その味を教えてよ

 タブレットを睨みながら、うーんと唸る。顔を上げればバルバトスが精悍な顔つきで鎮座している。手すりに背を預けてもう一度タブレットを見る。さて、どこからどうやって整備していこうか。プログラミングはどうするのがいいのか。頭の中で様々なことを考えながら整備計画を組み立てていると、「ナマエ」と名を呼ばれた。吸い寄せられるようにそちらの方を見れば、バルバトスのパイロットである三日月がふわりと浮きながらこちらに向かってきていた。三日月はナマエの隣に降り立つと、小首を傾げた。

「何してるの、遅い時間だけど」

 三日月の言う通り、雪之丞から今日はもう休め。と言われてからしばらく時間が経っていた。

「バルバトスの整備計画考えてた。おやっさんに任されたことがあるんだけど、どうやってやっていこっかなーって考えてたんだ。ほら、モビルワーカーとはワケが違うでしょ」

 雪乃丞は大昔にガンダム・フレームの整備をかじったことがあるらしいが、ガンダム・フレームを満足に整備できるほどの技量ではない。モビルワーカー専門で整備をやってきた整備部隊は、現在ガンダム・フレームの整備に手を焼いている。つまるところ、圧倒的整備力不足だ。皆が手探りで整備をしているため、ナマエも自分なりに知識を深めているところだった。

「へえ。それ、なんて書いてあるの」

 三日月が顔を近づけてタブレットを覗き込む。ナマエの顔のすぐ横に三日月の顔がある。ふわり、三日月の匂いがした。彼の匂いとその距離の近さに心臓が早鐘を打つも、平静をなんとか保ちながら「ええと」と上擦る声でタブレットに書いてあることを読み上げた。

「ーーーでもさ、ガンダム・フレームのパーツなんて現状、鉄華団にはないんだよね。だから何かで代用しないといけないんだけど、何がいいかなぁとか考えたりね」

 気がつけば三日月の大きな瞳はタブレットからナマエへと移っていて、ナマエがチラと三日月を見たときには、至近距離で見つめられていた。体温が上がるのを感じた。慌ててナマエは視線をタブレットに戻して、無意味にページを行ったり来たりしながら言葉を続ける。

「とまぁこんな感じだよ。バルバトスには悩まされることが多いけど、その分、上手いこといくとすっごく嬉しいんだよね」
「すごいなナマエは。俺にはなんて書いてあるか全然わからない」
「そんなことないよ。それよりも、なんて書いてあるかわからなくたって、バルバトスをあんな風に動かせる三日月のほうが」

 「すごいよ」とナマエが言葉を言い切る前に、頬に柔らかい感覚が降り注ぐ。殆ど反射的に三日月の方を見れば、三日月の顔はすっと離れていく。ナマエの勘違いでなければ、今しがたの柔らかな感触は、三日月が頬にキスをしたのだと思った。というか、間違いないだろう。
 顔が真っ赤に染まるのを感じながら、少しばかり三日月と距離を取り、恐る恐る問う。

「あ、あの今、ほっぺにキスした……?」
「うん」

 さも当然かのように三日月が言った。まるで、三日月とオルガって仲良いよね。という問いへの返事みたいに、至極当たり前みたいな口ぶりだった。それが三日月らしいと言えば三日月らしいのだが、ますますナマエは混乱する。なぜ今、頬にキスをしたのか。そこにどんな意味があるのか。どういうつもりなのか。様々な疑問が頭に浮かんではそれを持て余す。しかし、三日月には変に遠回りするよりも、直球で聞いたほうが彼の真意がわかる事が多い。ナマエは意を決して三日月に問う。

「……なんでそんなことしたの?」
「ナマエのほっぺ、柔らかそうだったから」

 直球で聞いたつもりだったが、かえって混乱してしまった。柔らかそうだとキスをするの? じゃあビスケットなんて、すごく柔らかそうだからキスしまくりなんじゃないの?
 タブレットを抱きかかえて、ナマエは途方に暮れる。そんなナマエの混乱をよそに、三日月は言葉を続けた。

「食べたら美味しそう」
「怖ッッ! 食べないでよね!」

 ナマエは二歩ほど後退りする。三日月の目には自分は食べ物に見えているのだろうか。ちょっと有り得るから怖い。三日月はジャケットのポケットからおもむろに火星ヤシを取り出して口に放ると、モグモグと咀嚼した。

「お、美味しそうだからって、他の人にキスしたらだめだよ」

 平静を装いつつ、ナマエが言う。すると三日月は、

「しないよ」

 と、スッパリと言い切った後、「ナマエ以外、美味しそうじゃない」とこれまた解釈に困る言葉を続けた。

「ビスケットも……?」
「うん」
「アトラも?」
「うん」
「クーデリアさんも?」
「うん」
「それなら、いいんだけど」
「だからもう一回してもいい?」
「えっ」

 三日月の言葉にナマエは慌てて辺りを確認する。時間が遅いこともあるが、このハンガー内にはナマエと三日月以外は誰もいなかった。物音ひとつしないハンガーの中で、三日月とナマエの声だけが響いている。ナマエはごくりと生唾を飲む。また三日月からキスをしてもらえるならば、願ってもないチャンスだと思った。

「……いいよ」

 ナマエの返事を確認すると、三日月は空いた距離を埋めるため歩み寄り、ナマエの身体に両腕を回した。まさか抱きしめられるとは思わなかったが、ナマエは抵抗せずにされるがまま立ち尽くす。ピッタリと密着したことにより、この早い心音がきっと三日月に伝わってしまっているかもしれない。そう考えると余計心臓が高鳴った。
 三日月はゆっくりと首を傾けると、ナマエの頬に優しく口付けをした。ナマエは堪らず目をギュッと瞑る。

「ナマエの心臓、すごく早い」
「そ、れは」
「でも俺の心臓かもしれない。くっついてるから、どっちなのかわからないや」

 三日月の言う通り、二つの心臓の音は混ざり合っていて、どちらの心音なのかもう分からない。

「きっと三日月だよ」

 そうやってナマエが答えたのは、勿論意地だ。心臓が痛いくらいドキドキしている自覚はある。けれどそれくらいの意地を張っても許されるだろう。

「そうかも」

 あっさりと三日月は認めて、もう一度啄むようなキスを頬に落とされた。もう、三日月には敵う気がしないな、とぼんやりとする頭の隅で思った。

「っっはぁ〜〜〜〜〜」

 ふらりとシノが食堂にやってきたと思ったら、悩ましげな吐息を漏らし、テーブルに突っ伏した。遅めの食事をとっていたユージンは、目の前で意味深な行動をするシノに眉根を寄せた。

「なんだっつーんだよ。メシが不味くなるだろ」
「……オカズには困らないから安心しろよ。あとでよぉーーっく、聞かせてやるからよお」
「はぁ? ったく、よくわかんねーな」