用事があったんじゃないの?」
「ナマエの顔を見にきただけだから、用事はもう済んだんだ」

 またね、と言ってハンジは足早に立ち去っていった。なんなんだよ、もう。じわじわとハンジの言葉が染み込んで、頬が緩んでいくのを感じた。ハンジの言葉一つで、わたしの心は沈んだり弾んだり、忙しなく動いている。不思議な感覚だ。色んな感情がないまぜになって、複雑な色彩が織りなす感情がわたしの心の中で出来上がる。
 ハンジがいなくなった後は、普段使わない筋肉を使ったあとみたいな疲労感に包まれた。なのに頭は冴え冴えとしていて、やる気が漲ってくる。
 頑張るか、と図面に向き直った。

+++

 それから身長の低い可愛い女の子をハンジが連れてきたのは、数日経ったあとだ。今日連れていくと言われたわけではないのだけど(そもそもハンジは予告してくることがほぼない)、二人の姿を見た瞬間、先日の話が脳裏で浮かんで、その時話していた子を連れてきたのだと分かった。一瞬、つきんと鳥の嘴みたいなものに胸がつつかれたような痛みが走る。
 その子はパッと見ただけで新兵だとわかるほど初々しくて、緊張をそのままに「お疲れ様です」と言い、たどたどしく名前と所属をわたしに名乗った。それを見ていたハンジが楽しそうに笑って、

「そんな畏まらなくていいんだよ。大丈夫、怖いお姉さんじゃないからさ」

 と言ったので、新兵はわずかに緊張を解いたのが分かる。ハンジはわたしの顔を見て「ね?」と言うので、わたしは頷いてその先を引き受けた。

「もちろん、ハンジよりもずっと優しいよ。もう、言ってくれればわたしから出向いたのに」
「彼女にも技巧科を肌で感じてほしくてね。ほら、滅多に来られるところではないだろう」

 変わった言い分だ。技巧科を肌で感じたがるのはハンジくらいだと言うものだろう。

「滅多に来られるところじゃないって言う割に結構きてるよね、ハンジ。まあいいや、ここじゃなんだからミーティングルームに行きましょう」

 わたしは二人をミーティングルームへ案内し、扉を閉めると改めて向き合う。ミーティングルームにはテーブルと椅子があるくらいだが、初めて入った部屋に対して無遠慮さを隠そうともせずキョロキョロと好奇心の眼差しを巡らせるハンジと、それを心配そうに見つめる新兵。どっちが面倒見ているのか分かったもんじゃない。とわたしは呆れながらも、ハンジは相変わらずハンジで、それがまた安心もした。
 それから新兵に色々とヒアリングをした。今使ってる汎用型ブレードの使い勝手、気になる点、改善点。それを踏まえて既存の特殊型ブレードを振るってもらい、所感を聞く。
 ブレードには刀身の短いもの、太いもの、刃先が獣の牙のように尖っているものなど、色々ある。ただ量産はできないため、大抵の兵士は汎用型を使っている。しかし彼女のように事情があるものは申請をしてもらい、それが許可されれば特殊型を使うことができる。
 ハンジは自分でも特殊型のブレードを振るったり、時には口を挟んだりしながら新兵を見守っていた。

「君は手が小さいんだから、こっちの方がいいんじゃない?」
「刀身はやっぱり短い方が振りやすそうだね。私の見立て通りだ」
「そういえばずっと言おうと思ってたこと今思い出した。君はブレードを振る時に手首を使う癖があるから、治したほうがいいよ。手首、痛めちゃうからさ」

 ―――まあ、後輩をよく見ているようで。

 無意識に浮かんだ言葉に、堪らず冷笑する。ハンジが後輩にかける言葉一つ一つに心がささくれ立つようで、今このささくれた心に毛糸のマフラーなんかをかけたら、きっとぼろぼろになってしまうに違いない。いったい自分は何を考えているのだろう。胸にはモヤのようなものが立ち込めていて、とにかく今の自分がいつも通りではないのは確かだった。まるで目の前の出来事を心が拒絶して、身体が拒絶反応を起こしているようだった。
 それはなぜ? ハンジが楽しそうに後輩と話しているだけなのに、どうしてこんなにも心が毛羽立つのだろう。ハンジ自体面倒見がいい方だから、何も不思議なことではないのに。
 そうこうしているうちにヒアリングが終わり、大まかな方向性が定まったところで今日のところは解散となった。

「それじゃあよろしくね」
「ん。任せて。貴重な意見をありがとう」

 ハンジの言葉に、わたしは笑みを浮かべて頷いた。

「よろしくお願いします」

 新兵が頭を下げると、「君は本当に真面目だなぁ」なんてハンジが笑う。新兵はハンジを見上げて照れたように顔を赤らめた。
 そんな二人のやり取りに、わたしはぎこちないながらも一生懸命笑顔を作って見送った。ぱたん、と扉が閉まった瞬間、貼り付けていた笑みは消し飛んで、わたしはため息をついた。
 自席に戻りながら、今し方帰って行った二人を思い出す。新兵がハンジを見つめる視線は、どうにも熱が篭っているような気がした。尊敬と言ってしまえばそれまでだが、どうにもそれ以外の感情も内包しているような気がして、胸が騒めく。

 ―――いや、なんで? 別にいいじゃない、あの子がハンジを好きだろうとわたしには関係ない。わたしはただの幼馴染だもの。

「珍しいね、誰か連れてくるなんて」

 先輩の言葉に主語はなかったけれど、ハンジのことだろう。わたしは「ですね」と頷きながら、ハンジが連れてきた新兵のことを思い出す。

「新兵みたいです。小柄で、既存ブレードだと少し大きいみたいでその相談に」
「なるほどね。今ナマエが設計してるのにぴったりな人材だ。それにしても初々しい感じの子だったな」
「本当に。なんだか眩しかったですよ」
「俺はナマエが入ってきた時のことを思い出したよ。最初はあんな感じの右も左も分からないような子だったのに、今じゃ立派なお姉さんだなあ」
「恥ずかしいからやめてくださいよー」

 揶揄うような先輩の言葉に、わたしはむくれてみせる。技巧科を目指す人はそこまで多くない。研究というのは向き不向きがあるし、目立つわけでも、感謝されるわけでもない。だから、希望する新兵がいなくて配属がない年だってある。多くの兵士は憲兵を目指し、それが無理ならば駐屯兵となる。

「ナマエ」

 不意に背後からわたしを呼ぶ声が聞こえて、心臓が跳ね上がった。振り返れば、先ほど帰ったはずのハンジが、いつになく真面目な顔をして立っていた。わたしは立ち上がり、小走りに駆け寄る。

「どうしたの」
「なんだか元気ないように見えたんだけど、気のせい?」

 やっぱりバレていたんだという驚きと、些細な機微をハンジが感じ取ってくれていると言うことへのこそばゆさを感じて、わたしの硬く強張った心がするすると解けていく。けれど、新兵と仲の良い姿を見ていたらモヤモヤしちゃった、なんてこと言えるわけがない。

「全然そんなことないよ。なんか心配かけちゃってごめんね」
「そう?」

 ハンジはその長い足をすっと前に出してわたしとの距離を更に縮めると、正面からじっとわたしを見つめた。観察するようなその眼差しは、わたしの内側が見透かされてしまいそうで些か居心地が悪い。先程までの泥濘んだどうしようもない感情を、ハンジには知られたくないから自然と目が泳いでしまう。

「な、なに」

 何とか正面から向き合うと、ハンジの鳶色の瞳の瞳孔が開いているのが分かった。怖い。わたしは研究対象ではない。堪らず後ずさりするが、その分だけハンジも間合いを詰めてくる。

「ナマエが本当のこと言ってるか嘘言ってるか見定めてる」
「疑ってるの!?」

 ていうか、何を見てどうやって見定めてるの、怖い。

「まあね、だっていつもとちょっと違うし」
「そうかな……?」
「私はナマエのことをずっと見てきたんだから、わかるの」

 やけに自信満々に言うものだから、わたしは何も言えなくなる。ハンジとは小さい頃からずっと一緒で、同じ方向を目指して歩き、時にお互いのことを見つめてきた。わたしだって、ハンジのことならよくわかっている。

「でもまあいいや、ナマエが話したくないって言うならそれまでだし。それじゃあ、また来るよ」
「あ、うん、またね」

 いつも朗らかで、けれど強引なハンジは納得するまで引き下がらない。だからこの後もしつこく聞かれるかと思ったが、急にあっさりと引き下がるものだから、わたしはその緩急に、虚をつかれた。縄を引っ張りあってたのに、急にハンジが縄を離したから前につんのめった、みたいな。
 呆然としている間に、ハンジは名残なんて一切見せず、さっさと帰って行った。なぜだか取り残されたような気がして、わたしは虚しいような、切ないような、そんな気持ちになった。勝手に来て、勝手に帰って行っただけだというのに。

 ―――なんだったんだ、ほんとに。

 ふう、と息を吐いて、胸の内に溜まった澱を一緒に吐き出そうとするが、なかなか出ていってくれない。
 自席に戻り、仕事に集中しよう、と頭を切り替えようとするのに、ふとした瞬間にハンジを見上げる新兵の顔が、新兵を見るハンジの顔が、脳裏をよぎってそれを邪魔する。
 お互いの命を預け合う存在。きっとハンジは、あの子が危険な目に遭いそうな時、身を挺して守るに違いない。その逆でハンジが危ない時は、きっと彼女も命をかけて守るのだろう。

 ―――今、わたしたちの手は繋がれている?

 ふと、焦燥にも似た感情が足元から這い上がってくるのを感じる。
 技巧への道を選んだ時、ハンジに手を引かれるのはもうやめて、隣に並んで同じ道を歩き始めたのだと思っていた。でもそれはわたしが思っているだけで、実は既にわたしたちの手は離れて別々の道を歩いて、もう手を伸ばしたって届かないくらい遠くにいるのかもしれない。
 ハンジが後輩を見つめる優しい眼差しを、わたしは知らなかった。表情や声の色で手に取るようにわかったハンジの感情も、少しずつわからないことが増えていることに気づく。
 わたしが知っている“ハンジ”は、虚像になってはいないだろうか。たまに実家に帰った時に母親が作るわたしの好物が、昔のまま更新されていないように。離れている日々の中で少しずつ変わっていくのは、わたしだって一緒だ。
 わたしたちは別々の人間なのだから、それは当たり前のことなのに、なぜだかわたしは怖くなった。選んだ道を後悔なんてしてないけれど、“選ばなかった道”に手を伸ばしそうになる。そんなこと、なんの意味もないのに。

+++

 それからわたしたちは会うこともなく、壁外調査の日がやってきた。壁外調査の日はいつも胸の内側が不安の綿で埋め尽くされて、重くなる。いつもなら兵舎のわたしの部屋までやってきてくれて、「いってくるね」を聞かせてくれるのだが、それもなかったから、不安の綿は雨に降られたかのように湿り、重くなり、質量がいつにも増して多く感じる。嫌な予感が蔓のようにぐるぐると身体中を這って、締め付けるのだ。
 そして嫌な予感というのは、当たってしまうものだ。
 調査兵団が戻ったその日の夕方、ハンジが頭を打って意識が戻らない、という報せがわたしのもとへと届いたのだ。

2026-05-10