「なんかエレンと話してたらチーハン食べたくなってきちゃったなあ」
夕陽がナマエとエレンを照らし、二つ並んだ細長い影を歩道に落とす。先ほどエレンとチーハンことチーズハンバーグの話をしていたら、すっかりチーハンの口になってしまったのだった。
「オレ、名案があります! チーハン食べて帰りませんか?」
「エレンくん、それは名案だねえ。よーし、ファミレス行こ!」
この通り沿いにはファミレスがある。先日ハンジとモブリットと合宿の打ち合わせをしたあのファミレスだ。お小遣いはまだある。ナマエとエレンは向き合って笑顔を浮かべ、同じファミレスを頭に思い浮かべれば、音符でも見えそうな軽やかな足取りで向かっていった。
ファミレスの四人席に案内されて座ると、二人はお互い親に「夕飯はいらない」旨の連絡する。その後一応メニューに目を通すものの、頼むものはもう決まっている。早々にベルを押して店員さんにチーハンとライス、ドリンクバーを頼むと、やっと一息ついた。
「ナマエさん、何飲みますか? オレ取ってきますよ」
「ありがとう! じゃあね、エレンのおすすめでお願い」
「えー、それセンス試されるやつじゃないですか! 了解です」
エレンが席を立ってから、一人の時間ができる。すると頭に浮かんでくるのは、NoNameのギタリストの姿だった。目元は包帯で隠されているためわからないが、口元は三日月みたいに優しい笑みをたたえていて、細くてしなやかな指をせわしなく動かしている。ギターとベースの区別もつかないナマエだが、ライブがあったらまた見に行きたい。いったいどんなひとなんだろう。いただいたお返事は当たり障りのないことが書かれていたため、あまり人柄は連想できなかった。返事、何を書こうか。ペトラはデートに誘えなんて言ってたが、そんなの無理だ。まさか返事がもらえるなんて思わなったので、こないだのファンレターはただひたすら好きだと伝えただけだった。返事をいただけたということは、質問くらいは許されるだろうか。
「ナマエさんお待たせです」
色々と考えていたら、両手にコップを持ったエレンが戻ってきた。そのうちの片方をナマエの前に置く。
「リンゴジュースとオレンジジュースを混ぜてみました」
「思ったより良心的な組み合わせで安心したよ。ありがとう」
エレンは嬉しそうに「よかった」と呟いた。ふと改めて、後輩の男の子と二人でご飯なんてはじめての経験だと言うことに気づく。調査団に入らなければ絶対に知り合わなかったであろうエレンとこうしてファミレスにいることをくすぐったくも感じつつ、エレンとの会話を楽しむことにする。
「まさかエレンと二人でご飯来るなんて思わなかったなー」
「オレもです。チーハンのお陰ですね!」
「ところで今更だけど、エレンはなんで調査団に入ろうと思ったの?」
エレンたち一年生はある日突然、旧校舎にある調査団の部室にやってきて入部することになったのだ。改めて聞いたことがないのでいい機会なので尋ねてみる。
「それはですね!」
そこからエレンがなぜ調査団に至ったかの話をしてくれた。昔チーハン弁当を巨人に奪われて、そこから巨人を憎んでいるということ。中学に入り部活を探しているときに、ライナーから、巨人に立ち向かう組織、進撃中調査団があると聞いたこと。そして調査団の場所を探し出し、入部したということ。
「オレは巨人を一匹残らず駆逐したいんです……!」
「なるほど。け、結構過激なこと考えてたんだね」
一匹残らず駆逐したいとは、思ったより過激な思想で若干驚きつつも、エレンのことを少し知ることができた気がした。
「ナマエさんはなんで調査団に入ったんですか?」
「わたしはもともと生物部入ってて、そこでハンジさんに教えてもらったんだよね」
進撃中は部活加入が必須となっていて、入学してすぐに部活を決めなくてはならない。特にやりたいこともなく、入りたい部活を決めていたわけではないため、幼馴染のモブリットが生物部に入るということで一緒に入った。部活見学で会った、一年先輩のハンジの面倒見の良さも入部の決め手でもある。そこでハンジから、学校非公認の闇の組織、進撃調査団を教えてもらい、勧誘されたのだ。そこでペトラたちとも知り合った。
「謎が多いでしょ、あの壁の中って。壁の中にどんなものがあるのか聞けないし、誰も知らない。そう思ったら益々気になるし。わたしたちが在校中に謎がわからなくても、少しでもなにか情報を残して、いつの日か謎が解けたらなって思ってる」
進撃中はウォール・マリアという外壁に丸く囲われた場所に建っている。だがこの敷地内の殆どの領域は巨人用で、人間が立ち入れるスペースはほんの僅かだった。
更にウォール・マリアの中には、ウォール・ローゼという同じく丸い壁で囲われた場所があり、その中にも何やらあるらしいのだが、そこについては謎に包まれているし、なにか探ったり聞いたりするのも学校内ではタブーとされている。それを突き止めようとするのが、調査団だった。タブーとされているのことを調べるのだから、当然非公認というわけだ。
「今年はいっぱい加入してくれたから、できることも増えるね! すごい楽しみ」
「オレもです! いっぱい駆逐しましょうね!」
「ん、うん……そうだね?」
エレンは無邪気に恐ろしいことを言う子だ。曖昧に頷くと、ちょうどいいタイミングでチーハンが運ばれてきた。エレンが一気に幸せでいっぱいな顔になる。二人はいただきますと唱えると、念願のチーハンを一口頬張る。口の中に広がるハンバーグとチーズとデミグラスソースのマリアージュが至福の時へと誘う。
「あぁこれこれ、これが食べたかったんだよ……美味しすぎる」
「やっぱチーハン最高ですね」
美味しさに益々顔が緩む。それからチーハンを食べながら会話を交わしていく。
「そういえば今日、ギタリストの人に手紙書くんですよね。なんて書くんですか?」
ギタリストと言う言葉に、ナマエが分かりやすく反応する。チーハンを食べる手が止まり、目を瞬く。
「ええと……まだ考えてないの。聞きたいこととか、聞いてほしいこととか、いっぱいあるんだけどね、整理がついてなくて」
「思いつく限り全部書いちゃダメなんですか」
とても不思議そうにエレンが言う。思いつく限り、か。何年何組ですか? 好きなタイプはどんな子ですか? 彼女はいますか? 名前はなんていうんですか? 少し考えただけでもこんなに出てくる。こんなに聞いてしまったら、ストーカーだと思われてしまうに決まっている。それは嫌だ。恐ろしい。
「やっぱだめ、ギタリストさんに引かれちゃうかもだし。それに、聞かれたくないこととかあるかもしれないとか色々考えちゃってさ」
「なるほど。じゃあオレ、ナマエさんの気持ちが伝わるように応援してますね」
「ありがとう、嬉しいな」
二人はニコニコと微笑みあった。チーハンを食べ終えると、二人は満足感の余韻に浸りながらファミレスを出て帰路につく。
「今日は本当にありがとうエレン」
「オレこそありがとうございます! またチーハン食べに行きましょうね!」
「いいねえ、いつでも誘ってよ。じゃあわたしはこっちだから、また明日ね」
「はい! また明日です!!」
手を振り、ナマエはエレンと別れて歩き出した。
(今日はエレンと仲良くなれた気がする。仲のいい後輩がいるってなんか嬉しいな……)
ホクホク気分で帰宅して、ゆっくりとお風呂に入る。一段落したところで自室のベッドに寝そべると、スマホを見る。
(どうしよう手紙に何て書こう……)
カメラロールを見ていくと、学園祭で撮影したNoNameの写真が現れる。連写した写真の中で適当な一つを選び、ギタリストのところを拡大して見る。写真の中のギタリストはいつだって優しげな笑みをたたえてギターを弾き鳴らしている。
(あぁ、ギターになりたい……)
一体どんなひとなんだろう。今どこで、どんな事を考えて、何をしているんだろう。考えれば考えるほど、ギタリストのことで頭が一杯になる。返事をもらってからというものの、気を抜けばギタリストのことを考えてしまう。こんなことは初めてで、どうすればいいのかわからない。やはり当たって砕けろで、デートに誘うべきなのだろうか。けれど断られたら? 一生立ち直れない気がする。
結局その日は思い悩むだけで、手紙を書き上げることができなかった。
+++
翌朝、モブリットと登校中に、「ねえ聞いて」と朝から陰鬱な顔でナマエが話し出す。
「昨日ね、ペトラからまたギタリストさんに手紙書いたら? って言われたから、書いてみることにしたんだけど全然書けなかった」
「あ、そ、そうなのか。なんでだ」
「書きたいことがいっぱいあるんだけど、何を書いていいのかわからないし、色々考えたら全然まとまらなかった」
「あー……まあ、おれは何書いてもいいと思うけど」
「モブリットは、でしょ。モブリットはギタリストさんじゃないし」
呆れたように言うナマエに、モブリットは、ハンジさんだって何聞いても問題ないだろ。と言いかけて、慌てて飲み込む。自分がナマエにはギタリストの正体を言わないようにと根回ししといたのに、危うく自分で墓穴を掘る所だった。ハンジも正体を明かされることを望んでいない。さっさと正体を明かしてくっついてしまえばいいのに、もどかしいったらありゃしない。ただ、ハンジが言うこともわかる。明らかにナマエは目の前のハンジのことを恋愛対象として見ていない。最悪、ギタリストがハンジだと知って、恋心がさめる可能性も無きにしもあらずといったところか。
「じゃあもしも、おれがギタリストだったらどうするんだよ」
ナマエは一瞬キョトンとするも、すぐに破顔して大笑いする。この先の横断歩道を渡って左へ進めばもうすぐ進撃中学校だ。
「そんなわけないじゃん、あはは。わたしの身の回りにいたら絶対に気づいてるし」
笑いたいのはこっちの方だ、と言いたいのをやはり飲み込む。段々とこの幼馴染のことが怖くなってきた。ぶるぶると頭を振る。
「……そういえば昨日、調査団いかなかったのか?」
「いったよ。でもすぐ帰っちゃった。エレンとチーハンの話ししてたらチーハン食べたくなっちゃって」
「チーハン?」
「チーズハンバーグのことだよ。常識よ、モブリットくん」
横断歩道を渡りきった先の右手から、特徴的な三人の進撃中生が同じく登校している。一人は布団を頭に被り、一人はひどい寝癖、一人は赤いマフラーを巻いている。ナマエは大きく手を上げて「おはよー」と挨拶をして足を止める。
「ナマエさん、モブリットさん、おはようございます! ナマエさん昨日はありがとうございました! 楽しかったです」
と、寝ぐせ爆発のエレンが言うと、両脇を囲っている布団を頭にかぶった少年アルミンと、赤いマフラーを巻いたミカサが同時にエレンのことを見る。
「エレン、ナマエさんとなにかあったの?」
「そういえば昨日は私達よりも先に帰っていた」
不思議そうなアルミンと、訝しむようなミカサ。三人と合流して、ナマエとモブリットは先を歩き出す。
「昨日は一緒にチーハンを食べたんだよね」
顔だけ振り返ってナマエがいえば、エレンが「ナマエさんとオレは同志なんだ」とアルミンとミカサに伝える。
モブリットは思わず、ハンジが知ったらどう思うんだろうか、なんて心配をしてしまう。そしてすぐに、なんだか心配してばっかだな、と心中でぼやいた。
