彫刻師と王子4

 初めてできたゾーラ族の友は、シドと言うらしい。
 シドにリュックを持ってもらって工房へと向かう道すがら、彼と会話を交わしながらも周りからの視線がいつもよりも注がれていることが気になったし、もっと言えばいつも感じる視線と、言うならば“色”が違うことを感じ取った。それがどう言うものなのかは言語化するのが難しいが、日も暮れ出して人影もまばらになっているにも関わらず、注目の的のようになっていて少々気まずい思いをした。
 それはきっと、シドのオーラのせいなのだろうと結論付けた。彼は体格が大きくて目立つだけでなく、どこか人目を引く華やかさがある。それは彼が単にお洒落だからではなく、彼自身から溢れ出る目に見えないオーラのようなもので、ナマエにはないものだ。

「それじゃあゆっくり休むんだゾ、ナマエ。おやすみ」
「本当にありがとうございました。おやすみなさい、シド」

 マルートマートの前で手を振ってシドを見送ると、ナマエの住処である資材置き場に戻った。
 荷物を置いてひと段落すると、テーブルに向き合い、その上に置いてあったノートの表紙を捲る。そこには里に来る前に書いた“やりたいことリスト”が列記されている。ナマエはペンを持ち、リストの二つ目の項目に、チェックマークを入れた。ただそれだけのことではあるが、そこに至るまでには、目標を立てて達成するという非常に重要なプロセスがある。自分が今しがたつけたチェックマークを見て、脳裏に浮かぶのは友達一号のシドだ。高揚感に包まれたナマエは思わずニンマリと笑みを浮かべるのだった。
 翌朝、ナマエは朝から気分が良かった。太陽の光に照らされた里はいつもよりも美しくより芸術めいて見えたし、絶え間なく聞こえる水の流れる音もまるで楽団の演奏のようで心を弾ませた。鼻歌混じりに工房の掃除をしていると、マルートがやってきた。

「おはようナマエちゃん。なんだか朝からご機嫌さんだね! 何かいいことでもあったー?」
「おはようございますマルートさん! はい、実は昨日、初めてゾーラ族のお友達ができまして……」
「えっ! 私たち、友達じゃないの?!」

 マルートは驚いたように言うが、言われたナマエの方も予想だにしないことを言われて驚愕した。

「えっ!? お友達だったのですか!」
「私は勝手にそう思ってたよー! だって仲良しさんでしょ?」

 とても悲しそうに言うものだから、ナマエは罪悪感にかられる。しかし、マルートが言ってくれた言葉は、願ってもなかった言葉だ。罪悪感の傍ら、嬉しい気持ちがむくむくと起き上がってきて全身を包み込む。

「う、嬉しいです。そんな風に思っていただけたなんて……! わたしはマルートさんのお友達なんですね?!」
「うんっ! そうそう」

 なんと言うことだろうか。ゾーラ族の友達を作るという目標はすでに達成されていたとは、嬉しい誤算というやつだった。マルートは天真爛漫で優しく、人懐こい性格をしているが、あくまで師匠の孫だ。だからこそナマエは友達になるなんて烏滸がましいと思っていたのだが、マルートの方から友達だと言ってくれた。ナマエの身体をえも言われぬ感動が走った。

「わたしが一方的に好きなだけだと思っていました。お友達だと思ってもいいですか……?」
「もちろんだよー! それにさ、ナマエちゃんのおじいちゃんって、私のおじいちゃんとお友達だったんでしょ? ってことは、私達もお友達!」

 マルートの言った理論はよく分からなかったが、ナマエは「ですね!」と頷く。

「では、これからもよろしくお願いしますね! マルートさん!」
「改めてよろしくね、ナマエちゃん!」

 どちらが一人目か分からなくなってしまったが、こうしてゾーラ族の友達が二人になった。
 それからナマエがマルートと顔を合わせると心のなかで、お友達のマルートさんだ……と、うっとり見ることが増えた。というのも、ナマエの人生は、狭い狭いウオトリー村で過ごす時間が殆どだった。ウオトリー村自体が一つの家族のような田舎の集合体なので、友だちといっても皆、同じ村に住む者同士、親の顔も兄弟の顔も知っていれば、初恋の相手だって知っている。お互いのプライバシーなんてあってないようなものだ。
 おねしょをすれば井戸で洗濯をする母親達からバラされ……もとい、広まるし、喧嘩すれば漁に出る父親達から広まる。
 皆で村一番の料理上手のキキョウのご飯を食べて、宝箱屋の店主チョウハンに焼きダイを献上して遊ばせてもらって、天気がいい日はカール山に行って誰が一番最初に山頂の池にたどり着けるか競い合い……友達というよりかはもはや兄弟のような存在だった。
 だからこそ、ウオトリー村以外でできた、友達という存在が、ナマエにとっては大変貴重で、嬉しかったのだった。

 そしてもう一人の友達であるシドとは夜にぱったりと行き会うことが多かった。なんでも昼間は仕事が忙しくて、夜になると息抜きで里を歩いているらしい。どんな仕事をしているのかと聞いたわけではないが、いつも武器を携行していることから恐らく兵士なのだろうとナマエは推察している。

「最近はナマエと会えるんじゃないかと思って、暇があれば結構出歩いてるんだゾ」

 シドは裏表がなく、見た目や性格同様、言葉も真っ直ぐだ。だから自然とナマエも思ったままを言葉にして伝えるようになっていた。
 
「わたしも。里を歩いてるときは、シドと会えたらいいなって思ってます」
「それは嬉しいな!」

 そしてシドは、たまに「おみやげだ!」と言って食べ物を恵んでくれた。有り難いけれど、なぜそんなことをしてくれるのかと尋ねれば、

「あの大きなリュックを背負ったナマエが……まるで坂道から玉が転がるように、ルト山から転げ落ちる夢を見たんだゾ。それが正夢になったら困るからな」

 と、それはそれは神妙な顔を語ったのだった。思わず「あーれー」と言いながら山道を転がる自分の姿を想像してしまった。それはナマエとしても御免被りたいので、お言葉に甘えてお土産を有り難く頂戴することにした。彼は主に川の幸を持ってきてくれて、ウオトリー村で取れるそれとはまた違った魚介類は、とても美味しかった。

 肝心要の仕事の方も今のところ順調だが、朝にミファー像を磨いていると、通りがかりの老齢なゾーラ族に「ハイリア人が気安くミファー様の像を触るなゾラ」とぼそりと言われたことがあった。あからさまに敵意を持った言葉に、像を磨く手は一瞬止まってしまったが、それでも何事もなかったかのように最後まで磨き続けることができた。その出来事はその時限りだけでなく、それからも何度かあった。
 ハイリア人と言うだけで無遠慮な視線が注がれたり、先の老人のように憎しみの矛先が向くことはこれまで幾度もあったし、きっとこれからも沢山あるだろう。それにもしかしたら、師匠であるロスーリに文句を言っているゾーラ族だっているかもしれない。そういったことが、そこまで気にならないときもあれば、酷く落ち込むときもある。それでも毎朝の日課である“ミファー像を磨く”と言うことは辞めたくなかったし、どんなに落ち込んでも友達と会えばそれは気にならなくなった。
 シドやマルートに愚痴るわけでも、文句を言うわけでもない。ただ一人の“個人”としてナマエのことを見てくれて接してくれるから、それだけで気持ちが晴れやかになるのだ。だからナマエも、友と呼んでくれた二人のことを、種族や、身分、職業、そんなものは取り払い、目の前のその人だけを見つめて一人の個人として接したい。そう思う。

+++

 ゾーラの里の中央に佇む英傑ミファー像は、慈しみを湛えて今日も里を見守っている。ミファー像はただの彫刻作品ではない。制作者からの、そして、ゾーラの民からの深い愛があるからこそこんなにも美しい像となっているのだ。この像には、心が、愛が込められている。
 ――と、仕事を終えて宿屋「サカナのねや」の料理鍋を使わせてもらうため歩いている道すがら、足を止めてすっかりミファー像に見入っているときだった。

「ナマエではないか」

 高いところから声が降り注いで、すっかり集中していたナマエは思わず肩を跳ねさせながらも、吸い寄せられるように声のする方へ振り返った。そこには思い描いた通りの姿があった。

「シド、こんばんは。気づきませんでした」
「あぁ、驚かせてしまったみたいだな! 今日はミファー像を見ていたのか?」

 言われて、シドと会うときはナマエが何かをじっと見つめているときが多いことに気づいた。同意を示すように一つ頷いてみせて、再びミファー像を見上げた。

「はい。素敵な像だなと思いまして」
「そう言ってもらえると嬉しいものだな」

 シドが隣に並び立って、二人でミファー像を見上げれば、英傑ミファー像は変わらずに慈愛に満ちた表情を浮かべている。水のせせらぎが鼓膜を撫でて、心地よい沈黙が二人の間を漂う。
 先にこの沈黙を破ったのは、ナマエの方だった。

「実はわたし、本業は彫刻師でして。こういった像を作るのが本来の家業なんです」
「おぉ、そうだったのか」
「だから彫像を見るのは好きでして。この英傑ミファー像を見ていると、とてもゾーラの皆様から愛されていたというのが伝わってきます」
「里の皆は英傑ミファーを愛していたし、英傑ミファーも皆を愛していたと聞いているゾ」

 ゾーラ族は長命と言えど、時が経てば代も変わり、英傑のことを知らないものも増えていく。けれど彫像さえあれば、像を見上げて親から子へと愛を持って語り継がれていくことができる。そうすれば、尽きてしまったその命は時を超えていつまでも生き続ける。それはとても、素敵なことだ。

「わたしもいつの日か、このような像を作ってみたいものです」

 永世に渡り語り継がれる誉れを現すのが彫像。そしてそれを作るとき―――それは即ち、厄災ガノンを討ち倒したときなのだろう。
 けれど誰が? そんな問いが不意にナマエの中に浮かんでくる。英傑たちは厄災の凶刃に倒れてしまって、破魔の力を持つハイラルの王女は厄災に取り込まれる形で今なお一人戦い続けてなんとか封印していると言う。
 いずれその封印が解かれたとき、ハイラルは滅亡する。その日は明日もしれないし、百年後かもしれない。それまでに厄災を葬り、訪れた平和の世の中で英雄の像を作る―――その日はナマエの代で来るのだろうか。再び別の問いが泡のように浮かんでくる。それに対し、きっともうじきくるはずだ、なんて希望を抱くには、あまりに時間が経ちすぎていた。大厄災の発生から百年余り、世界は厄災が復活したその日から“停止”し続け、緩やかに破滅へと向かっている。そもそもそんな日が来るのだろうか。
 変化が希望だとすれば、停止は絶望だ。ナマエは希望も何もない、生まれたときから厄災に蝕まれた絶望の時代に生まれ、そして生きている。どうしたって、変化―――言うなれば、厄災を倒してくれる勇者―――が現れるなんて思えないのだ。

 もしも本当に女神ハイリアがいて、女神の子たちを見守っているのならば、なぜ百年もこんな暗澹たる世界が続いているのだろうか。女神の加護がありながらも英傑たちは、なぜあのような運命を辿るしかなかったのだろうか。
 いつかを夢見ながらも、その裏で諦念がナマエの心をじわじわと侵食し始めた時だった。

「くるさ、必ず」

 シドの言葉がまるで光の矢のようにナマエの心を射て、覆っていた薄闇を切り裂いていく。その声は凛としていて、ナマエを明るいところへと引き揚げてくれるようだった。思わず視線をずらして隣に並び立つシドを見上げれば、彼も同じようにミファー像を見つめていた視線をナマエへと向けたところだった。その表情は柔らかくて、そして自信に溢れていて。
 根拠なんてないけれど、希望ならここにある、そんな気がした。