よく食べるひと。リンクに対するイメージは最初からずっと変わらない。がつがつと、リンクはいつだって飢え死にしそうなひとが久々にご飯にありつけるかのような勢いでなんでも食べてくれる。今も目の前でリンクがご飯を食べていて、リンクの髪がその動きに合わせてゆらゆらと揺れている。午後の日差しをたっぷりと含んだ彼の髪の毛は、収穫を目前に控えたタバンタ小麦畑みたいに美しかった。
「リンクが、退魔の剣を?」
「うん」
リスのように頬を膨らませてご飯を食べる姿はいつものリンクだ。表情を変えずに頷いて、咀嚼し、再びご飯をかき込む。
―――厄災が復活するという噂がこの城下町でも囁かれている。なんでも、占い師がそう予言したとか。どこか他人事のように考えていたけれど、最近では魔物も増えていて強くなっているらしく、荷馬車が襲われたという話をチラホラ聞く、とうちに食料を卸してくれている業者さんが嘆かわしそうに言っていた。
そしてその厄災に対抗できる要が、退魔の剣に選ばれし騎士、らしいのだが、それがリンクだという。
退魔の剣に選ばれたという、当のリンクはまるで他人事のように言ってのけた。昔はもっと感情を表に出していたけれど、彼は少しずつ己を封じ込めるように喋らなくなっていった。それでもこの食堂に来てご飯を食べながらぽつりぽつりと近況を話してくれるときは、わたしの知っているリンクだ。
「……本当にすごいよリンクは。なんか遠い存在になっちゃったな」
「そんなことないよ」
この言葉だって、謙遜ではなくてきっと心の底から言っているのだろう。
城下町に軒を連ねるうちの食堂に、リンクが先輩近衛兵に連れられてきてからいったいどれくらいの月日が経っただろうか。いつまでもこうやってリンクのご飯を食べる姿を見ることができると思っていたけれど、それは難しいことなのかもしれない、とそのときようやく気づいた。瞬間、ちりちりと胸の内側が焦げつくような心地がしたけれど、だからと言って何かをできるわけでもなく。そんな焦燥を持て余しながらもわたしはこの食堂でわたしの仕事を全うして日々を過ごしていた。
それからリンクは近衛兵から姫様御付きの騎士となった。城下町のこのしがない食堂に来る頻度も減ってしまったけれど、それでもたまに顔を見せてはご飯を食べていく。そしてわたしはそのときを心待ちにしていた。
からんころんと来客を知らせる鈴が鳴って、扉から美しい金が覗いた瞬間、わたしの心臓は握りしめられたかのようにぎゅっと縮こまる。それがリンクじゃなければ、わたしの中で膨らんだ期待はぱちんと弾け飛んでしまうけれど、それがリンクだった時、わたしは今にも飛んでいってしまいそうなほどの浮遊感に包まれるのだ。ピークの時間を過ぎて、そろそろ一旦店を閉めて休憩に入ろうかと思っていたときに、リンクはやってきた。
「リンク、いらっしゃい」
上擦った声で迎え入れれば、リンクはかすかに表情を柔らかくした。いつもの近衛兵の服ではなく、今日は見慣れぬ青い服を身に纏っていた。
「久しぶりだね」
「うん。本当に久しぶり。まだ残ってる?」
リンクが尋ねて、わたしは頷いた。
「あるよ。ちょっと待っててね」
残っていたシチューを温めて、そこにパンを添える。居室に戻っていた父が一度顔を出したので、リンクが来たと伝えれば、「それなら頼んだ」と言って父は戻っていった。
青い服は英傑たちのためにあつらえた服で、ゼルダ姫様が仕立ててくれたらしい。由緒正しいハイラル王家の青を使ったその服は、リンクにとても似合っていた。
リンクが英傑に選ばれたことは分かっていたが、こうして英傑の証を見ると誇らしい反面、寂しくも思った。手を伸ばせば触れられる距離にいたリンクの背中がどんどんと遠く、小さくなっていく。
今だって目の前でシチューを食べているのに、わたしたちの間には深い隔たりがあるみたいでとても遠く感じる。
ふと、嫌な想像が雨雲のように胸を覆う。厄災に対抗しうる存在、英傑。けれどもしも負けてしまったら? わたしは、世界が滅びてしまうことよりも、リンクが死んでしまうことの方がよっぽど怖い。
「リンク」
「ん?」
「……なんでもない」
リンクは不思議そうに目を丸くしたが、すぐに手を動かして食事を再開する。
やがてシチューを食べ終えると「ご馳走様でした」と慇懃に頭を下げたので、わたしも「お粗末さまでした」と頭を下げた。
食器を下げてお水のおかわりを持ってこようかなと思ったところで、リンクから名前を呼ばれたので意識がリンクに向く。リンクの目から、何かを伝えようとしているのを感じ取ったので、わたしは黙って言葉を待つ。
「これからもっと忙しくなるから、暫くは食べに来れないと思う。でも、絶対にまたくるから。待っててくれる?」
分かっていた。けれど言葉にされるとやはり胸は重く沈んでいく。でもリンクは待っててと言ってくれた。それならばわたしの答えは、たったひとつしかない。
「……うん、もちろん。待ってるよ」
わたしが答えれば、リンクは躊躇いがちに手をゆっくりと動かして、わたしの頭に乗せられた。ぎこちなくも優しく動かしてわたしの頭を柔らかく撫でる。
たぶん、初めてリンクに触れられた。その手つきは壊れものを扱うみたいに、慎重で、優しかった。
気がつけばわたしの瞳からは温かな雫がこぼれ落ちていた。リンクがぎょっと目を見開いて両手を上げると、
「ごめん、嫌だった? ごめん、ごめんなさい」
と、あたふたしながら謝罪した。わたしは慌てて首を振る。
「違うの、うまく言えないんだけど、でも、嫌じゃないよ」
嬉しいの、触れてくれたことが。けれどさみしいよ。まるでお別れするための儀式みたいで。
「そのときは伝えたいことがあるから、聞いてほしい」
「わかった。待ってるよ」
待ってるよ、と言ったそばからわたしは寂しくなっている。わたしたちは恋人でもなんでもないのに。でもわたしには自分の気持ちを伝える勇気はないから、そのかわりに呪いにも似た祈りの言葉を伝える。
「わたしのこと、忘れないでね」
「忘れるわけない」
だって、いつもここにいる。そう言ってリンクは胸の辺りを叩いた。わたしの胸の中で、じんわりとぬくもりが広がっていく。同じだよ、わたしの胸の真ん中にリンクはずっといるよ。いつも、いつだって。
+++
リンクが食堂に現れなくなってからどれくらい経っただろうか。それは突然、現れた。
深い地鳴りと共に大地が割れてしまいそうなほど地面が揺れた。黄昏時のお店に人はいなくて、わたしはバランスを崩して転びそうになるところを柱に掴まってなんとか堪えた。慌てて店の外に出れば、ハイラル城が黒雲に包み込まれている。まことしやかに囁かれていた通り、厄災が復活したのだと理解した。
―――リンクは? リンクが“あれ”と戦うの?
突如現れた巨大で禍々しい厄災という存在に、ただただ身震いをした。
リンクは強いけれど、ただの人間だ。厄災と比べればあまりにも小さい身体。その身体で太刀を振るって、厄災を倒すというの?
冷たい予感が背中を這い上がってくる。
逃げなきゃいけないのに、身体から力が抜けてその場にへたり込んでしまった。逃げ惑うひとびとの悲鳴や怒号が濁流のようにそこかしこで溢れて、崩れた建物からは砂埃が舞う。
呆然とハイラル城を見上げていると、無数のガーディアンが制御を失ったように赤く光り、あちらこちらに現れた。そして瞬く間にまばゆい光を放って城下町を焼き尽くした。
ガーディアンは厄災に対抗するために配備されていると聞いたのに、これではまるで逆だ。わたしたちを殺戮するために配備されたかのようだった。一体どうなっているのだ、わからない。けれど最悪の状況だということだけはわかる。
たぶん、もうだめだ。ガーディアンに見つかってしまったら、逃れることはできない。ここは間も無く焼き尽くされる。冷たい死の予感に、わたしの身体から自由が奪われて動けない。
やがてわたしの目の前にガーディアンが現れた。瞳が妖しく光って、蓄光する。
―――リンク
助けて、リンク。
怖い、逃げなきゃ、もうだめだ、痛くしないで、嫌だ、怖い。リンク。リンク。
恐怖に塗りつぶされた頭の中で様々な感情や言葉が浮かんでは弾けて消えた。けれどもガーディアンから光が放たれる瞬間にはすべてから解き放たれたかのように頭の中がクリアになっていく。
最期の瞬間に思ったことは、わたしの中に最後まで残った望みであり、願いであり、祈りであった。
―――もしもまた生まれることができたならば、
金糸を後ろで束ねたリンクがご飯を食べる姿が脳裏に浮かぶ。
―――彼の髪を揺らす風になりたいな。
そうしたら、ずっとそばにいられる。
+++
“リンク”、と呼ばれて、すっと意識が戻ってくる。ひどく頭が痛くて、身体も重い。薄暗いこの場所がどこかとか、自分が誰でなぜここにいるかとか、考えることは多分いっぱいあるのだろうけれど、ぼんやりとした頭では何を考えることもできなくて、ただ声に導かれるがまま歩き、そして眩しいくらいの光と、むせ返るほどの緑を浴びた。
気づけば緑が生い茂る大地を走り出していた。長いこと筋肉を使っていなかったのだろう、身体がパーツごとにばらばらに崩れてしまいそうな感覚になる。けれどリンクは走るのをやめなかった。風を切り、草地を踏み締めて走るたびに身体の中は生の実感で溢れて、身体の奥底から自由を感じた。
やがて景色に目を奪われて足取りがぴたりと止まった。吸い寄せられるように歩いて、息をついた。台地から臨むこの世界は、あまりにも壮大であった。
遠くに聳える火山、深く息づくような緑、どこまでも続く淡い青空、たなびく白雲。そして、禍々しい黒雲に包まれた城。
こんなにも広い世界で、たった一人で何も持たないちっぽけな自分。記憶すらない自分なのに、不思議なもので何もかもがここにあるような気もするのだ。
そのとき、柔らかな風が後ろから吹き抜けていき、リンクの髪が優しく靡いた。瞬間、無意識にリンクは心臓の上をぎゅっと手で押さえつけていた。
―――この場所に、とても大切ななにかがいた気がする。
それはなんだ、わからない。何も思い出せない。すべて霞がかかったかのようだった。けれど風が髪を揺らした瞬間、胸の辺りがじんわりと温かくなるのを確かに感じた。
―――行かなくては。
今は何も分からないけれど、前に進めば何かを取り戻せるかもしれない。風に背を押されるようにして、リンクは草地を踏み締めた。たとえその先で絶望に足を取られたって、風が吹き抜けるたびに進んでいける気がするのだ。
